傘を持つ女

明日天気になあれ

傘を持つ理由

2005年03月28日 | 傘を持つ本人
絵本が大好きで、子どもの頃母が買って読んでくれた絵本を殆ど捨てずに持っている。幼児教育の仕事を長年やっているのでその間に自分で買った絵本も多数。また自分の子どもにも買って読み聞かせを熱心にやったので、我が家にはもう何百冊もの絵本が溢れている。

好きな作家、画家はたくさんいるが、フェリクス・ホフマンというグリム童話を絵本にしている画家が特に好きだ。数あるグリムの絵本の中で、この福音館書店の「おおかみと七ひきのこやぎ」は芸術的にも昔話を絵本にするという観点からも大変優れている。その解説はこちらのHPに詳しく書いてあるので省くが、このホフマンの描くやぎのお母さんは、一風変わっている。

ある日、お母さんはこやぎ達を留守番させて森に食べ物を探しに出かける。
「いいかい?くれぐれもおおかみには気をつけておくれ。」
そして留守番している間に、お腹をすかせたおおかみが「トントントン」とお母さんに化けてやってくる・・・という有名なストーリー。
絵本にはお母さんが‘しょいこ’を背負って森のほうへ歩いていく姿が描かれている。その姿をよくみると、彼女はエプロン姿でなんと手には傘を持っている。晴れてるのに。
「どうしてだろう?」
これはずっと幼い頃からの私の疑問だった。天気予報の降水確率なんかまだ無かった頃の話しだし。

大人になって、自分の子や保育園の子ども達に読み聞かせするようになって、また絵本に関する文献を読み傘を持つ理由が何となく分かった気がする。
この有名なグリム童話のなかには‘お父さん’は出てこない。もちろん、原作(?)のなかに出てこないし、その理由も描かれていない。でもこのお母さんが、子どもを留守番させて一人で食べ物調達しなければならない状況にあること、おおかみの腹の中に石を詰めて針と糸で縫って女手一つでやっつける状況から察するに、彼女は夫を亡くした未亡人なのではないか?

ホフマンの絵をよくみると、おおかみをやっつけた後、夜になってお母さんが一人で子どもたち七人が眠るベッドを見守る場面がある。ホフマンの解釈でも、夜になっても‘お父さん’は帰ってこないのである。そして物語が終わった後の裏表紙の中央に小さく、お父さん(らしいヤギ)の写真の額が飾られている、つまりこの家庭は母子家庭なのである。

その事情を考慮しつつもう一度冒頭のお母さんの場面を見ると、お母さんがなぜ出かけるときに傘を持っているか?分かるような気がする。
子どもを七人留守番させて食べ物調達に出かける母、まだ若い彼女にとって森には恐ろしい敵も多いに違いない。もちろん途中雨が降るかも知れないし、高い木の枝の果物なんかは届かないかも知れない。何か自己防衛できる武器?のようなものを手に持って行かなければ、自分だって大変だったんだろう・・・
それに彼女の夫つまり‘お父さん’は例のおおかみと戦って死んでしまった、とも考えられる。彼女はあまりに用意周到で、子どもたちに留守を言い聞かせるのも語気が強い。敵であるおおかみをよほど憎んでいたに違いない。そのことを思って読み直すと、彼女が家に帰って、子どもたちがおおかみに食われてしまったことを知る場面の彼女の嘆き、悲しみは胸に迫る。

このホフマンの絵本はそれほどに読者に様々なことを思い巡らせる絵本なのである。
同じ作者の「ねむりひめ」「七わのからす」も素晴らしい。
いずれも子どもの頃から親しんでいるが、大人になって子ども達に読み聞かせてさらに感動した作品だ。

そうそうちなみに、「傘を持つ女」というタイトルはヤギのお母さんからもらいました。私の夫はおおかみには食われていません。(笑)
でも数年前、百貨店で絵本に出てくる傘によく似た傘を見つけた時、胸がときめいて思わず買ってしまいました。以来、その傘を愛用しています。