2010.11.27(土)
タイトルに魅かれないはずがないでしょ??
高山街道といえば生駒市の北端にある茶筅の里です
てっきりその茶筅の里をじっくりと歩いて周るのだと思って学園前から奈交の観光バスに乗ったのです
するとなにやらむずかしいレジュメを配布されて表紙を見て、、、、
はれれ~~~!しまったぁ~~!!
そんでもここで尻尾巻いて帰る訳にも行かず解らないながら教授の説明をしっかりと聞いて
少~~しだけ聴講生の気分に浸ることにしました
![イメージ 1](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_0?1291084016)
赤、緑、青、と、もっともらしく書き込みしてますが
今ではさっぱり記憶のるつぼ
2ページあります
先ず、訪ねたのは高山八幡宮
茶筅の里はここからさらに北へ行かないとならないようですが
本日は茶筅の里へは参りません
古建築の何を学ぶのでしょう?
教授は「神社の建築」「浄土真宗寺院の建築史的研究」などの著書があります
ワタシは知りませんでした
さて、始まります講義、ついていけるかな??
この高山の茶筅の無足人座という別格の宮座として続いたもとの鷹山城主の鷹山氏の名が
社殿の棟札にも残されている
棟札により元亀3年(1572)の建立と判明している
三間社流造・檜皮葺の本殿が静かに佇む、かえる股や紅梁に室町時代の
特色が見られる・・・・・・・・・・・
先生、もうギブアップですので後ろでおとなしくお聞きしまぁ~す![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0206.gif)
![イメージ 2](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_1?1291084016)
![イメージ 13](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_12?1291084016)
この紅葉きれいだね~~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
![イメージ 16](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_15?1291084016)
続いてバスに乗って着いたところは
大和十三分仏参りでも知られており紫陽花の頃は花の寺としても知られる
長弓寺
寺伝によれば聖武天皇が鳥見郷の名族真弓長弓を道案内にして狩を楽しんでいたとき
息子の長麻呂の流れ矢にあたって長弓が死んだ、天皇は長弓の死を哀れんで行基に命じて
寺を建立させたと伝えるが、藤原良継建立したとする説など諸説がある
本堂は国宝で、下から見上げると翼を広げたような檜皮葺の優美な曲線の入母屋造
桁行5間・梁間6間で正面に1間向拝を付ける
棟木に弘安2年(1279)の銘があり建立年代がわかる、和様に大仏様、禅宗様を加え外観は
バランスの取れた優美な建物で内部は構架を見せた豪快な手法をとる
厨子内に藤原初期の一木造りの木造十一面観音立像を中心に、左右に釈迦と阿弥陀を安置する
十一面の頂部の仏面は行基が天皇の弓に彫ったと伝える
![イメージ 17](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_16?1291084016)
檜皮葺はなんとか理解しましたが、和様、大仏様、禅宗様・・・・・ワカリマセン・・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
富雄川に沿って南下して行きますと
次なるお寺、霊山寺
矢田丘陵の北端にありバラ園でも知られる
聖武天皇の勅願によって創建された古寺で大仏開眼の導師を務めた僧、菩提遷那を開基とする
本堂は国宝で入母屋造、棟札により弘安6年(1283)の建立とわかる
桁行5間・梁間6間で正面に1間向拝を付けた本瓦葺の建物である、向拝の扱い方には特徴がある
長弓寺とともに鎌倉時代中期の密教寺院本堂の代表的な遺構である
本尊は木造薬師如来と両脇侍像は重文で藤原時代の作、他に木造十一面観音立像や十二神将立像(重文)
などを安置する
三重塔は増長天台座銘から室町の文和5年(1356)の建立と判明し檜皮葺の軽やかな姿の塔である
内部には極彩色を残す
この他に鎮守の十六所神社があり、本殿を中心に境内社の住吉・竜王神社の春日造の各本殿が並列する
![イメージ 18](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_17?1291084016)
先生が先ほどの長弓寺で問題提起されていた霊山寺との本堂の内部の違いを
解析しなければなりません
注意して天井を見上げ下陣、内陣、見回し特徴をイメージします
はっきりとした違いがわかりますがどのように説明したらいいのか様式の名称すら知りません
先生は食事の後で明かしますとおっしゃいました
![イメージ 19](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_18?1291084016)
![イメージ 20](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_19?1291084016)
三重塔は檜皮の葺き変えや修復中で薦をかぶっていました
春日造りの十六所神社
![イメージ 9](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_8?1291084016)
紅葉にばかり目が行きます
