これは全くの盲点だった。
金水敏さん著の役割語小辞典。読んで目から鱗が落ちる思い。
「役割語」は、ある特定の言葉使いでその人物像がイメージできる言葉。
そう、もっと簡単に言えば、「いかにもその人物が使いそうな言葉」って日本語を母語とする人ならわかる言葉。
例えて言うなら、正体不明の怪物を発見したインタビューで
「僕は見たんだよ。あの森で怪物をね。でも大人は誰も信じちゃくれないんだ」
ってなると、このインタビューに答えてる人は子供で男の子だってわかる。
これが
「おらが森に入ろうとしたらば、でっけぇなんかがおって、そりゃぁびっくりしただ。でもおっかぁにいっても信じちゃくれねぇだ」
ってなると田舎の人、
「マジ見たっつーの。なんかやべぇよあれ。言ってもがんムシされたからチョーむかつく」
ってなるとギャル。
「わたくしは森のあたりでそれを見たのでございます。えぇ、もちろんお父様にはお話ししたのですけど、信じてはくださいませんでした」
ならお嬢様。
「俺、あの森のあたりで見てもうたんや。なんやあのバケモンは。アニキにゆうても「シャブやりすぎか?」って相手にしてくれへんねん」
ならチンピラ。
「拙者は確かにこの目で見たでござる。あの物の怪はなにゆえあの森にいるのであろうか。しかし誰も信じてはくださらん」
なら武士だなってわかる。
これらの会話の端々に役割語が使われてるから、聞いた側は勝手に判断し人物像を特定する。実はサラリーマンが上記の言葉を使うかもしれない。でも、それはよほど特殊な例で、あり得ない事と判断する。
TVや映画、小説や漫画で人物像をイメージするのに重要な役割を担うのが「役割語」
こういう考えや発想は全然思いつかなかった。漠然とキャラクター設定を今まで見逃してた事に、青天の霹靂、目から鱗が落ちる思い。
役割語を説明するのは方言が一番わかりやすい例だろう。
大阪人が「もうかりまっか」『ぼちぼちでんな』『そちらはどないだ』「あきまへんなぁ」なんて今時使ってる訳が無い。実際にこんな会話はギャグ以外で聞いた事が無いし使わない。でも、ドラマではコテコテの大阪弁丸出しで会話してた方が世間一般に大阪人と伝わりやすい(判断しやすい)。
「おみゃぁに海老フリャァー食わしたる」だと名古屋。
「どんどん食べてくれもっせ。おいどんはこんな愉快な酒けは久しぶりでごわす」なら鹿児島。
「おおきにどすえ。うち、このかんざし欲しいおもとりましてん」なら京都。
「おまん飲んどるかぇ。今日はわしのおごりじゃき」だと高知。
ポピュラーな方言はそのイメージを作りやすい。
大阪弁はお笑いのおかげか昔からわかりやすい。京都弁もそうだ。広島弁は映画「仁義無き戦い」で一気にポピュラーになった。ある特定人物のおかげで有名になった方言の例としては高知弁は「坂本龍馬」鹿児島弁は「西郷隆盛」、名古屋弁は「織田信長」かな?。有名になった方言は役割語として使われやすい。これが失礼ながら一般的に知られてない静岡弁とか、島根弁とかで言われても、多分その地方の人以外は地域設定ができない。
でもね、ドラマとか漫画でもそうだけど、キャラ設定の為の方言を使わせると、微妙に違うのよね。
大阪弁を使うキャラが
「今日、帰りお前んち行くわ。自転車は友達んちに置かせてもらうわ」なんて喋ってるシーンは、実際の大阪人の会話なら本当なら
「今日帰りにおまえんち寄るわ。チャリキはツレんとこ置かせてもらうわ」になるはずだが、そこまで正確な方言を喋らす必要は無い。
そう、役割語ってのは実際にその言葉を本当に使ってようが、使ってなかろうが、その地方では存在しない言葉であるとかは関係ないのだ。勝手に「その地方の人なら使うだろう」ってステレオタイプで判断してるだけ。
