2012.03.07(水)
本日は格安の富田林市観光協会主催の観光ツアーに参加してきました
はいはい、その通り、千早赤阪村、富田林、河内長野の歴史を尋ねて随所を
観光バスで足早に巡ってきました
写真は撮ったものの、生憎の曇り空と同じく学んだことも一日もたたないのに霞の彼方であります
細切れで思い出したようにUPして行くかも??
先ずは昼食後に訪れた名刹<<楠妣庵観音寺>>
‘なんぴあん’とお読みするそうです
千早赤阪村に隣接した富田林市に在りました
大楠公夫人が長男の正行を諭す場面の母子像が山門の前に
こちらは最初に訪れた千早赤阪村立郷土資料館の前に立つ大楠公と小楠公の像
南北朝時代を駆け抜けた親子の在り方を垣間見て現世の温(ぬる)さを知るのでした
本日は格安の富田林市観光協会主催の観光ツアーに参加してきました
はいはい、その通り、千早赤阪村、富田林、河内長野の歴史を尋ねて随所を
観光バスで足早に巡ってきました
写真は撮ったものの、生憎の曇り空と同じく学んだことも一日もたたないのに霞の彼方であります
細切れで思い出したようにUPして行くかも??
先ずは昼食後に訪れた名刹<<楠妣庵観音寺>>
‘なんぴあん’とお読みするそうです
千早赤阪村に隣接した富田林市に在りました
大楠公夫人が長男の正行を諭す場面の母子像が山門の前に
こちらは最初に訪れた千早赤阪村立郷土資料館の前に立つ大楠公と小楠公の像
南北朝時代を駆け抜けた親子の在り方を垣間見て現世の温(ぬる)さを知るのでした
地元で生まれ育った人でも詳しくは知らないことが多いです
あまりにも当たり前に生まれた時から縁の寺社仏閣、墓石、古城があると興味が違うところへ行きますものね
何故かワタシも「桜井の子別れ」の歌や小楠公の「四条畷」が途切れ途切れながら口ずさめるのです(^^;
南朝の哀れと親子の絆かな・物哀しいのです
コメントありがとう
そちらの観音寺はカンオンジと読みますものね
機会があれば訪ねてみたいです。
楠公というと「青葉茂れる桜井の、里のわたりの夕まぐれ~」という唱歌を子供のころ聞いた記憶があります。
何か日本人の心を感じて意味わからずに今でも少し覚えています。
名前一つにしても奥が深いですよね。。
いいところですよ~~
もう受験生もないので一度ゆっくり巡ってくださいね~
戦後の教育ではすっかり蔭を潜めた道徳の在り方かも?
それぞれの地元には名も知れぬ英雄が輩出していますから、なかなか
地方のことまでは興味の度合いが浅ければ知る由もないと思います
そういうワタシも親には反抗しましたが(^^;
お蔭で子供には良い手本になれず説得などもってのほかでした(;;)
朝廷を守護した(南朝方)から皇居前にあるのでしょうね~
どうして「楠公=なんこう」と読むのかなんとなく歯切れが良いですか??ね(笑)
桜井の子別れというので奈良県の桜井市かと思いますが、現在の大阪府茨木市のようです
岐阜県とは深いご縁があるようでこの夫人が草庵を結ばれた地に観音寺を再興されたのも岐阜県の実業家の方だそうです
大正時代にに私財を投げ打って再興され軍人との縁で以来、時の元帥達も訪れておられるようです
是非一度お訪ね下さいね~
関東からいつも関西へお越しくださって光栄です
信貴山は広大な寺領でユニークな場所です
しっかりと修行なさってね
大楠公?はて?さて? 考え込みました
勉強不足で申し訳ないです
しっかり頭にたたみこんでおきます(笑)
今の時代こんな風景は無くなってしまいましたね。
↑、やはり皇居前の銅像を思い出しますね、
で見たのを思い出しました。桜井市にこんなのがあるの
ですね。正成の先生の「滝覚坊」現、高山市の出身で、
少し興味をもています。一度行って見たいです。