![イメージ 21](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_20?1291084016)
![イメージ 22](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_21?1291084016)
![イメージ 3](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_2?1291084016)
![イメージ 4](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_3?1291084016)
ご本尊は薬師如来様です
その開山当初より薬湯があり施薬院もあったようです
以前、孫息子と二人で伊勢本街道を暗峠越えして歩きくたびれて入湯して帰った事があります
十三仏参りに花の季節に訪れて入湯もしました
¥600で日帰り入浴させていただけます
![イメージ 5](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_4?1291084016)
さてさて美味しい昼食もいただき、薔薇の花を堪能して
ちょっとトイレが長くなって集合時間ぎりぎりにバスに戻ると
ワタシが最後で
先生が先ほどの問題の解析を終わっていました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0210.gif)
正しい解答は得られず終いですが天井と内陣、脇陣の違いは確かです
いい加減なワタシは先生に確認もしなければ隣の方に聞くこともしません
次のお寺は
円福寺
富雄の里から生駒へとトンネルを抜けて生駒谷を見下ろす高台にありました
寺伝によれば天平勝宝年間(749~757)に創建されたとある
本堂は三間四方の村堂で組物は三斗組・中備は間斗束で本尊に阿弥陀如三尊像を祀る
入母屋造・本瓦葺で南北朝時代の応安4年(1371)に建立されたことが来迎壁額縁墨書から判明している
堂内は落ち着いた和様の空間で屋根の勾配が緩やか軒廻りも軽快な建物である
本堂の前には重文の鎌倉時代の美しい形の宝況篋印塔が2基ある
![イメージ 6](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_5?1291084016)
![イメージ 7](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_6?1291084016)
誰かが生駒の高台??もしかして近くにあの漫才夫婦の方のお宅があるのかしら??
でもこのツアーの方々はそれ以上は口にされません
![イメージ 15](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_14?1291084016)
生駒の山上の鉄塔も見える高台の住宅街を大型バスが行きますので
狭い生活道を対向車はバックを余儀なくされます
路肩10cmを残して畑の立ち木でミラーをこすりながらもカーブをうまく切り抜けて
むかい山公園にバスを置いてハイキングコースの一部を片道800mほどを歩いて
着いたのが今日の最終観覧建築物の
宝幢寺
鳴川峠への生駒からの登り口辺りに寺の屋根が見えてくる
当山の沿革史によると行基と関係の深い生馬寺の総称の中のひとつの寺であったという
正史に登場するのは嘉吉元年(1441)の興福寺官務牃疏である
本堂は桁行・梁行ともに5間の規模で、入母屋造、本瓦葺の建物である
本尊は地蔵菩薩像を祀り、建立年代は室町時代前期とされ細部にその特徴がみられ
堂内は和様である、外部では長押を使用せず格天上で内陣は折り上げ、四天柱内の黒漆塗須弥壇は
その造りが優れ絵画がかろうじて残る、脇陣は化粧屋根裏である
![イメージ 8](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_7?1291084016)
これで本日の聴講はお終い!!
文章はすべて
大谷大学客員教授
櫻井 敏雄先生のプリントからでした
![イメージ 10](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_9?1291084016)
![イメージ 11](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_10?1291084016)
![イメージ 12](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_11?1291084016)
![イメージ 14](https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-6a-08/otakeba_ba0707/folder/451403/66/6207466/img_13?1291084016)
最後のご挨拶で添乗員さんが
このツアーの参加者は奈良ソムリエ検定の受講認定も兼ねていますと説明されて
終了証を対象者に渡しておられました
はい~~難しい講義内容というか全く予備知識のないワタシが参加するのが
お恥ずかしいことでした
でも、楽しかったです
これからのお四国の遍路巡りの興味がまたひとつ増えましたもの
もぐりの聴講体験でした~~~
オシマイ
タイトルに魅かれないはずがないでしょ??
高山街道といえば生駒市の北端にある茶筅の里です
てっきりその茶筅の里をじっくりと歩いて周るのだと思って学園前から奈交の観光バスに乗ったのです
するとなにやらむずかしいレジュメを配布されて表紙を見て、、、、
はれれ~~~!しまったぁ~~!!
