終戦日の前日となる8/14に放送があった NHK『ファミリーヒストリー』に
草刈正雄氏のファミリーヒストリーが紹介されました (以下敬称略とします)
ちょうど近づいた台風7号の情報でにぎやかな画面から 数枚を拝借します。
今現在70才の正雄が 10年前に没した母スエ子から聞いている父親の情報は
名前はロバート・トーラー。 朝鮮戦争で戦死した。 祖父は郵便局員であった
という情報だけで ロバートの写真はスエ子が全部焼いたそうで 正雄が
生まれた昭和27年には 身重のスエ子を置いたまま 父は帰国していました。
トーラーのスペルも不明で たったこれだけの情報で 全米中にロバートを
探す困難な数ヵ月の中 さすがNHKで探し当てました。 父親似の正雄です。
↓ 8/18この1枚を足しました
九州でバスの車掌をしていたスエ子は 決して米兵のオンリーさんではなく
ロバートと所帯を持ち お腹の子どもとともに 米国へ渡るつもりでした。
しかし当時日本女性の多くが体験したように 夫は妻を残し帰国しました。
スエ子は女手一つで正雄を育て 父親に似て高身長でイケメン男に成長した
正雄は モデルとして人気が出始め やがて俳優へと大きく躍進しました。
現在97才のロバートの姉ジャニタが 日本に置き去りにした母子の
ことを弟から聞いており ずうっと何十年も他言もできず胸を痛めて
いたと語ります。
自分がこのまま言わずに死んではならんと 74才の息子(正雄のいとこ)
に打ち明け 息子がNHKが広く捜していた 叔父の情報を捕らえました。
収録中の正雄は 顔も知らず その胸に一度も抱かれたことのない父の
軍服姿を見て 言葉もなく泣くだけで 観る側も涙 涙の番組でした。
この番組の収録後 正雄は前月の7月 思い切って 叔母のジャニタに
会いに米国を訪れました。
ジャニタが生きていて良かったです。彼女がいなかったら全て不明で
分からないまま 終わっていたでしょう。
かつて 母とお腹の中の自分を捨てた父には 当然わだかまりがある
正雄でしょうが 見る側も ジャニタの存在に救われました。
戦争がなかったら スエ子の苦労はなかったでしょうし 正雄が語る
『あいのこ』と言われ育った つらい少年時代もなかったでしょう。
録画は観たらすぐ消しますが これは消さずに もう一度観ます。
あの放送は泣きながら観て もう一度撮りだめを観て泣き その後正雄が米国を訪れる
『草刈正雄・特別編』を観てその都度 涙があふれました いい番組でしたね。
困難を極めた米国でのファミリーを探し当てた時まず伯母のジャニタさんの息子の
ジェイさんを観て 正雄に似ていると思いました。
乾草の中から1本の針を見つけるような困難な作業の中よく見つかりました。
そして正雄の父ロバートの姉の 97才になるジャニタが元気でいて
高齢の彼女の頭がしっかりしていたことが 神様のお引き合わせの思いがしました。
そうでしたか あの特別編を観たとき父ロバートは朝鮮戦争後ウツになり
ジャニタの勧めで西ドイツに赴任し その後帰国して米国女性と結婚したはず。
ロバートと米妻は没していても その子は正雄よりはるかに若いはずです。
父が日本の妻とお腹の子を捨てたことをもし知っていたとしても 米国で生まれた
子には罪がなく 今回の正雄の米国への訪問に他のファミリーと一緒に
出てくればいいのに 腹違いのきょうだいならより正雄と血が近いはず。
なぜ出ないのか?と思いましたがそうでしたか 若くして亡くなっていたのですね。
そういえば正雄も 自身の若い息子を事故で亡くしていますね。
言われるようにロバートが日本でスエコと別れるとき 米国の住所を知らせていたことは
きっと後ほど スエコと生まれくる子どもを米国で迎えることを願っていたはずで
そうでなければ虚偽の住所を教えて去るはずでしたからね そう考えると父ロバートは
決して遊びでスエコと 深い仲になったとは思えません。
