GOKIGENRADIO

バーボングラス片手のロックな毎日

百田氏発言を捏造報道するマスコミ

2015-06-26 18:44:11 | Talk is Cheap
まるで主婦の井戸端会議の伝達のような話。
話の全容より、面白い部分だけを切り取って風説していく。
それを大手マスコミがやっていのか?

作家の百田尚樹氏が6月25日に自民党の若手議員が党本部で開いた憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」の初会合に講師として招かれた。その際、「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」などと発言したって各紙が報道!
記事を読んで、「うわぁ、えらい過激な事言ったな」とか「著書で書くならいいけど、こんな会合での発言なら揉めそうだな」なんて思ってた。

案の定、各紙糾弾記事満載。
でもこの報道も、また発言の一部だけを切り取って、読者に誤解をさせようとしてるかのような記事になっている。

朝日新聞は『この記事を受けて安倍首相は国会審議で「報道の自由は民主主義の根幹をなすもので、尊重するのは当然だ」と述べた。』って書いてた。朝日のこの記事だけ読むと、安倍首相は、百田氏の発言を完全否定してるんだなって読者は読み取る
毎日新聞はちょっと違う報道だ。『首相は事実関係を確認していないとしたうえで、「党において、さまざまな議論が行われる。基本的には自由と民主主義を大切にするので、報道の自由は民主主義の根幹だと言うことでの議論だと思っている」と理解を求めた。』毎日新聞の読者は「議論はいろいろな意見が出てこそ議論。ただし報道の自由もある。みんな理解してね」って首相は言ってるんだなと読者は読み取る。

朝日と毎日だけでも全然違う報道の仕方。正しいのはどっちだ。なぜどちらもちゃんと全部を報道しない?
報道はできる限り事実を正確に伝えて、それを読者なり視聴者が判断すればいい事。なぜマスコミは答えをミスリードするような真似をする?新聞紙面なら文字数の制約があるからある程度削るのは仕方が無い、とも思うが、それぞれの新聞社がネットに掲載してるデジタル版なら、文字数制限はそれほど無いだろう?

今回の件も大手新聞社四紙を平行して読んだら気づくけど、一つの新聞社の記事だけ読んだのなら、まず全容は見えてこないし、紙面記事を鵜呑みにしてしまう。大事な部分を意図的に消してしまってる気がする。何故百田さんはこのような発言するに至ったのか?ってのは省かれた記事ばっかりだ。
国語のテストみたいに「この文章を読んで、何故百田氏はこのような発言をしたのか答えなさい」(10点)って出題されたら、「沖縄の新聞が嫌いだから」とか「百田は沖縄の新聞が常に捏造記事を書いてると思ってる」としか答えようが無い。

一番怖いのは“事実”と”真実”がずれてしまう事。

なんと今回の発言騒動は、ある意味捏造だった事が判明。
百田氏が上記の発言をしたのは「事実」だが、「真実」は違った。
百田氏自らツイッターで「(これは)講演で言ったものではない。講演の後の質疑応答の雑談の中で、冗談として言ったものだ」
さらに衝撃の「真実」が。
百田氏は更に続ける。「ギャグで言った言葉を切り取られた。しかも部屋の外から盗み聞き!卑劣!それにしても、報道陣は冒頭の2分だけで退室したのに、ドアのガラスに耳をつけて聞き耳してるのは笑った。しかし、正規の取材じゃなくて盗み聞きを記事にするのは、ルール違反だし、卑劣だろう!」

なんじゃそりゃ。議論会場の中にいてこの発言を聞いたので無いなんて。オフレコの会議内容を盗み聞きして、更に雑談時に出たジョークをいかにも正式コメントのように書くなんて。なんてすばらしいマスコミだ。

ってことは、この記事に対して各政治家が出したコメントは全く的外れってことになる。

菅義偉官房長官
「我が国は憲法で表現の自由が保障されている」
米軍普天間飛行場の移設を巡り政権批判を強める琉球新報と沖縄タイムスについては「地元メディアの報道は許された自由だと考える」
加藤官房副長官の出席については「政治家としての自由で、制約すべきでない」

石破茂地方創生担当相
「我々は政権の側にいる。言論の弾圧と受け取られかねないようなことは心していかねばならない」

山口俊一沖縄・北方担当相
「自民党本部でやった会合。場所柄を考えていただきたい」

宮沢洋一経済産業相
「報道の自由を脅かすようなことは適当ではない」

谷垣禎一幹事長
「メディアに対して批判、反論はあっていいが、主張の仕方にも品位が必要だ」

公明党の井上義久幹事長
「政治に関わる者としては言論、報道の自由はしっかり尊重すべきだ」

政治家達は、この発言問題について取材され、上記のようにコメントした。だけどこれが大げさに面白おかしくした正式取材でもない捏造記事だとわかったら、怒りそうだな。

広瀬すずのTVでの発言を、前後の流れとかを正確に伝えず、面白おかしく切り取られた発言部分だけをニュースで流し、それを見て糾弾してるヤカラどもの意見を拾い集めて、それを又記事にしてるマスコミ。
政治でも芸能でも一緒か。(実際ナイティナインの岡村でさえ記事を鵜呑みにして誤解をしたまま広瀬を擁護してる発言をしてたよ)

マスコミは今回「報道の自由!」って暗に言いたいからこの記事を書いたんだろうけど、「発言・言論の自由」だってある事をお忘れなく。
「報道は自由」だけど、自分たちの都合のいいように捏造して風説する。それは世間ではデマと呼ぶ。