そんでもここで尻尾巻いて帰る訳にも行かず解らないながら教授の説明をしっかりと聞いて
少~~しだけ聴講生の気分に浸ることにしました
赤、緑、青、と、もっともらしく書き込みしてますが
今ではさっぱり記憶のるつぼ
2ページあります
先ず、訪ねたのは高山八幡宮
茶筅の里はここからさらに北へ行かないとならないようですが
本日は茶筅の里へは参りません
古建築の何を学ぶのでしょう?
教授は「神社の建築」「浄土真宗寺院の建築史的研究」などの著書があります
ワタシは知りませんでした
さて、始まります講義、ついていけるかな??
この高山の茶筅の無足人座という別格の宮座として続いたもとの鷹山城主の鷹山氏の名が
社殿の棟札にも残されている
棟札により元亀3年(1572)の建立と判明している
三間社流造・檜皮葺の本殿が静かに佇む、かえる股や紅梁に室町時代の
特色が見られる・・・・・・・・・・・
先生、もうギブアップですので後ろでおとなしくお聞きしまぁ~す
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0206.gif)
この紅葉きれいだね~~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
続いてバスに乗って着いたところは
大和十三分仏参りでも知られており紫陽花の頃は花の寺としても知られる
長弓寺
寺伝によれば聖武天皇が鳥見郷の名族真弓長弓を道案内にして狩を楽しんでいたとき
息子の長麻呂の流れ矢にあたって長弓が死んだ、天皇は長弓の死を哀れんで行基に命じて
寺を建立させたと伝えるが、藤原良継建立したとする説など諸説がある
本堂は国宝で、下から見上げると翼を広げたような檜皮葺の優美な曲線の入母屋造
桁行5間・梁間6間で正面に1間向拝を付ける
棟木に弘安2年(1279)の銘があり建立年代がわかる、和様に大仏様、禅宗様を加え外観は
バランスの取れた優美な建物で内部は構架を見せた豪快な手法をとる
厨子内に藤原初期の一木造りの木造十一面観音立像を中心に、左右に釈迦と阿弥陀を安置する
十一面の頂部の仏面は行基が天皇の弓に彫ったと伝える
檜皮葺はなんとか理解しましたが、和様、大仏様、禅宗様・・・・・ワカリマセン・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
富雄川に沿って南下して行きますと
次なるお寺、霊山寺
矢田丘陵の北端にありバラ園でも知られる
聖武天皇の勅願によって創建された古寺で大仏開眼の導師を務めた僧、菩提遷那を開基とする
本堂は国宝で入母屋造、棟札により弘安6年(1283)の建立とわかる
桁行5間・梁間6間で正面に1間向拝を付けた本瓦葺の建物である、向拝の扱い方には特徴がある
長弓寺とともに鎌倉時代中期の密教寺院本堂の代表的な遺構である
本尊は木造薬師如来と両脇侍像は重文で藤原時代の作、他に木造十一面観音立像や十二神将立像(重文)
などを安置する
三重塔は増長天台座銘から室町の文和5年(1356)の建立と判明し檜皮葺の軽やかな姿の塔である
内部には極彩色を残す
この他に鎮守の十六所神社があり、本殿を中心に境内社の住吉・竜王神社の春日造の各本殿が並列する
先生が先ほどの長弓寺で問題提起されていた霊山寺との本堂の内部の違いを
解析しなければなりません
注意して天井を見上げ下陣、内陣、見回し特徴をイメージします
はっきりとした違いがわかりますがどのように説明したらいいのか様式の名称すら知りません
先生は食事の後で明かしますとおっしゃいました
三重塔は檜皮の葺き変えや修復中で薦をかぶっていました
春日造りの十六所神社
紅葉にばかり目が行きます
ご本尊は薬師如来様です
その開山当初より薬湯があり施薬院もあったようです
以前、孫息子と二人で伊勢本街道を暗峠越えして歩きくたびれて入湯して帰った事があります
十三仏参りに花の季節に訪れて入湯もしました
¥600で日帰り入浴させていただけます
さてさて美味しい昼食もいただき、薔薇の花を堪能して
ちょっとトイレが長くなって集合時間ぎりぎりにバスに戻ると
ワタシが最後で
先生が先ほどの問題の解析を終わっていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0210.gif)
正しい解答は得られず終いですが天井と内陣、脇陣の違いは確かです
いい加減なワタシは先生に確認もしなければ隣の方に聞くこともしません
次のお寺は
円福寺
富雄の里から生駒へとトンネルを抜けて生駒谷を見下ろす高台にありました
寺伝によれば天平勝宝年間(749~757)に創建されたとある
本堂は三間四方の村堂で組物は三斗組・中備は間斗束で本尊に阿弥陀如三尊像を祀る
入母屋造・本瓦葺で南北朝時代の応安4年(1371)に建立されたことが来迎壁額縁墨書から判明している
堂内は落ち着いた和様の空間で屋根の勾配が緩やか軒廻りも軽快な建物である
本堂の前には重文の鎌倉時代の美しい形の宝況篋印塔が2基ある
誰かが生駒の高台??もしかして近くにあの漫才夫婦の方のお宅があるのかしら??