以前NHKのドキュメンタリーで観ましたが 米兵と結婚し終戦直後に海を渡った
日本女性が人種差別はげしい当時の米国で ツバを吐きかけられたり
すれ違いざまに ジャップ!と言われたり 生まれた子どもにも軽蔑の言葉を
投げかけられたりの大変な苦労のなか 耐え抜いて今の暮らしになり
同じような日本人妻が寄り添って生きていた時代が紹介されました。
現代でもアジア人は一段低く見られているようですから当時は
夫の家族や親戚にも つらく当たられたと語っていました。
スエコは大変な苦労をしましたね 何度も死のうと思ったと母が語ったことを
正雄も番組の中で言っていました。そうでしたかロバートが住む地は90%以上が白人で
今なおアジア人がいない伝統の地なら 当時はその傾向がより強かったでしょうから
海を渡ってもスエコは 人種差別の苦労をしたでしょうね。
『ファミリーヒストリー』はとても好きな番組で必ず観ます。
草刈正雄のファミリーストーリーは 今まででいちばん感動した物語になりました。
そうですね言われる通り トーラー家の壁には家族の肖像に加えて
正雄とスエコの写真がかかり 家族の一員として迎えられました。
今回の番組は ジャニタの存在がなければ永遠に分らなく終わる正雄の
ファミリーヒストリーで ジャニタの言葉一つ一つが私たちの胸を打ちました。
龍さま 番組では語られなかった詳しい情報もいただき ありがとうございました。
厚く御礼申し上げます。
「異人種間混交」を示す"Miscegenation"。異人種間の結婚の他、同棲や性関係などをも広く包含する概念です。アメリカでは「異人種間結婚禁止法」が植民地時代から一部の州で制定されていて、1967年の「ラヴィング対ヴァージニア州裁判」の判決で初めて違憲とされるまで、白人と奴隷(有色人種)の結婚は一度も合法とされたことがなかったのです。
また、代々軍人を輩出してきたトーラー家は「軍人という職業を誇りとし、私生活への規律も厳しい」家風でした。南北戦争の時代(正雄さんの曽祖父の代)では、曽祖父を除く兄弟9人が全員、南軍の兵士として従軍していますが、この南軍は「奴隷制度を支持する側」です。従兄のジェイさんは「そんな家は稀ですね」とも言っていました。
そして、これは番組内では言及されていませんが、ジャニタさんやロバートさんの代までトーラー家が住んでいた地域(ノースカロライナ州ブレーデン郡ター・ヒール)は、21世紀に入ってからも住民の9割以上が白人であり、アジア系の住民に至っては一人もいません。この事実からも、今なお非常に閉鎖的・保守的な土地柄であることがうかがえます。
スエ子さんに実家の住所を正しく教えていたことから察するに、ロバートさんも最初から彼女を日本に置き去りにするつもりだったわけではないのでしょう。その気になれば、デタラメな住所を教えて逃げることだってできたはずです。でも、いざという時に日本人の恋人を、実家に迎え入れるための勇気と覚悟は持てなかった。日本での出来事を家族の誰にも言い出せず、神経衰弱に陥ってしまっていた。
何も知らないジャニタさんは、「せっかく陸軍に異動になったんだから西ドイツへ行きなさい!行くべきよ!」と叱責し、ロバートさんを送り出した。「こんな(うなだれてばかりいる)弟の面倒を見ていく自信はなかった。軍の生活に戻れば彼もシャキッとするだろうと……」。まさか、よりにもよってロバートさんが西ドイツに行ってしまったタイミングでスエ子さんからの手紙がトーラー家に届くとは。
繊細なロバートさんを気遣って、ジャニタさん達はロバートさんの留守中にスエ子さんから届いた手紙の存在を彼に教えることができなかったのだと思います。ゼブロンさん(正雄さんの祖父)が難病を患ったのを苦に拳銃自殺したことも、当時のジャニタさん達にとって相当なトラウマだったはず(ロバートさんは性格もゼブロンさんにそっくりだったので尚更)。結果、スエ子さんと正雄さんを見捨てる形になってしまったことへの負い目を、ジャニタさんは長年に渡って引きずることに。