TVドラマや映画で田舎者が使う言葉なんて、いろいろな年代と地方の言葉が混ざってあり得ない言葉になってるはずだ。今時いくら田舎でも「おら」とか「だべさ」なんて使わないはずだし。「わらわは」とか「おじゃる」なんて言葉は今、皇室でも使わないはずだ。
もっとひどいのになると外国人の会話。先ほどの正体不明の怪物を発見したインタビュー。外国人とイメージさせたいから
「オー!ワタシ見マシタ、あのモンスターはナンデスカ?ワイフに言ってもシンジテクレマセン」なんて感じ。
よくテレビでやってる外国人のインタビューのアテレコがワンパターンなのもイメージがそうなんだろう。でも、それだからこそ安心して見れるのかも。
これが中国人だと
「はい、ワタシ見たアルね。あの森コワイ怪物いるね。誰に言っても信じてくれない。ワタシ悲しいアル。」
こんな言葉を喋る中国人に未だに会った事が無い。多分誰もであった事が無いだろう。しかもこの人が片手に中華鍋持っ白衣着てコック帽かぶってたら文句なし。(これはサイボーグ009での006のイメージが大きい)だけど中国人なら「こう言いそうだ」って思えるから「役割語」としては正しいんだろうけどさ。ちょっとイメージが貧困すぎていつもトホホって思う。
でも一番困るのが宇宙人。どれもこれも必ずこのパターン。
「ワレワレハトオイワクセイカラヤッテキタウチュウジンダ。」って必ず全部カタカナ。
まぁ
「我々は遠い惑星から遣って来た宇宙人だ」って漢字で書かれたら全然宇宙人らしくないし、しかもこの表記ならすぐさま「宇宙人が自分で宇宙人って言うかぁ」って突っ込んでしまうだろう。
同じくロボットもコンピューターとの会話もすべてカタカナ表記。
ちなみに理解不能な会話の場合は「※?!"#$&&~★テ*~」なんて感じで表現される。
これも手塚治虫と石森章太郎のせいだと思う。二人の巨匠の描いた漫画のイメージから未だみんな抜け出せない。

金水敏さん著の役割語小辞典。読んで目から鱗が落ちる思い。
「役割語」は、ある特定の言葉使いでその人物像がイメージできる言葉。
そう、もっと簡単に言えば、「いかにもその人物が使いそうな言葉」って日本語を母語とする人ならわかる言葉。
例えて言うなら、正体不明の怪物を発見したインタビューで
「僕は見たんだよ。あの森で怪物をね。でも大人は誰も信じちゃくれないんだ」
ってなると、このインタビューに答えてる人は子供で男の子だってわかる。
これが
「おらが森に入ろうとしたらば、でっけぇなんかがおって、そりゃぁびっくりしただ。でもおっかぁにいっても信じちゃくれねぇだ」
ってなると田舎の人、
「マジ見たっつーの。なんかやべぇよあれ。言ってもがんムシされたからチョーむかつく」
ってなるとギャル。
「わたくしは森のあたりでそれを見たのでございます。えぇ、もちろんお父様にはお話ししたのですけど、信じてはくださいませんでした」
ならお嬢様。
「俺、あの森のあたりで見てもうたんや。なんやあのバケモンは。アニキにゆうても「シャブやりすぎか?」って相手にしてくれへんねん」
ならチンピラ。
「拙者は確かにこの目で見たでござる。あの物の怪はなにゆえあの森にいるのであろうか。しかし誰も信じてはくださらん」
なら武士だなってわかる。
これらの会話の端々に役割語が使われてるから、聞いた側は勝手に判断し人物像を特定する。実はサラリーマンが上記の言葉を使うかもしれない。でも、それはよほど特殊な例で、あり得ない事と判断する。
TVや映画、小説や漫画で人物像をイメージするのに重要な役割を担うのが「役割語」
こういう考えや発想は全然思いつかなかった。漠然とキャラクター設定を今まで見逃してた事に、青天の霹靂、目から鱗が落ちる思い。
役割語を説明するのは方言が一番わかりやすい例だろう。
