日経一面コラム記事「春秋」で、年金問題に関連付けて、「風塵」と「恒心」が取り上げられていた。
自慢にならないが、「風塵」については、日常的によく耳にする言葉であるが、その意味合いを深く掘り下げて考えたことはない。
記事によると、「風に吹かれて舞う塵や、それほど軽く小さいものを風塵」というとのことで、それが転じて、「煩わしい世の中、俗事の意味を持ち、戦乱をさすこともある」と解説されている。
具体的には、「風塵に奔走して(=仕事、雑事に追われ)」、「風塵に老いる(=生活にやつれる)」のように使われるとのことである。
私などは、「風塵に老いる」型の人間であるのかもしれない。。。
興味をひかれたのは、司馬遼太郎氏が自分の新聞連載コラム「風塵抄」を本にまとめるときのあとがきに触れている部分である。
曰く、「風塵抄とは小間切れの世間ばなしと解してもらえればありがたい…ただ心掛けとしては、風塵の中にあっての恒心について書こうとしている…恒心とは、すなおで不動のものという意味である」とのこと。
実をいうと、「恒心」という言葉にはこれまで出くわしたことがなく、勉強になった。
重ねて、風塵抄の後書きには、「人々に恒心がなければ社会はくずれる」と指摘しているとのこと。
他方で、記事の中で孟子が引用され、「恒産なきものは恒心なし」であるとのこと。ここで、現在の年金問題に関連付けがなされることになる。
昨日一昨日の報道の中で、「沖縄の成人式が荒れた模様」が報道されていた。
あるいは、「人々に恒心がなければ社会はくずれる」という背景や、「恒産なきものは恒心なし」という背景がその遠因としてあるのかもしれないと考える。
最近九州のスポーツ施設等で発生した事件、また、種々の人の命に係る事件等々を見るにつけ、「日本社会の荒み」を感じるが、そうした中で、「風塵に老いる」ような感覚ではいけないということを感じる。。。
Written by Tatsuro Satoh on 15th Jan., 2008
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