ロバートさんには後に結婚した妻・ヘルガさんとの間に息子(正雄さんにとっては異母弟)がいましたが、この息子は若くして亡くなったそうです。ロバートさんは2013年、ヘルガさんは2015年にそれぞれ亡くなっており、皮肉にも2023年時点でロバートさんの息子で存命なのは正雄さんただ一人。一方、正雄さんにとっても父の兄・姉のうち、この時点で唯一存命だったのがジャニタさん(当時97歳)です。
番組のラストで、トーラー家の壁に飾られていた写真。「俳優・草刈正雄」としてだけではなく、「草刈スエ子・正雄の母子」としてトーラー家の一員に迎え入れられたことが、何よりも正雄さんの心を動かしたのだと思います。
ジャニタさんが正雄さんを出迎えた時の「信じられない。私のこと、許してくれるの?」。スエ子さんと正雄さんを苦しませてしまったことへの後悔をずっと抱えて生きてきた彼女の口から、弟にそっくりな顔の甥と対面して真っ先に出てきた、その言葉が全てでしょう。70年はお互いにとって本当に色々あったし長くて苦しかったけど、ようやく報われて良かった。
戦死したと言われて育ち あの収録の現場で父の顔・米国の親戚など
なにもかもがいっぺんに分かり 正雄さんは声も出ず涙にくれたはずですよ。
米兵との間に生まれた山本リンダさんや正雄さんは 相手が白人だったため
気の毒な境遇ではありましたが まだ恵まれていました。
米国の叔母さんの家・いとこの家が映りましたがどの家も立派で
内も外もきれいにしていましたね。皆それぞれに裕福な暮らしが伺えました。
正雄さんの父は米国に帰り結婚しているため 母違いのきょうだいが
いるはずですが 出て来ませんでしたね。彼ら彼女らには罪はないですけれどね。
戦争で運命を翻弄された人達がたくさんいた ということですね。
あの時代、アメリカ兵との間に生まれた「あいの子」と呼ばれる子供がたくさんいたようです。山本リンダもそうでしょう。父親が誰かわからない子供がいたようですが、草刈正雄はわかっているので幸いです。
お父さんと顔が似ていました。伯母さんも美形でした。
アメリカの家は、デッカイですね。
むかし、日本の家は「ウサギ小屋」と言われたことがありましたが納得です。
これからのますますの活躍を祈ります。
米兵と日本女性との間に生まれたハーフの赤ちゃんは多くの場合
その子たちは偏見の目で見られつつ成長し その子を育てた母親も
貧乏と肩身の狭い思いで つらく悲しい人生を送ったでしょうね。
正雄さんが語った 母が自分を道連れに電車に はスエ子さんは何度も
そんなことがあったと思います。正雄さんが有名になりスエ子さんも
苦労のかいがありました。息子の成功を知ってから亡くなったそうで
良かったです。
正雄さんは米国にも血がつながる いとこがたくさんいます。
親戚が増えましたね。米国のいとこが出てきたとき 似ている!と思いました。
離れて暮らしても やっぱり血がつながっているんですよね。
みなさん、とてもいい人で、草薙さんのことを心から喜んでいるようでほだされました。
お父さんのご家族はさすがに抵抗があって画面には出なかったのかもしれませんが、伯母さん、従兄と交流する続編も見たいです。
アメリカ人の子供を一人で育てる・・・お母さんにはご苦労もたくさんあったと思いますが、いい結果にきっとあの世で喜んでおられることでしょう。
バタ臭い顔 などと言いましたね。草刈正雄さんの場合は正真正銘の
アングロサクソンの血が入っていますので バタ臭いとは言わないでしょうね。
10年前に逝った母スエ子さんはほとんど父のことを息子に言わなかったし
写真一枚も残してなかったですが 正雄さんが有名になってからも
まだまだあんたじゃかなわない と夫のいい男ぶりをほめていたと
正雄さんが語っています。