池上サン。あなたの唱えるメディアリテラシーはもっとTVでしつこく一般人に言った方がいいと思う。このままじゃ、ヤバいよ。
でも、それもマスコミの都合のいいように捏造編集されてしまうかもしれないか。






あの時もう一本前の電車に乗れれてば

2015-06-26 01:15:47 | Talk is Cheap
あの時●●をしたばっかりに・・・。
あの時●●さえしなければ・・・。
このような台詞が小説で出てきた時は、たいがい次の展開で悪いことが起きる。

「あの時財布を拾ったばっかりに、落とし主から多大な謝礼をもらった」とか「あの時この会社を選んだりさえしなければ、今の億万長者の自分は無い」なんて使われ方は絶対無い。普通は「あの時、普段と違うあの道を選んだばっかりに」のあとはこんなトラブルに巻き込まれたとか「あの時、困ってるあの少女を助けたばっかりに」ヤクザに追われるはめになったとかになる。

今日阪急電車での帰宅途中がまさにそれ。
仕事が終わって帰ろうと駅まで行く。改札口の券売機前で外国人(旅行者らしき)カップルが悩んでる。「May I help You?」つい尋ねてしまった。こう見えて俺は、妊婦や老人に席は譲るし、階段を重たい荷物持ってヨタヨタ降りてる人に「お持ちしましょうか?」なんて声をかける偽善者である。手助けした人が資産家で、「身寄りがいないから、あの親切な人に遺産を譲る」なんて事がいつかあるんじゃないかなどよこしまな事を期待して、親切にしてる俺。まぎれもなく偽善者である。まぁ時には俺の風貌を見て「いやいや、結構です」なんてあっけなく断られたりするんだが。それはそれで仕方ない。

どうやらカップルは梅田に行きたいんだが乗り換えがよくわからないみたいだ。大阪の地下鉄の駅には、谷町線の東梅田、四つ橋線の西梅田がある。阪急や阪神にも梅田駅がある。どう行ったら梅田に着けるのか、どれが目的地の梅田かがよくわからないみたいだ。(これは大阪旅行中の外国人がしょっちゅう出くわす問題。「Where is UMEDA?」どれが本当の梅田?って)

そう、あの時あの外国人旅行者に声さえかけなければ・・・。あんな事に巻き込まれなかったのに。

梅田のどこに行きたいのかを聞いて、我ながら完璧に教えられた。旅行者も何度も「Thanks」を言ってくれた。説明してる時間が何分かかったのかわからないが、少なくとも電車2-3本はやり過ごした。それでも気分よくホームに降りて、ちょうど来た電車に乗る。淡路で乗り換え一路我が家へ・・・。

っと思いきや電車は我が家のある降りる駅の一つ手前で停止したまま動かない。
車内アナウンスが流れる。「二つ先の駅で人身事故があって、現在事故処理中。発車までもうしばらくお待ちください。」あらら、あと一駅なのになって思いながら、まぁすぐ動くだろうと楽観視。ウトウトとしながら待つ。20分経過。あれれ?まだかね?
その時またもやアナウンス。「二つ先の駅で起きた人身事故の処理はあとしばらくかかりそうです。」
それからしばらく待っていたが、さすがにちょっと焦れて車掌に聞く。「いつ頃発車できそうですか?」 俺の降りたい駅はあと一駅。歩こうと思えば全然歩いても行ける距離。でも、降りて歩き出した途端電車が動いたらちょっと嫌。ちょうど一番後ろの車両に乗ってたから、車掌に聞く。車掌は「今連絡あって15分後には発車できそうです」って。それなら一駅歩いてもこのまま待っててもたいした差は無い。じゃあおとなしく待っていよう。ついでに降りる駅の改札口は一番先頭側だから、先頭車両まで歩いていく。まだ時間はあるしね。

そして先頭車両で待機してるところへまた車内アナウンス。
「先ほど●時●分に発車予定とアナウンスしましたが、今連絡が入り、あと30分後の発車になります・・・」って。

冗談じゃない。それなら歩いて一駅言った方が早い。しかしこの駅は改札口は一番最後尾。さっきまでいた車両からならすぐだが、ここからなら又逆戻り。しかも次の駅はこの先頭車両方面だから、実質電車車両分同じ距離を歩くことになる。無駄な時間と労力だ。考える。電車が動くまで待つべきか、ここで降りて次の駅まで歩くべきか。既に30分以上は無駄に過ごしてる。ここでの判断を間違えたら今までの時間が更に無駄になる・・・。

ここで降りて一駅歩く事を選択する。逆戻りして改札を抜け、線路沿いの道をてくてく歩く。この辺りを歩くのは高校生の時以来だなんて思いながら歩く。心の中では今止まってる電車が動き出して俺を追い抜いていかないかと心配しながら。

昔懐かしい道を歩き、次の駅まで到着する。電車はまだ動いていない。
この瞬間「あの時、一駅歩く事を選択しなければ・・・」は、「あの時歩く事を選んで正解だった」になった。俺の勝ち。何に勝ったのかはよくわからないが、なんか勝ち誇ってしまった。
しかしよく考えたら、「あの時あの外国人旅行者に声さえかけなければ・・・もう一本以上早くの電車の乗れてた」があったんだ。ってことは一勝一敗か。
電車は結局あれから50分後に動いたそうだ。って事は勝ちか?負けか?
まぁこんな日もある。