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強制収容所収監#太平洋戦争# カリフォルニア#米作り100年#「コウダ農場」幕#2024.9.8#クーリエ

2024-09-08 15:42:55 | 連絡
国府田敬三郎は祖国から遠く離れた地で米作りを始め、「カリフォルニア米の帝王」と称された。
その敬三郎の意志を引き継ぎ、有名シェフからも愛される米を代々作り続けてきたコウダ農場だが、ついにその地を手放すという決断を下した。
8月に水の引き込みが切られると、カリフォルニア州のサウス・ドス・パロス

にある水田は緑から黄金色へと変わる。
コウダ農場を経営するロビン・コウダとロス・コウダの姉弟は、だんだん水分が抜けていく稲を手にとり、最適な収穫時期の頃合いを計る。
いまから97年前にカリフォルニアで家族経営の米作りを始めたのは、2人の祖父の国府田敬三郎(こうだ・けいさぶろう)だ。コウダ農場は新品種「コクホウローズ(國寶ローズ)」を開発し、1960年代に初めて売り出した。
世代を問わず、多くの料理人がこの米国育ちの日本的な米に感銘を受け、さまざまな料理を作ってきた。
  だが今秋、コウダ家の農場から新米が出荷されることはもうない。
農場は閉業するのだ。
「農業をとてもロマンチックに捉える人は多いけれども、農業はますますやりにくくなっています」と姉のロビン・コウダは言う。
 その理由として、カリフォルニアの農場における農業用水維持費と保険料の高騰、有機肥料、ガス、新しい農業機械の導入費用、そして就農者の少なさと高齢化という問題を挙げた。
 いずれも多くの農場主にとっておなじみの不満だが、ロビンの場合はさらに、きわめて収量の少ない最高品質の米を貧弱な粘土質土壌にこだわって育てていることも関係していた。
彼女はこう説明する。 
事業継承計画がなかったコウダ家は、保有する5つの商標を米粉製造会社の「ウエスタンフーズ」にライセンスすることで、代々受け継いだレガシーを存続させることにしたのだ。 

■地元が誇る米
コウダ農場は、サクラメントバレーのほかの広大なコメ農場と比べれば小さいが、彼らが生産する米は料理人たちから熱烈な支持を得ている。
ロビン・コウダがインスタグラムで、自身と弟が一線から身を引くと発表すると、一部のシェフはパニックに陥った。
 完璧主義で知られるレストラン「Porridge + Puffs」のオーナーシェフであるミン・ファンは、一点の瑕疵もない、香り高いコクホウローズと、とりわけ少ない水で炊けるコクホウローズの新米を賞賛する。
 「あのお米は、お風呂上がりの赤ちゃんの頭のてっぺんみたいな香りがします。ミルキーで、甘くてもっちりして、フレッシュです」
ブランドン・ジュウは、サンフランシスコで「ミスター・ジウ」を2016年に開業してから、コクホウローズ一筋で料理を提供してきた。
顧客から米の炊き方を尋ねられると、彼はいつも「秘伝の技術というより、米自体が良いから」だと答えている(厨房では炊飯器を使用している)。
 「特別な食材が地元で豊富にとれるおかげで、私たちの商売はうまく回っている。そんな気がします」
 
■「カリフォルニア米の帝王」の誕生
国府田敬三郎は行動力ある起業家精神に溢れた人物で、精米業と元武士の家庭の次男として福島県に生まれた。
1908年にカリフォルニアへやってきた彼は、コーリンガ周辺の山地で投機的な石油掘削事業に手を染める。
その後は太平洋沿岸で日系漁船のためにマグロの缶詰工場を開業するなど、さまざまな事業を手掛けた。
そのあいだずっと思い描いていたのは、種子から袋詰めに至る供給網を一手に担う、米生産農場の構想だった。
 敬三郎はカリフォルニアを南へ南へと旅を続け、ついにマーセド郡の南西端で、日本人とその家族に土地を売ってくれる地主とめぐり会う。
こうして、「カリフォルニア米の帝王」として長年、その名が知られる存在となった。 
彼は自身が開発した品種の種籾(たねもみ)を育てると、2機の飛行機を手に入れ、世界に先駆けて空中播種(はしゅ)をとり入れた。
そして米を精米して包装するための加工施設だけでなく、米を加工する際に出る副産物で、家畜の飼料になる米ぬかを有効活用するため、小さな養豚場も併設した。
 ■土地も機材も没収されて
だが太平洋戦争が始まった1940年代初頭になると米国内で反日感情が高まり、コウダとその家族は強制収容所に収監された。ロビンはこう話す。
「抑留中に被った苦難を克服することは、ついにできませんでした。
最初に手にした土地の所有権をすべて取り戻せなかったのです」
コウダ家が1945年にコロラド州のアマチ収容所から帰還したとき、わずか1000エーカーの土地しか残されていなかった。
最も貴重な仕事道具だった2機の飛行機と家畜のすべて、労働者用住居、そして9000エーカーにおよぶ最良で最高の収量を誇った農地は、残らず没収された。 
敬三郎はゼロから事業を再開したが、今回は成長した息子たちがいた。
米育種家アーサー・ヒューズ・ウィリアムズを雇用し、短粒種のジャポニカ米と長粒種のアッシリア米を交配させる実験を繰り返した。
こうして、コウダ家所有の農地と特有の微気候のもとで生育する、香り高い中粒種が生まれた。
一族はそれを「コクホウローズ」と名付け、商標登録した。
 ロス・コウダは、コクホウローズの一部を一族の故郷の福島県にある日本酒製造会社の「人気酒造」に出荷している。
ロサンゼルスの高名な「n/naka」をはじめとするレストランでは、コウダ農場産のコメで醸された純米大吟醸「uka(うか)」が注がれる。
倉庫や工業用乾燥機に囲まれた実家の農場と製粉施設で育ったロビン・コウダとロス・コウダの姉弟は、祖父・敬三郎の遺産を数十年にわたって管理してきた。ロビンは家業について、「心からの愛に突き動かされた労働」と表現する。
 「両親や祖父母が苦労して残したこの家業について、私たちは大きな義務感を感じていますが、同時に前進するときがきたとも思っています。
祖父は移民としてこの地にやってくると、新しい事業を何度も立ち上げました。
もし祖父が私たちと同じ立場だったら、『イエス、いまがそのときだ』と言ったと思います」 
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