2010.9.18(土)
14:20 朝来の駅で休憩して今日の後半戦のスタート
口熊野と呼ばれるこの辺りの鎮守様、櫟原神社を左に見て進むと河原に出てきました
富田川にかかる山王橋、大水になると橋の上まで水が被り見えなくなる潜水橋です
四国にある沈下橋と同じですかね、、
田辺市の上富田に別れて白浜に入ってきました
富田川に沿って長閑な田んぼ道を歩き始めます
道の別れ路には榎の大木の下に庚申さんが祀られています
いろんな説があり古街道には多々見られます
自分の居住地区への外部侵入を見守り内部からの重要事項の漏れを願っていたとか
右後方に見える語り部さんの言葉をお借りして
女性の乳房見えます??お山は分領山でその昔山頂で賭博が開かれていたそうです、、何故ってお山には幾筋もの逃げ道があって手入れの時は一目散だったとか~~
山の間には綺麗な滝があるそうです、、気が魅かれます
道は砥石の原料を昭和30年代頃まで切り出していたという地帯を進みます
磨崖仏もありました
暫く田んぼ道を行くと地元の方が大事にお参りされている大日堂に着きました
その祠はこんな立派な岩が守っていました
虫食岩
恐らく海底もしくはこの辺りまで海だったのでしょうか?
富田川は蛇行しており大水や地震の時の津波で度々大洪水となったようで北富田小学校の校舎の壁には
二階までの水位が記されていました
川に沿って進むと左手に小さな馬頭観音様が祀られています、珍しく頭にお馬さんがいます
たまにJRA関係の方がお参りされるらしい??
最進んで行くと大鰻棲息地の看板が右にありました
2000年になっても1m80cm級の鰻が獲れたんですって!!
魚濫観音さんもありました、大鰻を持っておられましたが写真撮ってませんでした
この富田川には郵便橋があるそうですが今日のコースでは見ることができません
昔の郵便物を渡しで運んでいた時の名残だそうです
富田橋を右に見る辺りは十九淵(つづらふち)の地名が残っています
伝馬所があり馬が31頭もいたそうな
国道42号線を歩きます
日神社に寄り道休憩です
この辺りの富裕な方々の寄進で立派な石灯篭があります
なんでも有名な浪曲の語り手さんもこちらのご出身だったとかで立派なものが神社の前にありました
旧道に入り暫く里道を行くとお堂の中にお祀りされている石経地蔵さんが
ありました、お堂の扉を開けて拝観、最後の方はお閉めくださいね~~ 、ちゃんと添乗員さんが閉めてました
なつめの実??
こちらも?
ずーっと道案内版はなかったのですが
ここに来てやっとお目にかかりました~~~
本日のゴール~~
草堂寺に到着です 16:30
長澤蘆雪さんが描かれた襖絵があります
そしてこちらのお堂には立派な観音様が下関から京都のお寺を経てお出でになっているそうですが
国宝でも何でもないのにそれはそれは立派だそうです
お住職さんは死んでも譲らんとおっしゃっているとか・・・・・年に何回か法要が行われご開帳されるとのこと
見てみたい。。。。
さぁ~~~来月はこのお寺の右手から始まる
富田坂越え~~~です
楽しみ楽しみ:::::::
道端の名も知らぬ花に、古い木造の橋に、これからの古道歩きに胸弾ませながら
帰路のバスに乗りました
当然、白浜温泉には寄りませんのでバス車内で男性陣を締め出しお着替えです
泡の出る物が欲しい人の為に郵便橋の袂のコンビニに寄って帰ります
有田から和歌山は迂回路を通ってうとうと・・・ぐっすり・・zzzzz・・・岸和田SAに寄って
3人さんお帰り~~梅田へ急ぎます
21:00過ぎましたが電車はまだまだ便数があります
余裕での帰宅でした
来月からは歩くのも楽チンな季節、待ち遠しいなぁ~~~
14:20 朝来の駅で休憩して今日の後半戦のスタート
口熊野と呼ばれるこの辺りの鎮守様、櫟原神社を左に見て進むと河原に出てきました
富田川にかかる山王橋、大水になると橋の上まで水が被り見えなくなる潜水橋です
四国にある沈下橋と同じですかね、、
田辺市の上富田に別れて白浜に入ってきました
富田川に沿って長閑な田んぼ道を歩き始めます
道の別れ路には榎の大木の下に庚申さんが祀られています
いろんな説があり古街道には多々見られます
自分の居住地区への外部侵入を見守り内部からの重要事項の漏れを願っていたとか
右後方に見える語り部さんの言葉をお借りして
女性の乳房見えます??お山は分領山でその昔山頂で賭博が開かれていたそうです、、何故ってお山には幾筋もの逃げ道があって手入れの時は一目散だったとか~~
山の間には綺麗な滝があるそうです、、気が魅かれます
道は砥石の原料を昭和30年代頃まで切り出していたという地帯を進みます
磨崖仏もありました
暫く田んぼ道を行くと地元の方が大事にお参りされている大日堂に着きました
その祠はこんな立派な岩が守っていました
虫食岩
恐らく海底もしくはこの辺りまで海だったのでしょうか?
