傘を持つ女

明日天気になあれ

なかなか解決できない

2009年05月29日 | 傘を持つ本人
昨日はおやすみだっだけど、某区の子育て支援施設に見学に行きました。
新しくて素敵なところです。
前に務めていた支援センターもかなり都心でしたけど、
ここも都会の中の特殊な街中にありました。

見学と言っても、私が担当するおもちゃを使った子育て支援の事業を
開催させていただいている場所なので、
事業としてうまく回っているか?ちょっとドキドキしながら見て来ました。
そして、しっかり赤ちゃんと遊んできました!
最年少は8週目の赤ちゃん。
保育士でも一瞬緊張します。
こんな小さい人はおもちゃじゃ遊べるハズもなくて
私の顔がおもちゃでした。(笑)

仕事的にはいろいろと思うところも、悩むところもあり。
しかし久々に赤ちゃんとゆっくり遊べて、街で一人でランチ食べて
ウインドーショッピングしたりして、楽しく過ごしました。

さて、このひどい疲れの状況下で、問題を客観的に分析する作業を通して
段々頭が整理されてきて、どうしてこんなに泣いたり怒ったり(まだ続いている)
状況が改善されないか?
その理由がわかってきました。

簡単なことだけれど、仕事が多すぎる(家事や子育て、介護も含め)せいで、
やらなければならないことを全部自分で抱えこんでいたこと。
これは判っていたのですが、
それを分散したり、どうしたらいいか相談する人がいないこと。
ふと気付くと、私の周りにいる人も同じような問題を抱えている人ばかりだったりします。
夫も義妹も身近な友だちも。
職場の人は立場が違いすぎて感覚として理解できないようです。

で、一番つらいのは、
そのきつさを周囲の人に話すと
それはあなたが一人で勝手に抱え込んだからだとか、
真面目すぎるからダメなんじゃないの?とか
どうして言わないの?言えば助けてあげたのに。とか、
あ、また言ってる…と知らん顔される、とか

結局あなたが悪いんでしょ?
というカタチで切り返されること。
そうだったの。ふんふんと受け止めてくれないのか?
なんで私のせいにされるのか?
と虚しくなります。

が、人がいいのと、面倒くさくなってしまうことで
「そりゃそうだ、伝えられない私が悪いよね」とじぶんでまただましだましして
抱え込んでいるうち、爆発してしまう。という構図。

仕事の能率や日常生活の一つ一つの作業効率が落ちてきていて
ちょっとマズイような気がする。

命題

2009年05月21日 | 傘を持つ本人
職場でも子育て支援の勉強会を開催しました。
ニュージーランドの子育て支援を研究している方のミニ講演会。
以前、その方の著書も読ませていただいており
1960年代生まれの支援者がこれからの日本の子育て支援の担い手であるという
メッセージにとても励まされた覚えがある。
その本を書かれてから10年近く。
この度はなぜニュージーランドの子育て支援が日本で受け入れられなかったか?
という現実的なお話を聞く。

どうして?ということについて、
おそらく日本の支援者はもうみんな気がついている。
支援という名の下に、子育ての肩代わりをするような政策中心だったこと。
「子育て支援は親支援」
と随分前から言われていますが、
最近の感覚では
「子育て支援は親育て」
に近い。

上の子を小学校に入学させた8年前と、
下の子が卒業する今年と。
PTAの会合ひとつとっても、
「どうしてこんな些細なことすら、
私たち母親達は自分自身で解決できなくなってしまったんだろう?」
と年齢を重ねても未熟な母性に「なぜ?」と立ち止まってしまう。

特に今年の新学期は、今までになかった愚かさを感じるPTAの会合を経験。
角田光代「対岸の彼女」ではないけれど
「私たちは何のために歳を重ねているんだろう」と考え込んでしまった。
それほど、社会や隣人とつながりあえない、私も含めた母親たち。

ハタと立ち止まって、
では私に出来ることってナンだろうと?

昨日は美術館の中でわらべうたやお茶会のイベントをした。
ボランティアさんが、お客様との心温まるエピソードを交えながら、
「こうやって昔の遊びとか、遊びかたとか、話しかけ方とか
少しずつでも伝えていくことから、社会が変わるんですよね、傘持さん」と。
「効率優先、物質優先の社会の価値観が、
おかしいんじゃないか?って、
子育てしていてこそ気付くはずなんですよね。
それを伝えたい」と。
なんと心強い言葉だろうか。

「子育てって大変だけど、大変なことがつながりあうことで幸せに感じられるようになる」
平たく言えば、このメッセージを体験してもらうことでしか
今の世の中の価値観から抜け出せないのでは?