大阪人が「もうかりまっか」『ぼちぼちでんな』『そちらはどないだ』「あきまへんなぁ」なんて今時使ってる訳が無い。実際にこんな会話はギャグ以外で聞いた事が無いし使わない。でも、ドラマではコテコテの大阪弁丸出しで会話してた方が世間一般に大阪人と伝わりやすい(判断しやすい)。
「おみゃぁに海老フリャァー食わしたる」だと名古屋。
「どんどん食べてくれもっせ。おいどんはこんな愉快な酒けは久しぶりでごわす」なら鹿児島。
「おおきにどすえ。うち、このかんざし欲しいおもとりましてん」なら京都。
「おまん飲んどるかぇ。今日はわしのおごりじゃき」だと高知。
ポピュラーな方言はそのイメージを作りやすい。
大阪弁はお笑いのおかげか昔からわかりやすい。京都弁もそうだ。広島弁は映画「仁義無き戦い」で一気にポピュラーになった。ある特定人物のおかげで有名になった方言の例としては高知弁は「坂本龍馬」鹿児島弁は「西郷隆盛」、名古屋弁は「織田信長」かな?。有名になった方言は役割語として使われやすい。これが失礼ながら一般的に知られてない静岡弁とか、島根弁とかで言われても、多分その地方の人以外は地域設定ができない。
でもね、ドラマとか漫画でもそうだけど、キャラ設定の為の方言を使わせると、微妙に違うのよね。
大阪弁を使うキャラが
「今日、帰りお前んち行くわ。自転車は友達んちに置かせてもらうわ」なんて喋ってるシーンは、実際の大阪人の会話なら本当なら
「今日帰りにおまえんち寄るわ。チャリキはツレんとこ置かせてもらうわ」になるはずだが、そこまで正確な方言を喋らす必要は無い。
そう、役割語ってのは実際にその言葉を本当に使ってようが、使ってなかろうが、その地方では存在しない言葉であるとかは関係ないのだ。勝手に「その地方の人なら使うだろう」ってステレオタイプで判断してるだけ。
TVドラマや映画で田舎者が使う言葉なんて、いろいろな年代と地方の言葉が混ざってあり得ない言葉になってるはずだ。今時いくら田舎でも「おら」とか「だべさ」なんて使わないはずだし。「わらわは」とか「おじゃる」なんて言葉は今、皇室でも使わないはずだ。
もっとひどいのになると外国人の会話。先ほどの正体不明の怪物を発見したインタビュー。外国人とイメージさせたいから
「オー!ワタシ見マシタ、あのモンスターはナンデスカ?ワイフに言ってもシンジテクレマセン」なんて感じ。
よくテレビでやってる外国人のインタビューのアテレコがワンパターンなのもイメージがそうなんだろう。でも、それだからこそ安心して見れるのかも。
これが中国人だと
「はい、ワタシ見たアルね。あの森コワイ怪物いるね。誰に言っても信じてくれない。ワタシ悲しいアル。」
こんな言葉を喋る中国人に未だに会った事が無い。多分誰もであった事が無いだろう。しかもこの人が片手に中華鍋持っ白衣着てコック帽かぶってたら文句なし。(これはサイボーグ009での006のイメージが大きい)だけど中国人なら「こう言いそうだ」って思えるから「役割語」としては正しいんだろうけどさ。ちょっとイメージが貧困すぎていつもトホホって思う。
でも一番困るのが宇宙人。どれもこれも必ずこのパターン。
「ワレワレハトオイワクセイカラヤッテキタウチュウジンダ。」って必ず全部カタカナ。
まぁ
「我々は遠い惑星から遣って来た宇宙人だ」って漢字で書かれたら全然宇宙人らしくないし、しかもこの表記ならすぐさま「宇宙人が自分で宇宙人って言うかぁ」って突っ込んでしまうだろう。
同じくロボットもコンピューターとの会話もすべてカタカナ表記。
ちなみに理解不能な会話の場合は「※?!"#$&&~★テ*~」なんて感じで表現される。
これも手塚治虫と石森章太郎のせいだと思う。二人の巨匠の描いた漫画のイメージから未だみんな抜け出せない。