富田川は蛇行しており大水や地震の時の津波で度々大洪水となったようで北富田小学校の校舎の壁には
二階までの水位が記されていました
川に沿って進むと左手に小さな馬頭観音様が祀られています、珍しく頭にお馬さんがいます
たまにJRA関係の方がお参りされるらしい??
最進んで行くと大鰻棲息地の看板が右にありました
2000年になっても1m80cm級の鰻が獲れたんですって!!
魚濫観音さんもありました、大鰻を持っておられましたが写真撮ってませんでした
この富田川には郵便橋があるそうですが今日のコースでは見ることができません
昔の郵便物を渡しで運んでいた時の名残だそうです
富田橋を右に見る辺りは十九淵(つづらふち)の地名が残っています
伝馬所があり馬が31頭もいたそうな
国道42号線を歩きます
日神社に寄り道休憩です
この辺りの富裕な方々の寄進で立派な石灯篭があります
なんでも有名な浪曲の語り手さんもこちらのご出身だったとかで立派なものが神社の前にありました
旧道に入り暫く里道を行くとお堂の中にお祀りされている石経地蔵さんが
ありました、お堂の扉を開けて拝観、最後の方はお閉めくださいね~~ 、ちゃんと添乗員さんが閉めてました
なつめの実??
こちらも?
ずーっと道案内版はなかったのですが
ここに来てやっとお目にかかりました~~~
本日のゴール~~
草堂寺に到着です 16:30
長澤蘆雪さんが描かれた襖絵があります
そしてこちらのお堂には立派な観音様が下関から京都のお寺を経てお出でになっているそうですが
国宝でも何でもないのにそれはそれは立派だそうです
お住職さんは死んでも譲らんとおっしゃっているとか・・・・・年に何回か法要が行われご開帳されるとのこと
見てみたい。。。。
さぁ~~~来月はこのお寺の右手から始まる
富田坂越え~~~です
楽しみ楽しみ:::::::
道端の名も知らぬ花に、古い木造の橋に、これからの古道歩きに胸弾ませながら
帰路のバスに乗りました
当然、白浜温泉には寄りませんのでバス車内で男性陣を締め出しお着替えです
泡の出る物が欲しい人の為に郵便橋の袂のコンビニに寄って帰ります
有田から和歌山は迂回路を通ってうとうと・・・ぐっすり・・zzzzz・・・岸和田SAに寄って
3人さんお帰り~~梅田へ急ぎます
21:00過ぎましたが電車はまだまだ便数があります
余裕での帰宅でした
来月からは歩くのも楽チンな季節、待ち遠しいなぁ~~~
その内にと思いながら熊野古道は所々しか歩いたことないです。
行ける時にいっとかなくちゃ~~
枯れ木灘を歩いた時には 古の人々が こんな風に思いながら
歩いたんだろうなあと言う感想をぜひ書いて下さいね^^
最近「熊野古道」って、良く耳にします。
テレビでもこの古道を紹介していたような気がします。
歴史を感じながら、のんびりと歩いてみたい道ですね~♪
暑い~~一日でしたが木陰は以外に涼しかったです、、
炎天下は帽子よりも傘がいいそうで、語り部さんによっては奨励されます、帽子の時は中にタオルを被るといいようでワタシはそうしてお四国も歩いたりします
世界遺産の古道のみのチョイスのツアーは多いです
枯れ木灘絶唱ですね~~
乞うご期待、てとこです(^^)
どこかのBSでやってますよ~~(^^)
そちらには南総里見八犬伝の古道なんてないのですか~~・・・??
来月、中辺路を歩きますが、暑さがぶり返さないか心配です。
富田川にかかる潜水橋は、以前車の中から見たことがあります。
四万十川の沈下橋と一緒ですね^^
良い歩きをされていますね、私はへなちょこですが、いつかご一緒できれば嬉しいです。
中辺路は熊野古道歩きの最後にと考えています
ゴールで温泉三昧を楽しみたいので(笑)
いつかどこかでご一緒できるんじゃないでしょうか、、
熊野のプロの方ですか?
いや~恥ずかしい限りの幼稚さで語り部さんには申し訳なく思っています
あっちこっちのつまみ食いをしては歩いています
よろしければ今後ともお見知りおき下さいませ