あっちこっち歩いて楽しむおタケさん

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山に登ったかと思えばメタボな食事、お花、キノコ、いろいろ~

歩き遍路・高知の旅 (3)

2010-11-30 05:39:36 | 歩き遍路四国八十八ヶ所
2010.11.20(土)
いよいよ今回の歩き遍路の旅も最終日です
 
昨夜、到着して直ぐに支配人がしっかりと明日(今日)の予定を聞いてくださり
いろいろとアドバイスしてくださいました
先ずはこの国民宿舎から車道を横切りながら山道を下りて先に36番さんにお参りして
そこからドラゴンバスに乗って土佐市内まで行き歩いて35番さんに参れば繋がると
そしてまた36番さんへ向かって歩けば予定通りの歩きが完成するとの嬉しいアドバイスです
 
 
それでは、6:00 暗闇の中でまだフロントには明りがついてないところを掃除のおば様に
お礼申し上げて非常口から失礼します
 
岬の高台に建ってますので昼間なら絶景でしょうが昨夜も暮れてからのチェックインでしたので
夜景しか楽しめませんでした、、夏なら充分な時間でしたがね、、、
 
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いよいよ、ライト片手に山道を下ります、結構急な下りで慎重に下ります
 
やっと青竜寺さんの横手の鳥居まで下りてきました
 
 
 
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ようやく空が明るくなってきて三重塔が朝日に輝きだしました
山門が判らずちょっと戸惑いましたが仁王門がありその先に長い階段が続き本堂へと無事到着です
一番のお参りを済ませ、納経所へと行きますがまだ戸が閉まっています
暫くして作務衣を着た若い方が戸を開けて今日のご朱印の書初めです
 
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不動明王を本尊としており本堂に安置された波切不動明王は
大師が唐から帰国の際、嵐にあって難破しそうになったとき不動明王が現れて
手にした宝剣で荒波を切り開いて難を救った姿を刻んだものといわれ
漁師さんたちの信仰を集めているそうです
 
 
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支配人のアドバイス通りに竜の浜の駐車場にドラゴンバスのバス停がみつかりました
7:34 発のバスを待ちます
ここは黄金大師のある三陽荘の駐車場のようです
龍温泉もあるようですね
 
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フェニックスの向こうには入り江が広がり港も見えます
 
 
 
 
コミュニュティバスのような中型の路線バスがやってきました
お客さんはあまり乗ってません
高岡高校通りで降りて道を探しながら歩きます
やっぱり靴擦れが痛みますが頑張りましょうね~~
 
大体の方向は定まったのですが遍路道表示がなかなか見当たらなくて遠回りしてしまいました
やっと表示をみつけて住宅地からくねくねと蜜柑畑を登るといきなり本堂に着きました
おかしいね?山門があるはずだけどといいながらも境内の大きな薬師如来様(高さ12m)に迎えられて
お参りをします 9:20
 
ご本尊は薬師如来様です、厄除けにご利益があるそうで「高岡のお大師さん」と呼ばれているそうです
安産祈願の寺でもあるので底のない柄杓を奉納されるそうです
ご本尊の薬師如来は檜の一本造りで国の重要文化財になっているそうです
 
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納経所のお庭には百合が咲いていました
高台から土佐の市街が一望です
 
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小腹が空いたので蒸しパンを半分こして水分を補給しお参りの済んだ36番さんへ出立です
あとはひたすら歩くのみです
遍路道に従って階段を下り始めるとなんと山門がありました
こちらからが正式だったんですね、、間違いではありませんし来た道を戻ることになるので
むしろ良かったのかもね、などと辻褄合わせです
 
 
 
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降りて行き始めて少ししたところの分岐で道を迷い(決して間違いではない)藪の中に入り込み
淋しい墓場を通り、人の踏み後を辿ってもと来た道のすぐ近くへ飛び出た
 
却って遍路道みたいだったわねなどと余裕を見せる
途中の坂道を一人の初老の女性が登ってこられて35番さんから36番さんへはこの道を打ち戻るしか
無いですかと声をかけられる
私たちは迷って違う方向からきたのでその道へ行けば戻らなくても済むかもしれないけど結局は
同じところへ戻るので遠回りになるでしょうと答え暫くお話をさせていただく
彼女は宮崎の方で2回ほどこの10年で周って今度が3回目だそうだ
今までは通しては来れなかったけれどやっと通しで周れる日がきたのでと
37番さんをスタートして時計回りでいよいよラストの歩きだとおっしゃる、69歳の元気な女性だ
これを聞いて俄然希望を持った、ワタシにも出来ると確信する
 
