されど鹿児島

日々の生活の中で見聞したことをメモと画像で綴るブログ

轟の滝

2009年04月29日 | 風景
郡山の轟の滝で素敵なご家族に出会った。1時間ほど楽しませていただいた。感謝感謝。
この滝は県道40号線沿いにあるが道路から見えないので気づく人は少なく通常は通り過ぎてしまう。落差は小さいが滝つぼの大きい滝だ。


















かごしま春祭大ハンヤ2009(前夜祭)

2009年04月25日 | 祭り
鹿児島の春の祭りとして定着しつつあるこごしま春祭大ハンヤが今日明日開かれる。
市の中心地天文館公園を覗いてきた。 《③笑築過激団の相撲の詳細はここから》

① 舞踊集団 創ERG


② 長崎県立大学 リズム戦隊メロディアス


③ 永大ハウスと笑築過激団


④ 衣装の早替わりで同じ人です


⑤ 芳梅の会


① 私たちもう疲れちゃった


着陸機

2009年04月24日 | 写真
曇り空だったけど本来の撮影の目的地に行くのに多少の時間の余裕があったので鹿児島空港の着陸機を撮りに寄った。運よく続けざまに2機の着陸機を撮ることができた。お天気がよければ申し分なかったのだけど・・・

① M81機?


② ①撮影後振り向いて後姿を撮る。


③ B734機?


④ ③撮影後振り向いて後姿を撮る。


薔薇は咲いたか

2009年04月17日 | 
昨日の天気予報が見事の外れて曇り空。時期がチョット早いのではと思いつつ日差しが弱かったので薔薇の様子を錦江湾公園まで見に行った。
案の定早かった。5月の連休くらいがちょうどよさそうだ。数輪咲いてる花を何時もの撮り方と違う方法で撮ってきた。



















灯台下暗し

2009年04月16日 | その他
メイン通り面している自宅から徒歩で5分足らずの道路1~2つ入った筋を散策してきた。
かねては一方通行などの関係で車では通らない道の散策。目と鼻の先なのにいろんな発見があり収穫大の徒歩ならではの散策だった。

① 青果、食料品の文字が見えるが今では職種変えか? このような状況(局番が2桁なのでかなり昔のお店だと思う)


② 路地に面したところでニワトリが2羽飼われていた。


③ 日本人は花が好きですね。


日曜日

2009年04月12日 | 写真
市内中心部は9日の桜島東岳火口の噴火による降灰を車が巻き上げるので灰色に霞んだ街になっている。
2日間引きこもり状況だったが郊外に出かけてきた。日曜日とあって趣味と実益を兼ねた貸農園で汗を流している人、若い親子連れ等々がそれぞれ日曜日を楽しんでいた。

① 都市農業センター


② 手作りお弁当の親子連れ


③ 県道の中央分離帯に咲く芝桜


灰神楽の鹿児島市

2009年04月09日 | 風景
桜島 昭和火口が午後3時31分に噴火し噴煙が4000mに達し東の風にあおられて鹿児島市は十数年ぶりの灰神楽に見舞われた。
その頃の私は2時からの集まりのため屋内にいたので噴火には全然気づかず4時過ぎになって地下駐車場から出て始めて気づいた次第。
最近の昭和火口の活発な活動を考えるとこれからは風向きが東風に変わってくるのでこの夏が思いやられる。(涙)

① 今日は晴天だったのですがこんな状況


② 国道3号線平田橋付近 視界は100m位か


③ ここでも太陽を撮ってみた。前面のダスト状のものは信号停止中にフロントガラスに積もった火山灰


④ 鹿児島中央駅付近(窓を開けると灰が車内に入り込むので4枚ともガラス越しに撮影した)


さくら鯛

2009年04月06日 | 
昨日漁船パレードが終わった後、黒の瀬戸近くの漁港に寄ると漁船が港の入ってきた。
網で獲った活きた鯛をタモを使ってトラックの生簀に移し、小ぶりの鯛は活き〆にしている場面を撮らせてもらった。

① 漁船が生簀を積んだトラックに横付け


② 見事なサクラ鯛を船の生簀からタモですくい上げる


③ 手早くトラックの生簀へ


④ 小ぶりなものは活き〆している


そしてトロ箱に並べられていく(忙しく働いているのでお話を聞くのも憚れる状況だった)


漁船パレード

2009年04月05日 | 海 港 船
阿久根の黒之浜漁港では旧暦3月10日の恵比寿祭の日に大漁祈願の一環として漁船パレードを行っている。
今年は生憎の雨天での開催となったが、海の男たちの勇壮な漁船パレードは大小の漁船20隻の迫力満点のパレードだった。もう一度晴天のときに行ってみたいものだ。













⑤ パレードが終わり、餅まきのときになってやっと雨があがってきた。


今日は4月1日

2009年04月01日 | 
 世間では百年に一度の経済危機などといわれている反面、お花見だのエイプリルフールだのと世の中はそれなりに回っているようだ。ご多分にもれず吾が輩も陽気に誘われ出かけてきた。しかし、素浪人となった今でもやはり4月1日になると現役時代の多忙で慌しい日だったことが思い出されてくる。

① 仙巖園では名残の牡丹が咲いていた