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風の向くまま、気の向くままに……

エリツィン前大統領の国葬と日本の外交の常識

2007-04-26 06:31:45 | 政治・社会・経済

 ロシアでは、エリツィン前大統領の死去に伴い、プーチン大統領の指導下で、国葬の儀が執り行われた。
 各国要人も含め、25,000人の人たちが国葬に参加したとのこと。各国からは、旧ソ連邦を構成していた近隣各国の大統領等に加えて、アメリカからは、クリントン前大統領、ブッシュ元大統領が参列していた。

 日本からは、駐ロシア大使が参列し、「塩崎官房長官は、『間に合う商用便がなかったとして、政府要人の参列を見送った』理由を説明した」とのこと。
 まさに、宋文洲流に表現すると、「やっぱり変だよ、日本の外交」ということにならないか?
 エリツィン前大統領は、1993年に日本を公式訪問、日本側が現在重要な基本文書と位置づける「東京宣言」に署名している。

 また、世界史的な観点から、読売新聞が報じているように、「ソ連を解体に導き、結果として、国際政治の構造を根本から覆した。20世紀最後の10年に果たした役割で、その名が世界史に刻まれた、と言ってよい」と評価される。
 同じく読売新聞が報じているように、「国際政治を長らく規定した東西冷戦は1989年、ブッシュ米、ゴルバチョフ・ソ連両首脳によって、その終結が宣言された。だが、東西対立の実際の終焉(しゅうえん)は、1991年、エリツィン氏らが主導した独立国家共同体(CIS)の創設で、ソ連が崩壊した時に実現した、と言える。エリツィン氏の決断がなければ、冷戦後の国際秩序の再構築作業は異なった展開をたどったことだろう」ということになる。
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 日本も、北方四島返還問題を抱え、その解決に向け、また、経済的な側面での関係も含め、課題は山積している。
 こうした状況の中で、「弔問外交に駐ロシア大使のみが参列した」ということになり、「日本政府の外交能力に疑問」を感じざるを得ない。
 「やっぱり変だよ、日本の外交」と感じた人は多かったのではないかと考える。
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