日経BP社のTRENDYnet Life Creative Site、L-CruiseのWorld Trend Watchのコーナー2月28日付記事を取り上げる。
タイトルは、「映画監督 小泉堯史に聞く(前編) 『世界のクロサワ』から受け継いだ遺伝子」である。
小泉堯史監督は、「世界のクロサワ」の助監督として経験を積み重ね、黒澤監督の遺稿脚本を映画化した『雨あがる』で監督デビュー。
新作「明日への遺言」は大岡昇平の小説「ながい旅」を原作に、第2次世界大戦後、戦犯裁判にかけられた東海軍司令官・岡田資(たすく)中将の気高さを、法廷での"最期の戦い"を通して事実に則して描いている。
記事によると、この「明日への遺言」の脚本は15-6年前に書かれ、黒澤監督の机の中に入り、読まれることはなかった作品とのこと。
記事を引用しておく。
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記事引用
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○黒澤映画の助監督時代に学んだこと
平和を願い部下たちを守り全責任を負う──。論理的に礼儀正しく正々堂々と語る岡田中将の高潔さは、敵国アメリカの検事や裁判官の心を動かしただけなく、観る者の心もとらえて離さない。彼の生き方は、一国の首相をはじめ責任を取ることに鈍感になった日本人にはタイムリーなテーマなのだが、聞けば、この脚本は15、6年も前に書いたものだった。
「大岡さんの『俘虜記』『野火』『レイテ戦記』といった小説は、みなご自身の体験に沿ったもので、一兵卒が主人公でした。初めて上官を描いたのがこの『ながい旅』です。岡田中将という人物が一人の人間としてとても立派で魅力的だったということもありますが、当時、私は黒澤監督の助監督だったんですね」
「黒澤さんがいつも『映画監督というのは司令官みたいなものだ』とおっしゃっていたので、司令官とはどういうものなのか、司令官を知ればもう少し助監督としてもきちんとした仕事ができるかなと思って書き始めたんです」
脚本を書き上げては黒澤監督に読んでもらっていた。だが、この作品は残念ながら読んでもらうことが叶わず、机の中に入りっぱなしになってしまった。
○キャメラにとことんこだわる
日の目を見ることになったのは、『博士の愛した数式』(06)を撮り終えた後のことだった。
「プロデューサーの原正人さんから次の企画はないのかと言われて。当時、時代劇など2、3書いていた脚本があったんですが、今やるならこれだろうと勧められました。私自身は世相なんてまったく考えておらず、ただ、岡田中将という人物に、ずっとスクリーンを通して会ってみたいと思っていたんです」
全編のほとんどが法廷シーンだ。岡田中将がそこでどのように戦っていくかを丁寧に追う。米国なら一ジャンルとして成り立つほど数多い法廷映画だが、裁判に馴染みの薄い日本ではほとんど見ることがない。正直、いつ飽きるかと思っていたのだが、藤田まこと演じる堂々とした岡田中将の佇まいや言葉に引き込まれ、目が離せない。動きがない画面だけに、カメラの使い方に工夫を凝らした。
…(中略)…
○大切なのはキャスティングと脚本
「動きがないのでキャメラは3台使いました。1台はレールの上に載せてアングルを変えられるように。編集時を頭に入れて必要なカットを押さえるようにしていました。撮影スタッフはレンブラントなどの画集を見て光のコントラストなども研究してくれたようです」
藤田のぶれのない、どっしりとした存在感が際立っている。監督に、藤田は監督自身の選択かと問うと、「自分のキャスティングでしかやりませんから」と、きっぱりした返事がすぐさま返ってきた。
「映画監督にとって一番大切なのは、キャスティングと脚本。自分が考えているものを誰がつかんでくれるか。そこを押さえておかないとどうにもならない。黒澤監督ほどの腕があってもうまくいきません(笑)。キャスティングを何をもって決めるのか、と言われると困っちゃうんですが、今までの経験と直感でしょうね」
タイトルは、「映画監督 小泉堯史に聞く(前編) 『世界のクロサワ』から受け継いだ遺伝子」である。
小泉堯史監督は、「世界のクロサワ」の助監督として経験を積み重ね、黒澤監督の遺稿脚本を映画化した『雨あがる』で監督デビュー。
新作「明日への遺言」は大岡昇平の小説「ながい旅」を原作に、第2次世界大戦後、戦犯裁判にかけられた東海軍司令官・岡田資(たすく)中将の気高さを、法廷での"最期の戦い"を通して事実に則して描いている。
