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くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

朝ドラ『らんまん』あと数回。

2023-09-14 | 映画・TV

朝ドラ『らんまん』があと数回になりました。半年はすぐに来ます。
牧野富太郎から 次のブギの女王へと バトンは渡ることになります。

5ヵ月ぶりに牧野植物園へ行ってみました。温室へ続く回廊は ミスト
シャワーが降りそそぎ涼しいです。

 

今回は MAKINO 植物の肖像展をやっていました。

 
 
 

富太郎が各地で採取した植物は真新しい新聞にはさむそうで シワくちゃの
新聞では植物に余計なシワがつくのでダメとのこと。 ↓富太郎が使った新聞紙

 

5ヵ月前も多くの写真が展示されていましたが 一部入れ替わっていました。

 

牧野富太郎を作りあげた 糟糠の妻スエコ 36才と50才のとき。

 
 

富太郎が50才を過ぎたころ 借金でどうにも立ち行かず 植物標本10万点を海外へ
売ることになったとき 当時京都大の学生であった池長孟が 借金3万円を肩代わり
してくれ 富太郎は困窮を脱する。

 

池長は買い取った標本を 設立した池長植物研究所に所蔵し その後も富太郎の
研究費を援助する。 池長研究所開所式の 前列中央が富太郎と池長孟。

 

富太郎と池長孟。イスに座るは東大の松村任三 (らんまんの田中哲司)

 

13人の子どものうち7人が育ったといわれる 富太郎の娘・孫・ひ孫?たち。

 
 
 

晩年の富太郎を次女の鶴代が世話したと言われており 富太郎亡きあと
高知市に作られた牧野植物園に 鶴代から富太郎の蔵書5万冊が寄贈された。

 
 

牧野富太郎の生涯は ぶれることなく一直線に走り続け 若いころは
実家からの送金 結婚してからは妻の献身と稼ぎに支えられ 借金地獄の
壮年期には 救世主の池長孟が現れるという

なんと幸せな人生だったことでしょう。これらは富太郎の持つ魅力に
運命が開けて行ったと思います。

 
 

ギャラリーへ通じる回廊に 富太郎が名付けた キイジョウロウホトトギスが
一輪だけ咲き残っていました。

 

長くなりました 読んでいただき ありがとうございました。


 

コメント (15)
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