お元気に結願してくださいといい別れて先に進む
 
土佐市街地を何度も何度も地図とニラメッコしながら宇佐への道を確認して
お遍路さんの休みどころとかかれたコンビニのベンチで昼食のおにぎりを仕入れる
 
石票がやっと現れホットするが、この暑さはなんなんだい??
帽子を被っても暑くて首に巻いたタオルで汗を拭う始末だ
何あと6キロ
じゃもう少し歩いてどこか木陰でお昼にしましょう
 
 
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途中で地元の日曜市が開かれていて覘いてみた
 
鮪の頭、¥400ですって!!
 
 
昨夜購入した「四国遍路ひとり歩き同行二人」のガイドブックを頼りに歩く
が、暑くて暑くてもうおしゃべりもする元気が出ない
中華料理屋さんがあるみたいだからそこでお昼にしてちょっと涼む算段にして
頑張って着いたがなんと!!お店は閉店していて売り物件の札が下がっている
峠に差し掛かってきたのでもう少し頑張って陰になるところでと言いながら歩いて行くと
立派なトイレのある休憩所があった
先客もあったが構わず東屋のベンチで靴を脱ぎ靴下も脱ぎ足を休める
できれば水車の繰り出す水に浸したいくらい 12:40
 
 
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暫く休憩しておにぎりを食べて水分もたっぷり補給して
アスファルト道に別れ峠を越えることにした
 
 
 
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足が軽くなったのと山道になったのとで登りも息を切らす事無く調子よく歩く
 
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峠を下りきり前を歩いておられる元気なお爺さんに浜へ行く道を案内してもらい無事に宇佐大橋にたどり着く
 
橋が出来るまでは渡しがあったようだ
 
橋の上からの眺めはいいが下を見るとその高さに目が眩みそうになる  14:20
 
ここで今日の歩きの終止符の決断を下しpatoさんに相談する
今朝の竜のバス停まで戻って後まだ予定の須崎までは22キロもあるのであと一日かかることになる
なので竜の浜で終わりにして龍温泉に入って、またドラゴンバスで土佐に戻りそこから高知行きのバスで
高知駅まで出ましょう
彼女も相当疲れていると思われるのでここは強くそうしましょうと伝える
話がまとまりラストウォーキングへと橋を渡り切る
 
 
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渡りきって直ぐに30分の急な坂道だけど旧遍路道の道標に
二人とも車道よりも、と意気投合!!あと30分頑張ろう!!  14:35
 
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峠の頂上からは宇佐湾が見え隠れし登りきると結構広い山道になっていて
落ち葉の絨毯を踏みしめて下る
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 18心なしかpatoさんは
うきうきしている様に見える
 
 
 
着きましたよ~~ 15:00
降り着くと
地元のオバチャマ達が井戸端会議中で
私たちに「山から降りてきたんな?
ワタシラ(オバチャマ達)小さい頃は良く
通ったけどもう何十年も行かんなぁ」と
笑顔で声かけて「気いつけて行きや~」
と見送ってくれる
すると!!!
 
あの35番の坂道で会った宮崎の女性が前方を歩いている、、、、、
さすが!!三回目、、、早~い!!
彼女は今晩国民宿舎にお泊りなのであの坂道を登って行くのだ
 
私たちには気付かずに先を急いで行ってしまわれた
 
36番さんへの道を今朝来たところまで戻り三陽荘へと向かう
この36番さんの山門の階段で鍛えて横綱にまで上り詰めたモンゴル出身の力士がいましたよね
彼が留学していた高校も近いです
 
 
黄金大師のおられる三陽荘の日帰り入浴が出来たのでユックリと露天風呂につかり
汗を流して足もいたわってあげました
露天風呂も日替わりで男女の湯が交代しちょうどこの日は女性の為に解放されていてラッキーでした
 
 
 
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お風呂に入り帰り支度をしてバスの時間まで海岸を散歩して記念撮影の一枚です  16:25
 
