あっちこっち歩いて楽しむおタケさん

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山に登ったかと思えばメタボな食事、お花、キノコ、いろいろ~

熊野古道・中辺路 (長尾坂~潮見峠~栗栖川)

2012-01-17 00:00:56 | 熊野古道・古座街道歩き
2012.01.14(土)
 
大阪梅田、JR大阪駅桜橋口 7:20
淀屋橋、難波、天王寺と集客して最後、阪和道岸和田SAで最後の4人を集客
ツアー開催のぎりぎり16人の参加
お陰さまでバス席は一人掛けでゆっくりと眠って行けます
 
着いたところは先月(もう去年になりますね~)歩き終えた長尾坂登り口
 
これから越える「潮見峠」のルートは近世に入って以降、熊野詣のルートの一つとして
賑わったそうだ
優雅に王子社を巡りながらの貴族の旅ではなく庶民の道としてショートカットのルートです
 
軽くストレッチして歩き始めましょう
 
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舗装道路ではあるが少しずつ道は登りになりやがて斜度がきつくなる
 
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直ぐに南無阿弥陀仏の六字名号碑に到着
 
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語り部さんが少し徳本上人について説明
蛇足で「トクホン湿布」の由来についても説明
一同、なるほどと合点
 
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かなり急坂を上り景色のいい長野(長尾)集落に差し掛かると庭先に蝋梅が咲いていた
 
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道の左下に見える集落は古城梅(ごじろうめ)の原木のある集落
那須与一の縁の地らしく苗字に那須さんが多いらしい
 
 
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一旦、急坂が終わり平坦な道を進むと関所後へとやってきた
紀州藩の関所があり通行税が徴収されていたのだろう
 
この先
右下には馬我野(ばがの)という地区があるらしい
南朝時代、大塔の宮が馬を放ちまるで自分の野原であるが如く喜び走り回った??忘れた^^
 
 
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左へ進むが先の台風で道が5mほど陥没、崩れて通れないので迂回する
 
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迂回して左後方にその台風の爪痕を見ると道路が完全になくなっている
生活道でもなかなか修復には時間がかかりそうだ
 
集落を外れきつい坂道になり一行から休憩はまだですかの声が
 
ようやく「ひるね茶屋」に到着してトイレと昼食休憩 11:35
 
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今日のお弁当はリュックに入れて持ち運びでしたので
コンパクト竹篭弁当 紀州名物「秋刀魚寿司」「めはり寿司」「紀州地鶏の唐揚げ」etc
地産地消に努めてます
 
 
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坂道をちょっと喘ぎながらここまで登ってきたので少し汗をかいていましたが
茶屋に到着すると冷たい風が吹きいっぺんに寒さが見に滲みます
 
お天気が快晴だと白浜から田辺湾が一望できるのですが、曇り空の下、霞んで見えません
 
水呑み峠と言われ昼寝権現様が祀られていたようだ
 
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ひるね茶屋の縁側で風除けしながらお昼を済ませ
じっとしていると寒いので早々に午後の部の歩きスタートです
また一段と鼻を着きそうな坂道を登り最高部の人家を過ぎて林道に出ます
林道が石畳に変わって少し登ったところで大きな杉の木に出会います 12:30
 
ほ~~~!これがあの清姫が安珍の逃げる姿を目撃しよじ登ってその悔しさに枝を捻って
己は蛇となり追いかけたという伝説の「捻木の杉」
 
根元には役の行者像と石仏が祀られています
 

 
 
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やがて石畳も終わり前方に槇山(795.8m)を見ながら道は山中へと入ります
 
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舗装道路も終わりやっと古道らしい道になり、進むに従い台風の傷跡が目立つようになりました
 
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直立の杉や桧がボキッと折れてまるでスサノオノミコトがへし折ったかの様な光景が広がっています
風神が怒ったのなら薙ぎ倒されているはずですものね
その異様なボキボキの柱を愕きながら右に見て広場に出ました
 
潮見峠です(標高550m) 13:15
 
秀吉の紀州攻めのおり地元の集落の連合軍との戦場となったところでもあります
 
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ここから一気に下ります
鍛冶屋川にかかる覗橋まで40分ぐらいでしょうか
 
アスファルトの林道は台風の後の国道311号線が通行止めの時、軽自動車で大渋滞したそうです
少しだけ杉林をショートカットして行きます
 
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語り部さんより先に行ってしまうオジサンに早すぎるよ~と注意しておきながら
一緒になっておしゃべりをしながら下ります
 
やっとこさで覗橋まで下ってきました
 
その逸話からは少しずれているであろうがこの覗橋の謂れは
平重盛(清盛の長子)が父清盛のワンマンな行いを鎮めんと熊野権現に詣で
帰りに立ち寄りふと淵を覗くと薄灰色の装束を纏った姿が見え、全てを悟った所と謂われているそうな
その後、都に戻った重盛は病に伏し亡くなったそうな~
和歌山城から23里の地点の一里塚跡碑が建っています
 
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当国一乱顕彰費、、、豊臣群との戦の記念碑 ??
 
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この道を左へと行けばいつしか、龍神へと通じているのです
日本三美人の湯のあるところですね~
 
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ここからは国道311号線の歩道を歩きます
歩道もなく危険なところは
旧道に入り市街地を抜けて行きます
 
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コミュニティセンターに到着!! 14:35
 

次回はここから霧の郷たかはらへと続きます
ですが~、去年の11月にこれより先、小広王子までは単独で歩いていますので
若干未踏のコースが残りますがパスです
 
その先の三越峠越えはまだ古道が復旧せず通行止めのようです
 
また時間があれば平安の人々が歩いた三栖王子~稲葉根王子~滝尻王子を歩いてみたいと思います
 
 
ゴールして整理のストレッチを済ませて
昨年の12月と同じ「弁慶の湯」で汗を流し、紀菜館に立ち寄り安くて美味しいミカンを買って帰りました