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神戸新聞4月14日付夕刊によると、「新幹線の初代車両0系が、山陽新幹線で最後の力走を続けている」が、「最新鋭車両N700系投入により、今夏にも"勇退"」とのこと。
航空機をモデルにした丸みを帯びた先頭の形状と、青と白の塗りわけのスマートな外観は、まさに、1964年東海道新幹線開業以来、高度経済成長のシンボルとして、世界に名をとどろかせてきた。
修学旅行で、京都、奈良を訪れた際に、初めての新幹線乗車がわくわくものであったことを今でも記憶している。
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写真は、大阪-博多間を走る0系の勇姿であるが、これが新型車両に切り替えられてしまうということは、鉄道ファンの立場に立つと「淋しい限り」ということになるのかもしれない。
利用者の中にも、「昔は食堂車もあり、東京へ出張するときの楽しみだった。時代の流れとはいえ、スピード重視でゆとりがなくなるのは残念な気がする」との声がある。
確かに、「時代の流れの中で、置き忘れてきているもの」が多々あるとも思われ、「それが現実であるとしても、現状を持って良しとする」ことには抵抗感がある。
この新幹線がどのように生まれることになったのか、これまで特に関心を持ったことはない。
1964年開業当時、日本国有鉄道、いわゆる、国鉄が新幹線営業を運営していた。多くの国費が投入され、開発されたとの理解に間違いはないと思う。
しかしながら、開発に直接携わった人たちにとっては、「戦いの連続であったのかもしれない」とおもう。
歴史的な背景に関連して、高橋団吉著「新幹線を作った男島秀雄物語」が参考になると思われ、興味があれば目を通してみる価値はあるのではないか…
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