 
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次回はここから長~い歩きのスタートです
 
ドラゴンバスに乗って東芝というバス停で高知行きのバスに乗り換えて
高知駅に戻り荷物は駅のロッカーに預けて高知の駅前で夕食をしようと繰り出しましたが
二人ともお酒を嗜みませんので駅前にはちょっとしたお店が見当たらなくて
結局、はりまや橋まで歩いてあの「ひろめ市場」に向かいました
先日とは打って変わって人が一杯で座るところがなく唯一席が空いていた串カツやさんで
おすすめ串カツセット ¥580をいただきました
18:40
 
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駅のバス待合室で3時間も居眠りながら23:00発の最終の夜行を待って
大阪へと帰りました
 
 
 
 
今回も一年ぶりにpatoさんと結構きつい行程を頑張って歩いたのですが
安易に計画した日程は一日分歩くことが出来ませんでした
 
今後の計画には道の確認で手間取ることを頭に入れて練らないといけません
そして足のマメ対策をしっかりしないと歩けません
 
加えて、今回は幸いなことに一日だけ、それもほんの1時間ほどの雨に会っただけでしたが
お天気によって左右されることも
 
 
 
次月は二人の休日の予定が会わなくて残念ですがお休みです
 
もしかして一人で出かけるかも知れません
 
 
 
 

 
 

高山街道の古建築を訪ねる

2010-11-30 00:22:24 | 今日はいずこへ?
2010.11.27(土
 
タイトルに魅かれないはずがないでしょ??
 
高山街道といえば生駒市の北端にある茶筅の里です
 
てっきりその茶筅の里をじっくりと歩いて周るのだと思って学園前から奈交の観光バスに乗ったのです
 
するとなにやらむずかしいレジュメを配布されて表紙を見て、、、、
 
はれれ~~~!しまったぁ~~!!
 
そんでもここで尻尾巻いて帰る訳にも行かず解らないながら教授の説明をしっかりと聞いて
 
少~~しだけ聴講生の気分に浸ることにしました
 
 
 
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赤、緑、青、と、もっともらしく書き込みしてますが
今ではさっぱり記憶のるつぼ
2ページあります
 
 
 
先ず、訪ねたのは高山八幡宮
茶筅の里はここからさらに北へ行かないとならないようですが
本日は茶筅の里へは参りません
 
古建築の何を学ぶのでしょう?
教授は「神社の建築」「浄土真宗寺院の建築史的研究」などの著書があります
ワタシは知りませんでした
 
さて、始まります講義、ついていけるかな??
 
この高山の茶筅の無足人座という別格の宮座として続いたもとの鷹山城主の鷹山氏の名が
社殿の棟札にも残されている
棟札により元亀3年(1572)の建立と判明している
三間社流造・檜皮葺の本殿が静かに佇む、かえる股や紅梁に室町時代の
特色が見られる・・・・・・・・・・・
先生、もうギブアップですので後ろでおとなしくお聞きしまぁ~す
 
 
 
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この紅葉きれいだね~~
 
 
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続いてバスに乗って着いたところは
大和十三分仏参りでも知られており紫陽花の頃は花の寺としても知られる
長弓寺
 
寺伝によれば聖武天皇が鳥見郷の名族真弓長弓を道案内にして狩を楽しんでいたとき
息子の長麻呂の流れ矢にあたって長弓が死んだ、天皇は長弓の死を哀れんで行基に命じて
寺を建立させたと伝えるが、藤原良継建立したとする説など諸説がある
 
本堂は国宝で、下から見上げると翼を広げたような檜皮葺の優美な曲線の入母屋造
桁行5間・梁間6間で正面に1間向拝を付ける
棟木に弘安2年(1279)の銘があり建立年代がわかる、和様に大仏様、禅宗様を加え外観は
バランスの取れた優美な建物で内部は構架を見せた豪快な手法をとる
厨子内に藤原初期の一木造りの木造十一面観音立像を中心に、左右に釈迦と阿弥陀を安置する
十一面の頂部の仏面は行基が天皇の弓に彫ったと伝える
 
 
 
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檜皮葺はなんとか理解しましたが、和様、大仏様、禅宗様・・・・・ワカリマセン・・・・
 
