傘を持つ女

明日天気になあれ

よいマトリョーシカ、わるいマトリョーシカ

2011年04月28日 | 傘を持つ家族
職場の美術館のショップで新しい5人のかわいこちゃんゲット。
子どもの頃から、ぬいぐるみや人形が大好きだった私。今では毎日お人形やぬいぐるみに囲まれて仕事しています。
これ本当に幸せ。
3年たったこの頃、人形の顔がわかるようになってしまいました。
よいわるいではなく、好きか好きでないか。
同僚のココロン曰く「毎日毎日見てるんだから、そりゃ審美眼もてるようになるでしょ」
ん~そこまでいい眼じゃないんだけど、お人形との相性みたいなのがわかるようになってきたと思う。

以前はただ可愛い表情のものが好きでした。
今は、その子がその子らしいたたずまいで在るものが好き。
自分は毎日いろんな感情があり、日々違う気持ちです。いつも側にいる人形がただ可愛いだけだと、すぐに飽きてしまう。
自分の気持ちに寄り添う優しい人形でなおかつ、自分らしさを持っている人形がいいな。時々いるんだよね。
よく幼児にパペットがいいですよ~と勧める時、どんな気持ちの時でも、心に寄り添えるため曖昧な表情の子がいいと勧めることがあるけど、似ているかな。

昨日は新しくマトリョーシカの小物が入ったので、ブローチ買いました。顔がわかるようになると、むしろたやすく人形は買えなくなる。

今日はソニプラでマトリョーシカの計量スプーンと入れ子のタッパーを買ってしまった~地味に流行ってる~マトリョーシカ。

こころが動く

2011年04月24日 | 傘を持つ本人
春めいてくると、いろいろなものが動き出すものですが、
このところ大きくこころ動かされることが多い日々。

「父の容体」
めきめき良くなるということはなく
何か処置すれば、熱が出たり黄疸が出たり。
それでも3週間の絶食の後、やっとお粥が食べられるようになったとのこと。
退院のめども立ち、ホッとするものの、家に帰ったあと大丈夫なのか?
気がかりではあるが・・・

「生きにくい」
自閉症のKくんの高校入学祝いに行く
長男Hと小中一緒だったKくんの入学がようやく決まったので、お祝いがてら
Kママを励ましに出かけました。
定時制に行くので、生活リズムが変わり親子ともどもたいへんそうだ。
Kくんにとっては、成長の節目節目に壁が立ちはだかって生きにくさを常に抱えている。
それでも彼の笑顔にこちらも温かさをもらいつつ、
私のフィールドでも(仕事のこと)、生きにくさを抱えた人との働き方は
難しいことがいっぱいあって、
私自身もともすればKくん達を生きにくくしている側になっているかも?
と悩み落ち込むことしばしば。

「人は変わる」
200人以上ものボランティアのコーディネーターをしていると、
いろいろなタイプの人がいて、対人関係で生きにくさを抱えた人にも多々出会います。
対人面でだいじょうぶかな?と心配していたある方に、
「〇さん、近頃楽しそうですね」と声をかけたら、
凄く怒った口調で
「楽しいに決まってるじゃないですかっ!楽しくなかったらぼくはここにはきません」
と言い切って帰っていきました。
そんな好意的な感情を、怒ったように表現してしまうところが
彼の生きにくいところなのかもしれないけど、
以前の彼からすると
ボランティアを始めて「変わったなぁ」としみじみ嬉しく思えた瞬間でした。
「人は変われる」ということ、この仕事を通して、今まで何度も感じたことがありました。
人は人の中で変われるのだと思います。
すばらしい。

「新聞」
震災以来毎日、新聞を読むと悲しい出来事や辛いことばかりで
必ず涙ぐんでしまいます。
以前は涙ぐむところまではこころが動かされなかったような事故や投稿などの記事でも、
しばらく涙が止まれないのは、
大きな災害について見聞きすることで、気持ちが揺れやすくなっているからでしょう。
あまりに衝撃的なニュースばかりなので、
本を読まなくなってしまいました。
気持ちが飽和状態なので、物語を受け付けないというか。
でも、すごく面白い本を読みたくてたまりません。
お休みのたびに本屋に行くけど、結局何も買わずに帰ってきます。
その変わり?、犬の散歩が結構楽しいかも。(笑)

「選ばれたのです」
母校の同窓会誌が送られてきて、何気なくパラパラ見ていたら。
私より先輩の方が寄稿していた文章がありました。
「忘れられない言葉」というタイトルで、
入学式の日の学長の言葉を挙げていました。
「あなたがたは、自分でこの学校を選んで入学してきたと思っているのかもしれないが、
実はそうではなくあなた方ひとりひとりが神に選ばれて入学することになったのです」
そうです、コテコテのクリスチャン校でしたから。
その言葉は、まさに私自身の「忘れられない言葉」でもあります。
最初は意味が分からず「はぁ?」という感じでしたが、
卒業する時は、一人一人の学生をこころから大切にするこの学校のあり方が大好きでした。
ひとりひとり社会にとって大切なgiftを持つ人間として扱ってくれました。
のちに洗礼を受けることになる私への最初の神様からのメッセージです。

昨日、美術館の受付に居たらお客様に声をかけられ、
あれこれNPOのことや美術館のことを説明し、関連資料をお送りすることになりました。
「じゃ名刺をお渡しします」と受け取った名刺に
「キュックリヒ記念財団」とあり、びっくり。
14年ほど前、上京したばかり長男が生まれたばかりで何も分からなかった頃、
ドイツ人宣教師キュックリヒ先生のお名前を頼りに、
バスと電車を乗り継いで、ここの育児講座に通っていた時期がありました。
そこにいた事務の男性がその方でした。
懐かしい話に花が咲き、こうして偶然にもキュックリヒ先生のことを思い出されたことも、
神の見計らいのようだと思います。
そして今日はイースターです。