喜多圭介のブログ

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八雲立つ……32

2008-11-06 07:20:35 | 八雲立つ……

この頃孝夫は律子が死んだとは思えなくなっていた。あいつはぼくの胸の中で隠れん坊しているのではないかと錯覚することが多くなった。胸の中の木陰から不意に顔を覗かせて、あなた、と明るい顔で微笑むのであった。胸の中で律子は活き活きと、生きていた頃と変わらない笑顔で、孝夫と遊びたがっていた。悪戯っぽく孝夫の胸の奥底まで覗き込むような律子であった。胸の中で隠れん坊をしている律子がいるかと思うと、同様な強さで思い出の場所、場所で待っている幻覚にも捉えられた。

だが大晦日の前日に京都駅近くのホテルの泊まったものの、結局孝夫は知恩院には詣らなかった。律子はやはり胸の中で隠れん坊をしており、ホテルのベッドに横たわっていると姿を現した。

――とうとうM市に出掛けることがなかったなぁ。奈良に泊まったあとM市に行って来る。律子はぼくの胸の中から宍道湖を眺めてみるか。

孝夫は自分を元気づけるように呟いた。

そして孝夫は、自分と不遇な死に方をした信隆、義典、健一、三人の従弟たちのことを考えていた。自分とはどこが違うのだろうか。健一はともかくとして信隆は警察大学校、義典は関西の私立K学院大を卒業していた。が、この四年間をすべて親がかり、信和叔父からの学費と生活費の援助で送ったのではないか。

しかし自分はそうでなかった、と大学当時のことを振り返った。

孝夫は東京の私立大学に合格したときから、父親が早く病死したことと、それまでに蓄積していた母親の生き方への反撥とで、母親からの自立を考えた。それでも最初の二年間は学費と生活費、四畳半一間のアパート代五千円と毎月の生活費一万円、計一万五千円を母親から仕送ってもらっていたが、合格した年から皿洗いのようなアルバイトを探し、本代と映画などの小遣い銭は自分で賄(まかな)っていた。無駄遣いすることがなかったので、少しずつ貯金が増えていった。そして大学二年のときから貯金よりも貯金した金を元手に端株買いを始めた。

端株で買っても株価が上がれば証券会社への手数料を払っても、儲けが出る。当初は元手が小さかったので微々たる儲けであったが、大学三年生のときから母親の援助は学費のみにし、生活費の仕送りを断るくらいの儲けが出始めた。

そして大学一年のときから交際していた二歳年上の律子が大学を卒業して働き始めたときに妊娠したので、三年生のときに律子と正式に結婚した。律子の実家の一間で暮らし始めたので、生まれた子どもの世話は律子の母親がみてくれた。この頃になると孝夫は学費と生活費のすべてを自分たち二人の稼ぎで賄うようになっていた。孝夫にとっての母親からの自立であった。

この辺の生き方が父親の呪縛から解き放されなかった信隆、義典とは違っていたのでないか、と孝夫は結論づけた。

信隆が病魔に倒れたときに小学校の六年生だった長男は、今春大学の三年生になるいう。若かった佳恵もその分年齢を加えた。二人の子供を抱えた暮らしは、叔父からの経済援助があるとはいえ苦労だったろうと想像した。叔父の言った意味とは違った意味で、女としての寂しさも味わってきたことだろう。

孝夫は佳恵に逢うのに躊躇いがあった。だが佳恵の、小野はどうなっているのでしょう、という思い、お互いにいままで感じてきたことなどをじっくりと話せるのは、これが最期ではないかと予感していた。今度いつM市を訪れることがあるのかどうかもわからなかった。叔父、叔母たちよりも自分が先に死んでいるかもしれない。

列車はM市に近付きつつあった。佳恵がJR南口の駐車場で待っている筈だった。

     *


佳恵のところに孝夫から電話があったのは、大晦日の除夜の鐘の鳴る二時間前だった。
「奈良の猿沢池近くのホテルからかけてます」
「奈良におられるのですか」
「東大寺の除夜の鐘を聞いてから、久し振りに大仏さんを拝顔しようと思いまして」
「お一人で……」

佳恵の訝しがる声だった。
「それでですね、二日から五日までそちらに出掛けようかと。叔父には先ほど電話してあります」
「お義父さんにお電話されたのですか」
「ええ」
「私、車でお出迎えにあがります。何時頃に着かれるのですか」
「午後の二時十分に」
「それじゃ南口に出て貰えたらそこの駐車場に車停めておきます」
「ありがとう。お子様たちはお元気?」
「はーい、大学に行っている高明も戻ってきてます」
「高明くんはいま二年生だったかな」
「はい、この春三年生に」
「そうですか。早いものですね」
「ほんとに……私だけがどんどん歳とってお婆さんに」
「お婆さんはまだまだ先のことでしょう」
「恥ずかしくて孝夫さんの顔を合わせられないですよ」

そう言いながらも佳恵の明るい笑い声が、孝夫の耳元に届いていた。


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