若い頃の正雄さんなら時代劇には不向きな顔だったでしょうが
歳を重ねてちょんまげ姿も 板についてきましたね。
まだこれからも いい役者さんになるでしょう。
私は『美の壺』に出て来る ちょっとコミカルな草刈正雄が好きです。
終りの方少しだけ見ましたが、泣けました
おかあさまが 偉かった
じっくり見ようと思ってます
くりまんじゅうさんもご覧になっているだろうと思ってました
わたしたちの時代の人ですもの
彼は ある年齢になって 時代劇には 出られないだろうと不安が あったそうですが
ちゃんと 違和感なく 演じられます
この番組中 中学時代の集合写真も映り 今はお寿司屋さんの主になっている
かつての同級生が 中学時代にいっしょに新聞配達をした話なども語りました。
米国へ行きおばさんと会った映像は また別の収録になっているようで
近々放送されるでしょうね 楽しみにしています。
草刈正雄さんはだいぶん年齢を重ね しわやたるみも見られますが
それらを隠したり整形したりせずに いい味を出しています。
これから増々いい役者になるでしょうね。
このファミリーヒストリーは あと何回か放送があると思います。
もう放送は終わってました。
叔母さんには 会えた事は書かれてなかったので
会えて良かったですね。
お父さんに そっくりの草刈正雄さんですね。
若い頃からハンサムで 年を取っても素敵ですね。
ちなみに 私の中学校の先輩です。
年齢が違うので 会った事は無いのですが
図書室のカードで 偶然「草刈正雄」の文字を
見つけたことがありました。
もう一つありますか 楽しみです。見逃さないよう毎日番組チェックをします。
終戦記念日前後は毎年 戦争にまつわるドラマやドキュメンタリーがありますが
今回の目玉はこのヒストリーだったと思います。日頃からこの番組を作るに
NHKの捜査網には感心しますが 今回は特にリキが入っていたと思えました。
毎回収録場所は劇場のようなセットですが ↑へも書きましたが
終わるとスタッフが出てきて 拍手が起きました。
あの少ない情報から ちゃんと探し当てるんですからね NHK恐るべしです。
戦争により運命を翻弄された人たちが今なおたくさんいる中で 正雄さんのように
成功した人は少ないと思います。米国のトーラー家も日本の親戚がこんなに
有名俳優になっていたことは鼻が高いでしょう。
色々な偶然がうまくかみ合い 70年経って父の写真を初めて見た正雄さんを思えば
戦争をしてはいかんと つくづく思います。
思いました(当時はイケメンという言葉がなかったから)
父似の容姿であったことが幸いしました。日本の血が多く出ていたら
モデルにも俳優にもなれなかったでしょうからね。
アジア各地には戦争で あるいは日本企業のアジア進出により日本男性と
現地女性との間に生まれた混血児がいますね。
そちらで映っているかは分かりませんが NHK『美の壺』という
日本人が古来親しんできた 花火・古伊万里・ハサミなどを紹介する情報番組があり
草刈正雄さんがナビゲーターをしています。この番組も私は好きです。
そちらでこの 草刈正雄のファミリーヒストリーが視聴できたらいいですね。
草刈さんが後日 アメリカに行って叔母さんたちに会った時の様子の
番組があるようですね。
楽しみです。
ファミリーヒストリーは好きで録画してみるのですが いままでにもNHKの力はすごいなと
思っていましたが 今回ほど 力を入れ ドラマチックな話も少ないなと思います。
アイノコがハーフと呼ばれるようになった頃はその美しさへの皆の憧れがありましたよね。そういう顔立ちが美しい とされたというか
父親を知らない混血児はアジアの各地にいそうですね
今まで黙っていた 弟が日本に置いてきた親子の話を息子に話し
聞いた息子がちょうどNHKが叔父を捜していることを知ったからこそ
今回の感動が生まれました。
