先日、NHKで、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなったトラップ一家のことが紹介されている番組を観ました。
一家の次女マリアさんのインタビューが主でした。
彼女は子供のころ、体が弱く学校に通えなかったので、父であるトラップ大佐がマリアさんのために家庭教師をつけたのでした。
それが名前も同じマリア先生だったのです。
修道女を志していた孤児のマリア先生でしたが、どうしても修道院の生活があわず、トラップ一家で家庭教師をしているうちに、子供たちに慕われ、トラップ大佐と結婚、一家を支える母親となったのです。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、描かれませんでしたが、トラップ家破産のときも、マリア先生のアイディアで、トラップ家の屋敷の各部屋を学生の下宿にあて生計を立てるなど、生活力たくましい女性だったようです。
テレビで映し出された写真のマリア先生は美人で、男性ならばこんな若くて美しい女性が来たら、結婚したくなるだろうなと思いました。
次女のマリアさんは最初、二人の結婚に反対だったそうです。ずっと、家庭教師のままでいてほしいと思ったそうです。
長女のかたは、同じ屋根の下で暮らすとなるとそういうわけにもいかないのだろうと納得していたそうです。
子供たちの一番上は、マリア先生と五歳しか離れていないルーベルトという名の長男の方で、軍人の家の長男でしたが、体育以外の勉強がとてもよくでき、将来は医者になりたがっていたそうです。
実際、アメリカにわたったあと戦争でヨーロッパ戦線にも送り出されましたが、戦後念願の医者となって余生を送ります。
私の推察ですが、母を若くして猩紅熱で失ったこともあり、そういう体験が彼を医者にと向かわせたのではと思います。
長女の方は渡米の後幼稚園の先生になりますが、これも私の推察ですが、幼い妹や弟、母となったマリア先生の生んだ子供たちの面倒を見ていたこともあって、そういう道へと向かわせたのでしょうか。
次女マリアさんは、ザルツブルク時代、モーツァルテウムに通い、ヘルベルト・フォン・カラヤンとも顔なじみだったとか。
マリアさんは渡米の後、パプア・ニューギリアに渡り、宣教師となります。
一家は、ザルツブルク時代から、トラップ一家室内聖歌隊として名を上げますが、トラップ大佐が反ナチスだったため、アメリカに亡命します。
アメリカでは、トラップファミリーシンガーズとして、歌で食べていかなければならず、その日の食費もままならないこともあったとか・・。
映画では描かれなかったアメリカでのトラップ一家を、笑顔で語る次女マリアさんは、90歳を超えたとは思えない若々しさでした。
トラップ一家は、トラップ大佐、マリア先生はもちろんのこと、子供たちもみな賢く素晴らしい人ばかりで、もっと広く知れ渡ってほしいと思いました。
マリア・フォン・トラップさん(マリア先生)に関すること
トラップ一家が室内聖歌隊として名を上げていったことも、マリア・フォン・トラップさんの項に詳しく記されています。