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「ルースの建てた家」の誕生

2008-05-06 06:27:53 | 文化・学術
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 今、MAJOR.JPで、「さよならヤンキー・スタジアム特集」が組まれている。現在のヤンキー・スタジアムは、1923年開場、多くのファンを虜にしてきたが、「その歴史も今年いっぱいで幕を下ろし、来年からは新ヤンキー・スタジアムがお披露目される」とのことである。
 特集第1回目のタイトルは、「『ルースの建てた家』の誕生」である。

 ニューヨークヤンキーズに松井選手が移籍して以来、ヤンキー・スタジアムでの試合もテレビで放送される機会が多くなり、何度となく見てきている。
 そのヤンキースタジアムも、来年からは新球場で行われることになるとのこと。。。
 往年のファンにとっては、歴史の幕が閉じられるという意味で、淋しさを感じることになるのかもしれない。。。

 しかし、歴史の一部を垣間見ると、「往年の名選手にまつわる歴史/球史に残る数々の名場面が生まれた」ことが分かり、面白い。。。
 記事を引用しておく。

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 記事引用
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 名場面集

 …(前段略)…

 ヤンキー・スタジアムの誕生は今からさかのぼること80年以上も前のこと。ヤンキースは同じニューヨークを本拠に置くジャイアンツとポロ・グラウンズをともに使用していた。転機となったのはヤンキースが後の大打者ベーブ・ルースを1920年のオフに獲得したことだった。

 ヤンキース1年目のルースはシーズンでいきなり54本塁打を記録。ルースの活躍とともにヤンキース人気も急上昇し、球場を貸していたジャイアンツの観客動員を超えてしまった。この状況にジャイアンツ側が不満をあらわ。ヤンキースはポロ・グラウンズの使用禁止を通告され、新球場建設を余儀なくされた。

 そしてブロンクス地区に建設されたのがヤンキー・スタジアムだった。しかも建設開始からの完成までの期間はわずか9カ月と急ピッチだった。当時の球場の特徴は、左中間が約140メートルを超えるかなり深く「デスバレー(死の渓谷)」と呼ばれていた。一方、ライトまでの距離は近く、左打者ルースにとってはうってつけの本塁打量産球場だった。

 ヤンキー・スタジアムの建設までの経緯、さらに球場の形状から
The House That Ruth Built「ルースの建てた家」と呼ばれるようになった。また、当時としてはかなり大きな球場だったためスタジアムと名づけられた球場としては全米初だった。

 オープンは1923年4月18日、後に宿敵となるレッドソックスが相手だった。ルースは開場第1号となる3ランを放ち、チームを4-1の勝利に導いた。ヤンキー・スタジアム開場を祝う一発だった。そしてヤンキー・スタジアムの歴史が始まった。
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 Written by Tatsuro Satoh on 6th May, 2008


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