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介護予防 元気=免疫力アップ歌声エクササイズ Quncho73歳の「青い夏まで待てない」

2021-07-22 17:26:55 | 連絡
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Qunchoの「青い夏まで待てない」
 
Quncho
本名 堤和美
1948年 11月24日徳島で生まれ、73歳、父親の転勤で幼少から高校までを京都で過ごす。
中学生時代に聴いたレイチャールズ“What’d I say”が堤少年の魂に直撃。追い打ちをかけるように、ジェームスブラウン~ウィルソンピケット等がリアルタイムに駆け抜け、自然に黒人音楽の世界に陶酔していく。
高校時代には、キャバレー・ダンスホールへの出演で音楽漬けの日々に。ちなみに”Quncho゜とは当時のバンドメンバーであったインドネシア人がそう呼んだことから。高校3年生にしてミュージシャン”Quncho“の誕生である。
卒業後、活動を京阪神に拡大、様々なミュージシャンと交流を重ねる中で、上田正樹と出会い1973年にサウストゥサウス結成。その間、タワーオブパワー~クルセイダーズ~アイク&ティナターナー等、国内外数多くのミュージシャンと競演。国内ブルースブームを牽引。人気絶頂にも関わらず、サウスの名義では「この熱い魂を伝えたいんや」1枚を出しただけで、たった2年で解散。
のちに上京、井上茂のシーチャンブラザーズ~など様々なセッション等で活動を重ねるが、突然全ての日本での活動を休止し、渡米。いわゆる行方知れずのLA3年間を経て91年に帰国。
お帰りなさいLIVEとなった京大西部講堂でのサウス再結成の実況盤「シンパイスナ、アンシンスナ」の“Love me tender”は伝説に。
活動は加速し、1992年にファーストソロアルバム「Equator」発売。続いて「WISHES」、ニューオーリンズ~LAレコーディングの「Q」発売。
現在、長岡忠治とのユニット“QC”、正木五郎との“LOW-LOWS”、“The Stomps”、“The Thirdstone Band”等、様々なミュージシャンと音楽活動を広げつつ、GIZAクリエイターズスクールにて若きミュージシャンの育成に力を注ぐ。



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