でもこのツアーの方々はそれ以上は口にされません
生駒の山上の鉄塔も見える高台の住宅街を大型バスが行きますので
狭い生活道を対向車はバックを余儀なくされます
路肩10cmを残して畑の立ち木でミラーをこすりながらもカーブをうまく切り抜けて
むかい山公園にバスを置いてハイキングコースの一部を片道800mほどを歩いて
着いたのが今日の最終観覧建築物の
宝幢寺
鳴川峠への生駒からの登り口辺りに寺の屋根が見えてくる
当山の沿革史によると行基と関係の深い生馬寺の総称の中のひとつの寺であったという
正史に登場するのは嘉吉元年(1441)の興福寺官務牃疏である
本堂は桁行・梁行ともに5間の規模で、入母屋造、本瓦葺の建物である
本尊は地蔵菩薩像を祀り、建立年代は室町時代前期とされ細部にその特徴がみられ
堂内は和様である、外部では長押を使用せず格天上で内陣は折り上げ、四天柱内の黒漆塗須弥壇は
その造りが優れ絵画がかろうじて残る、脇陣は化粧屋根裏である
これで本日の聴講はお終い!!
文章はすべて
大谷大学客員教授
櫻井 敏雄先生のプリントからでした
最後のご挨拶で添乗員さんが
このツアーの参加者は奈良ソムリエ検定の受講認定も兼ねていますと説明されて
終了証を対象者に渡しておられました
はい~~難しい講義内容というか全く予備知識のないワタシが参加するのが
お恥ずかしいことでした
でも、楽しかったです
これからのお四国の遍路巡りの興味がまたひとつ増えましたもの
もぐりの聴講体験でした~~~
オシマイ
ニャアも全くあきまへん!でも~こういうツアーって何だか分かった気になるから面白いです
お寺や神社に行ったらつい見回してしまうかも?ですね!!
起きてるの~~(笑)
きっと、かえる股や軒の反りの具合や垂木やなどフムフムと見るでしょう(^^)
でも、この記事を拝見して、「一度参加しようかな…」と思いました♪
今のところは村内ウロウロが多いですが(^^ゞ
熊野に来られるんですね(^^)
楽しんでください (・∀-★))ネw♪
どちらかというと一人で歩きたいのですが目的地までなかなか公共の交通機関しか利用できないワタシはこんなツアーを探して一人参加するしかないので、、、
奈交にアピールしますので下北山の眠れる史跡や伝統行事などがあればお教えくださいませ~~(^^)
これだけ見学出来るのはツアーの良さですよ。
単独では、行く気になりません。一、二箇所廻るぐらいですね。
長弓寺と霊山寺は訪ねたことがあるんですがあとは名前も初めて知りました
だから奈交のバスツアーは止められないんですよ~~(笑)
霊山寺にはゴルフ場もありますよ(^^)打ち放しだけかな?
一応 建築屋なんで若い時は勉強の為に色んな建築物をよく見に行ったもんですがねぇ~
今じゃ~違う角度から見てしまいますわ♪
教授がおっしゃてました
立派な建物は外か内かのいずれかに重きをおかないと出来ないそうです
両方を立派にしようとすればソコソコの物しか出来ないのだそうです
屋根の反りなんかの計算も昔の人は気付かれないように優美に仕上げてるんですよね~~(感)
さんきらも、多分アクビ連発、紅葉に目が行ったろうなぁ~
偉い~~~廻ったお寺の名前覚えて結局は巡礼の興味がまた増えたとか・・・凄い~勉強家だわ^^。