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(松浦尊麿氏地域医療風景)
神戸新聞7月29日付「兵庫人」、第4部「医」をめぐる旅の今回の主人公は、医師の松浦尊麿(まつうら たかまろ 60歳)氏である。
松浦氏は現在60歳で、医学生時代、大学紛争に明け暮れ、仲間と「理想の医療」について論じ合ってきたとのこと。
そういう私も、現在58歳、まさに「大学紛争華やかなりし時代」を学生として体験してきている。その意味で、「同世代」を共有できる世代であるやも知れない。もっとも、各々生きている空間が異なるため、お会いすることも、いわんや、酒を酌み交わす機会もないとは思うが。。。
記事のタイトルは、「追求 理想の在宅ケアー」で、サブタイトルが「淡路で先進医療実践」である。
松浦氏は学生時代、「患者を無視して病気だけ診る医療のあり方」に違和感を持ち、医局を後にし、長野県の佐久総合病院の門をたたいたとのこと。そこは「農村医療のカリスマ」と呼ばれて往年の名医若槻俊一(わたつき としかず 1910-2006年 故人)氏の実践の場であったとのこと。
若槻氏は、「これまで通りじゃ。病院は民衆から離れる。大学病院と変わらなくなる」と、幹部職員をにらみつけ、激しく理念をぶち上げたとのこと。
その趣旨は、「地域医療が大学病院並みになってはならない。地域医療は民衆から離れてはならない」ことであると感じる。
この中に、「医は仁術なり」を感じる。
松浦氏が医学生時代に感じた、「患者を無視して病気だけ診る医療のあり方」は、まさに、「医は仁術なり」とは逆の方向に向かう医療ではなかったか?
このブログで、以前に取り上げた、「柳原氏は、『母親をがんで亡くした20歳のとき、母と同じ年齢で、同じがんになる。そして医療のすべてを記録する』と、誓ったとのことである。母親の死に関して、『冷たく見限った医療に不信と怒りを覚えたためである』とのこと」も、まさに「医は仁術なり」と乖離している医療現場の状況に疑問を感じているため、投稿したものである。
松浦氏は、医療を施す立場に立つ人間として、「医は仁術なり」を実践しているように感じる。
現在では、「看護士がきて、何すんの」といった時代感覚から、「保健」、「医療」、「福祉」が手を結ぶ「在宅ケア連絡会」を発足し、「医療を軸に、さまざまな専門家が連携した『包括ケア』が始まっている」とのこと。
松浦氏は、まだ60歳、「あるべき医療の姿」を求めて、今後、一層の活躍を期待したい。。。
Written by Tatsuro Satoh on 30th July, 2007
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