途中過程で そのどれか1つでも抜けていたら今回の話はなかったと思います。
こんなこともあるのですね 神様が引き合わせてくれたのですね。
正雄は あいのこ と言われ育ちましたが父にそっくりなため
まずモデルになれて 次には俳優としてのキャリアも積んできました。
見かけが日本人なら 今の草刈正雄は誕生してないと思います。
正雄が同じくハーフの団時朗とともに 資生堂のMG5の
CMに出てきたときの鮮烈デビューを覚えています。
あら~ その団時朗氏は数ヵ月前に亡くなっていますね 若かったのに残念です。
いろんな偶然が重なってのことでしたね。
自分がお腹にいる母を置いて去って、別の女性と結婚し一緒の納骨堂に眠る
草刈さんは複雑な思いを持っておられたと思います。
だからジャニタさんに会いにいかれたことは素晴らしいご判断だと思いました。
お母様もきっと安心しておられると思いました。
涙無くしては見られなかったけど、でも観てよかったと思いました。
感動ものです ぜひご覧ください。スエ子さんが生活苦から正雄さんを連れて
電車に飛び込もう と何度も思ったらしいですが正雄さんの顔を見ると
出来なかった と母から聞いたと語りました。
そんな生活苦からもスエ子さんは 正雄さんにはきちんとした服を着せ
肩身の狭い思いをさせなかったそうで 自分達を捨てた父親の悪口も
言わなかったそうです。姉のジャニタが97才まで生きていたことが幸いでした。
正雄さんは 何から何までお父さんそっくりのイケメンでしたね。
トーラの綴りだけでもどっさりあり トーラーも入れると雲をつかむほどの数。
さすがNHKですね 何ヵ月もかかってたどり着きました。
NHKは 確かにいい番組を作ります。受信料は我慢しなければねと思いました。
苦労したスエ子さんも正雄さんが有名になってから亡くなりましたので
苦労のかいがありました。この日の収録が終わるとスタッフが
出てきて拍手しましたね これも初めて見ました。
番宣であることは知っていましたが見ませんでした
というより見れなかった複雑な心境でしたでしょうけどおばさんに会えたのはよかったですよね
お父さんお若い頃の写真が出た瞬間、これは間違いなく親子だわ~って思いました
しかし恐るべしNHKの力
受信料を取るだけのことはあるなと感心します(笑)
そういう番組が多いから、文句も言わず受信料を支払っていますが(笑)
もう少し早くに生きていることがわかっていれば・・・
会えたかもしれないのにと思いますが
個人の力ではここまで調べることは不可能だったでしょうね
その子は家族で育てても 世の中に出てからは更に苦労があったでしょうね。
エリザベス・サンダースホームの話からも 養子縁組に望まれる子は
白人とのハーフで 黒人とのハーフの子はもらわれないと書いてありました。
戦争により生まれたハーフの子ども達も もう団塊の世代から
それ以上の年齢になりましたね。
涙なしでは語れないとはこのことですね
幼少期の差別 言葉では表現できないほどの辛い物であったんでしょうね
私の実家の近くにも
この境遇に似た方が住んでいました
進駐軍のキャンプで知り合った彼の父親との間に授かった色の黒い子
おばあちゃんと娘さんとで育て上げられましたが
やはり日本で済み続けることはできず
母親が亡くなって
父の国
アメリカに渡ったそうです
今はどうしているのかしら
その後の消息は分かりませんが・・
日本から持って行った正雄さんの唾液や髪の毛を ジャニタさんや息子さんと
DNA鑑定して 血縁がある とすぐ結果が出るとはさすが米国です。
正雄さんはお母さんには全然似ていませんね。ハーフには見えない
お父さん似でした。心に沁みるファミリーヒストリーでしたね。
心に染み入るファミリーヒストリーでしたね✨8月にふさわしい内容でもありました🍀
草刈さんの人としてのやさしさにグッと来て涙しました~(※それにしてもあのおばさん、そっくりでしたね!)