というわけで、子育て支援最前線から一旦退いたと思って、
なんとなく自分の立ち居地が分からなくなっていた私ですが、
「文化から子育ての楽しさを、
人と人のつながりで伝えていく」
という私自身の命題を再確認できて、少し自分を取り戻せた気がします。

というわけで、また味気ない山のようなマネジメント業務に取り掛かる・・・
本音を言えば、現場に戻りたい。(苦笑)

だんだん変わってきた私

2009年05月16日 | 傘を持つ本人
毎日毎日疲れて疲れて、特に4月は忙しかったので、
オーバーワークで死にそうだ~
と泣いたりわめいたりしていたら、
昨年度の持ち越した休暇を2日もらえました。

そんなこんなで、今取り掛かっているのは
業務改善プロジェクト。
まず現状把握しようと、スタッフ全員の業務についてヒアリング。
私が抱えている業務については、誰もヒアリングしてくれないので
自分で書き出す。

改めて書き出したものをみると、
よくも1年間やってこれたなぁ~とビックリしてしまいました。
全体を整理し、様々な問題の中から、早く帰ることだけに特化した解決方法を探す。
それを私自身だけでなく、問題を認識していないスタッフにも新人スタッフにも
やってもらう。
3ヶ月ほどかかる見通し。

ちょっと自信がないけれど、
この手法を教えてくれる人がいて、サポートしてもらいながら
なんとかチャレンジしてようと思います。
この作業を通して気付いたこともう一つ。職場環境は若い独身男性と未婚女性ばかり。子育てしながら連日11時までの残業のタイヘンさなんて、誰一人理解出来ないこと。泣き言言えば、被害妄想だといわれ、黙っていれば当たり前にスルーされる。
誰かに頼ってはダメで自分自身でどこからか力を持って来て何とかするしかないということ。

長年子育て支援していて、結果自分はこんな状況でいることに情けなさをかんじます。

所詮ひとの環境作りが重要だから、めげずに諦めず期待もせず行くようにしよう。

休み中、ほとんど夢中になってファミレスにこもって
この作業をしていました。
今日は、息子Sと某博物館に久しぶりに出かける。

自分がミュージアムに勤めることになるなんて、まったく思ってもみなかったこと。
この身分になってから、おヨソのミュージアムにいくと
いろいろな、実にいろいろな事が見えてくる。
ソフトもハードも、あれやこれや面白くて仕方がない。

息子の反応もどこかお客様サービス的な視点で見てしまうし
展示に関しても、他の来場者の反応を見てしまうあたり、
自分でもおかしくなってしまうほど。

そして、ミュージアムショップでは、
散々みた挙句、何も買わず・・・
「おしいなー、あと100円安ければ売れるのに」
なんて考えてしまって、ちっとも欲しくならないんだもんね~(笑)

これでは逆に楽しめない。困った困った。

三歩歩いて二歩下がる

2009年05月09日 | 傘を持つ本人
今週、来週と4日働いて3日続けて休みということになりました。
三歩歩いて二歩下がる・・・
似てるけど違うか!
このぐらいのペースで働けたらどんなにか負担が少なくていいのになぁ、
サービス残業ぶんつけてもまだ余るし。

新年度もちっとも楽にならず、
他のスタッフに怒りと泣きを爆発させてしまった結果、
「傘持さんヤバイよ。疲れ溜まりすぎ。休みなよ」
ということで、休みをもらうに至った。という
相変わらずみっともなく、のた打ち回っている挙句の休暇。

この顛末を、たまたまメールをくれた友達に話したら、
「ただのヒステリーだと思われているかもしれないから、注意しなさい!」と。
友達も同じく苦労しているクチですね。(笑)

一日目はひたすら寝る。昼も夜も。
二日目は必要最低限の家事が出来、用事を済ますことができた。
三日目、ようやく「何かしよう」という気になる。

何か全然違うことやりたいなー、と思い立って
一年ぶりにNPの講座に行きました。
子育て支援に携わる臨床心理士のための講座に紛れ込みました。

そしたらびっくり!
斜め前の席に、前の勤務先の違う部署の上司が座っていた。
辞める時さんざん引き止めてくれた上司でもあり、
顔をあわせづらい・・・

さらに、講義だけだと思っていたのに
講師が「人数が少ないので、受講者参加型の講座にしましょう」と。
こうなったら、きちんと挨拶しておくしかない!
休み時間に「ご無沙汰しております」と挨拶をしに行きました。

でも、この上司すごい。
某市では子育て支援の神様みたいに偉い人なのに、
しかも今年で定年なんだそうなのに、
こういった実践講座を休日に受講している!
現役の人でもなかなか参加しないのに。
こんな立派な方の元を、結果的に去ってしまった私って。
一番子育て支援のキャリアを積める職場だったけれど、
辞めたのは家族の病気やその他いろいろあったから。
それでもまた数年後、子育て支援に携わる場所と命題を与えられた私はラッキーだ。
文句言わずに働かねば。

講座自体は、いつもながらエンパワメントされる内容。
道に迷ったり、疲れたときは、与えられたミッション再確認のために
インプットインプット。
終わって部屋を出てまたびっくり!

今度は隣で別の講座を受講していた元の職場の同僚が。(笑)
駅まで一緒に帰る道々、
支援センターで私が受け持っていた案件のその後をすこしだけ聞かされる。
私にとってはいつも忘れ得ない一番気がかりなことで、
中にはチクリと胸が痛む案件も。
だからといって、私がいつまでも受け持っていけることではなし、
支援センターにいたとしたって、異動はあるのです。

ひとが変わっていくことって、
虫が脱皮するみたいに皮を脱ぎ捨てていくようなイメージ。
帰りの電車の中でなぜだか
「虫は痛いのかな?」
と考えてしまった。

私は少し痛い。
今やっていることが、ゆるぎなく自信を持って「これだ」と言えるのなら、
こんなに痛くはないのかな?
いやいや、それでもきっと変わっていくのには痛みを伴うものなのだろうね。

明日から、また仕事再開・・・
うーがんばる~