 
富雄川に沿って南下して行きますと
 
次なるお寺、霊山寺
 
矢田丘陵の北端にありバラ園でも知られる
聖武天皇の勅願によって創建された古寺で大仏開眼の導師を務めた僧、菩提遷那を開基とする
 
本堂は国宝で入母屋造、棟札により弘安6年(1283)の建立とわかる
桁行5間・梁間6間で正面に1間向拝を付けた本瓦葺の建物である、向拝の扱い方には特徴がある
長弓寺とともに鎌倉時代中期の密教寺院本堂の代表的な遺構である
本尊は木造薬師如来と両脇侍像は重文で藤原時代の作、他に木造十一面観音立像や十二神将立像(重文)
などを安置する
三重塔は増長天台座銘から室町の文和5年(1356)の建立と判明し檜皮葺の軽やかな姿の塔である
内部には極彩色を残す
この他に鎮守の十六所神社があり、本殿を中心に境内社の住吉・竜王神社の春日造の各本殿が並列する
 
 
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先生が先ほどの長弓寺で問題提起されていた霊山寺との本堂の内部の違いを
解析しなければなりません
 
注意して天井を見上げ下陣、内陣、見回し特徴をイメージします
はっきりとした違いがわかりますがどのように説明したらいいのか様式の名称すら知りません
 
先生は食事の後で明かしますとおっしゃいました
 
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三重塔は檜皮の葺き変えや修復中で薦をかぶっていました
 
 
 
 
 
春日造りの十六所神社
 
 
 
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紅葉にばかり目が行きます
 
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ご本尊は薬師如来様です
その開山当初より薬湯があり施薬院もあったようです
 
以前、孫息子と二人で伊勢本街道を暗峠越えして歩きくたびれて入湯して帰った事があります
十三仏参りに花の季節に訪れて入湯もしました
¥600で日帰り入浴させていただけます
 
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さてさて美味しい昼食もいただき、薔薇の花を堪能して
ちょっとトイレが長くなって集合時間ぎりぎりにバスに戻ると
ワタシが最後で
先生が先ほどの問題の解析を終わっていました
 
正しい解答は得られず終いですが天井と内陣、脇陣の違いは確かです
 
いい加減なワタシは先生に確認もしなければ隣の方に聞くこともしません
 
 
 
次のお寺は
 
円福寺
 
富雄の里から生駒へとトンネルを抜けて生駒谷を見下ろす高台にありました
 
寺伝によれば天平勝宝年間(749~757)に創建されたとある
本堂は三間四方の村堂で組物は三斗組・中備は間斗束で本尊に阿弥陀如三尊像を祀る
入母屋造・本瓦葺で南北朝時代の応安4年(1371)に建立されたことが来迎壁額縁墨書から判明している
堂内は落ち着いた和様の空間で屋根の勾配が緩やか軒廻りも軽快な建物である
本堂の前には重文の鎌倉時代の美しい形の宝況篋印塔が2基ある
 
 
 
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誰かが生駒の高台??もしかして近くにあの漫才夫婦の方のお宅があるのかしら??
 
でもこのツアーの方々はそれ以上は口にされません
 
 
 
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生駒の山上の鉄塔も見える高台の住宅街を大型バスが行きますので
狭い生活道を対向車はバックを余儀なくされます
路肩10cmを残して畑の立ち木でミラーをこすりながらもカーブをうまく切り抜けて
むかい山公園にバスを置いてハイキングコースの一部を片道800mほどを歩いて
着いたのが今日の最終観覧建築物の
 
宝幢寺
 
 
鳴川峠への生駒からの登り口辺りに寺の屋根が見えてくる
当山の沿革史によると行基と関係の深い生馬寺の総称の中のひとつの寺であったという
正史に登場するのは嘉吉元年(1441)の興福寺官務牃疏である
本堂は桁行・梁行ともに5間の規模で、入母屋造、本瓦葺の建物である
本尊は地蔵菩薩像を祀り、建立年代は室町時代前期とされ細部にその特徴がみられ
堂内は和様である、外部では長押を使用せず格天上で内陣は折り上げ、四天柱内の黒漆塗須弥壇は
その造りが優れ絵画がかろうじて残る、脇陣は化粧屋根裏である
 
 
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これで本日の聴講はお終い!!
 
文章はすべて
大谷大学客員教授
 
櫻井  敏雄先生のプリントからでした
 
 
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最後のご挨拶で添乗員さんが
このツアーの参加者は奈良ソムリエ検定の受講認定も兼ねていますと説明されて
終了証を対象者に渡しておられました
 
はい~~難しい講義内容というか全く予備知識のないワタシが参加するのが
お恥ずかしいことでした
 
 
でも、楽しかったです
これからのお四国の遍路巡りの興味がまたひとつ増えましたもの
 
 
 
 
もぐりの聴講体験でした~~~
 
オシマイ