まだ五月だと言うのに、先週までの東京は、真夏日が連続した。
店へ向かう途中に立ち寄るコンビニは、連続した暑さのせいか、人気のありそうなアイスは、どれも品切れをしていた。
そして今年も、六月が訪れた。
昨日の雨で、熱を冷ましたビルやアスファルトを、風が吹き抜け、街を乾かしていく。
今日は、いい感じだ。
暑かった五月。
後半立て続けの夏日だったこともあり、暑かった五月。
今年の五月は、そんなイメージが定着してしまった。
まもなく、東京も梅雨入りですと、早口の司会者が、関西弁でまくし立てる。
午後二時から四時の、退屈な時間を穴埋めするために、たいがいは、テレビをつけている。
世の中に、面白い出来事なんて、そう毎日起きるはずもないのに、毎日、面白そうな出来事にしてしまう、この午後のワイドショーの凄いところだ。
それには、いつも感心してしまう。
得るものなど、ほとんど何もないない番組だ。
でも、だからこそ、いいのだろう。
ただ流しているだけで、邪魔にならない。
昔住んでた街の、駅前アーケードにある八百屋さんの前を通る時、いつも同じ声がラジオから流れていた。
邪魔にならない情報を、毎日時間通りに流す。
人は邪魔にならない情報を得ることで安心をする。
人が日常に求めているのは、そんな時間なのだ。
つまり、人生もまた、そう言うことなんだろう。
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