高知市の公式ホームページに 龍馬記念館の紹介を『龍馬の入口』と
書いてありました。
ワンフロアの広い展示場には 龍馬の書いた手紙が かなりありました。
龍馬と中岡慎太郎
龍馬が生涯大切にしたといわれる 父八平の3ヶ条の心得書。無駄遣いするな
女にうつつを抜かすな など親の心配は昔も今もおなじです
良助さんに金二両の 借金をお願いする龍馬の手紙
筆まめな龍馬は 姉の乙女にも たびたび手紙を書きました
寺田屋で襲われ負傷した龍馬が 妻お龍と療養の旅にでた霧島で 高千穂の頂に
ある天の逆鉾を抜いた という絵入りの手紙も 乙女姉やんに宛てたものです
龍馬が書いた海戦図。 上が九州の門司・下が下関。 画面右のほうには巌流島
海援隊の旗。 海援隊と聞いたら 武田鉄矢さんの顔がうかんできて・・。
龍馬が 木戸孝允 (桂小五郎) に書いた手紙。
兄の権平への手紙らは 墨を塗って訂正してあり こういうところも土佐男らしい
龍馬がひとめ惚れしたといわれる 妻のお龍(りょう)。 色白でうりざね顔の
べっぴんさんで 若いころの山田五十鈴さんみたいな雰囲気
遊郭で遊んで朝帰りした龍馬が 怒り心頭の お龍に詫びる歌
お龍さんが習っていたといわれる 月琴
龍馬の時代に活躍した人たち
懐に入れた右手は銃を握っている ともいわれる桂浜の龍馬像。
ですがこの銃は 人斬り以蔵 (岡田以蔵) のもの といわれているそうです
龍馬の手紙はたくさんありましたが 図録を探しても これらはだれに
宛てたものか分かりませんでした
いよいよ 龍馬と慎太郎が斬殺された 近江屋まできました。
淡海槐堂の筆による梅の掛軸には そばに倒れた 龍馬の血が飛んでいました
血染めの掛軸のそばには龍馬が 屏風のそばには慎太郎が倒れており
屏風にも 慎太郎の血が飛んでいました
龍馬31才・慎太郎29才の死はあまりにも若く 生きておれば明治時代に
大活躍したことは間違いなく 残念でなりません。
龍馬記念館を出ると マスク姿の龍馬さんが見送ってくれました
今月の中旬から6月の下旬まで
『龍馬脱藩160年 維新へつながる土佐の道』展があるそうで また来ますね。
またまた長くなりました。龍馬さんの達筆の字が読めませんので 上記の写真と
説明が合ってないかもしれませんが お許し願います。