記事によると、この「明日への遺言」の脚本は15-6年前に書かれ、黒澤監督の机の中に入り、読まれることはなかった作品とのこと。
記事を引用しておく。
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記事引用
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○黒澤映画の助監督時代に学んだこと
平和を願い部下たちを守り全責任を負う──。論理的に礼儀正しく正々堂々と語る岡田中将の高潔さは、敵国アメリカの検事や裁判官の心を動かしただけなく、観る者の心もとらえて離さない。彼の生き方は、一国の首相をはじめ責任を取ることに鈍感になった日本人にはタイムリーなテーマなのだが、聞けば、この脚本は15、6年も前に書いたものだった。
「大岡さんの『俘虜記』『野火』『レイテ戦記』といった小説は、みなご自身の体験に沿ったもので、一兵卒が主人公でした。初めて上官を描いたのがこの『ながい旅』です。岡田中将という人物が一人の人間としてとても立派で魅力的だったということもありますが、当時、私は黒澤監督の助監督だったんですね」
「黒澤さんがいつも『映画監督というのは司令官みたいなものだ』とおっしゃっていたので、司令官とはどういうものなのか、司令官を知ればもう少し助監督としてもきちんとした仕事ができるかなと思って書き始めたんです」
脚本を書き上げては黒澤監督に読んでもらっていた。だが、この作品は残念ながら読んでもらうことが叶わず、机の中に入りっぱなしになってしまった。
○キャメラにとことんこだわる
日の目を見ることになったのは、『博士の愛した数式』(06)を撮り終えた後のことだった。
「プロデューサーの原正人さんから次の企画はないのかと言われて。当時、時代劇など2、3書いていた脚本があったんですが、今やるならこれだろうと勧められました。私自身は世相なんてまったく考えておらず、ただ、岡田中将という人物に、ずっとスクリーンを通して会ってみたいと思っていたんです」
全編のほとんどが法廷シーンだ。岡田中将がそこでどのように戦っていくかを丁寧に追う。米国なら一ジャンルとして成り立つほど数多い法廷映画だが、裁判に馴染みの薄い日本ではほとんど見ることがない。正直、いつ飽きるかと思っていたのだが、藤田まこと演じる堂々とした岡田中将の佇まいや言葉に引き込まれ、目が離せない。動きがない画面だけに、カメラの使い方に工夫を凝らした。
…(中略)…
○大切なのはキャスティングと脚本
「動きがないのでキャメラは3台使いました。1台はレールの上に載せてアングルを変えられるように。編集時を頭に入れて必要なカットを押さえるようにしていました。撮影スタッフはレンブラントなどの画集を見て光のコントラストなども研究してくれたようです」
藤田のぶれのない、どっしりとした存在感が際立っている。監督に、藤田は監督自身の選択かと問うと、「自分のキャスティングでしかやりませんから」と、きっぱりした返事がすぐさま返ってきた。
「映画監督にとって一番大切なのは、キャスティングと脚本。自分が考えているものを誰がつかんでくれるか。そこを押さえておかないとどうにもならない。黒澤監督ほどの腕があってもうまくいきません(笑)。キャスティングを何をもって決めるのか、と言われると困っちゃうんですが、今までの経験と直感でしょうね」
…(中略)…
○"映画は世界の共通語になる"
主要キャストであるアメリカ人の弁護士、検事、裁判官役も米国ロサンゼルスに飛び、オーディションでこれぞと思う役者を選んだ。3人を組み合わせたときのバランスが重要だった。
検察官役のフレッド・マックィーンと裁判委員長のリチャード・ニールはすぐに決まったが、岡田の主任弁護人役がなかなか決まらなかった。1度帰国した後、改めて米国で段取りをしてもらい候補者を集め、再びオーディションを行って決めたと言う。
…(後略)…
「…レッサーさんは『米国人に知らせたい』と言ってくれましたね」
「実は、サンタ・バーバラ国際映画祭で上映したときは、米国人の観客がどう受け止めてくれるか不安だったんです。途中で帰るのではないかと。でも、役者の家族も喜んでくれたし、みんな最後まで観てくれて大きな拍手をいただけた。黒澤さんが『映画は世界の共通語になる』とおっしゃってましたが、その通りでしたね」
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Written by Tatsuro Satoh on 23rd Mar., 2008