(本稿は、2011年4月27日北海道正心館七の日講話の内容をまとめたものです。)
創世記第一章は
エローヒムの書
(以下の論考は、当然のことながら、旧約聖書学でいう「エローヒム文献」(エロヒスト)、「ヤーウェ文献」(ヤーウィスト)の議論を踏まえている。但し、それらの文献学の通説と、細部において解釈が違うのは、ハッピーサイエンスの霊査による解釈を加えているからである。
講話の中では、各論すぎるので、その点に触れなかったが、レジメ上は、学問上の議論にも耐えられるように、この点を付記しておきたい。)
聖書の冒頭、「創世記」の一番最初の文章を思い出してみてください。
「In the beginning(原書に)God created the heavens and the earth.(神は天と地を創造し給うた」
この「God(神)」は、ヘブライ語の聖書では、「エローヒム」と書いてあります。ですから、「神」と訳さずに、「エローヒムは、天と地を創造し給うた」
と訳すべきだと主張する学者もいます。
そうすると、俄然、ハッピーサイエンス的な意味での迫力が変わってきますね。そして、その「エローヒム」が、現代に「エル・カンターレ」として生まれ変わっているのです。海外伝道は、この一行で終わってしまうことになります。
そのあと、神(エローヒム)は、7日間でいろいろなものを創造されたのですが、まず、神、つまりエローヒムは、「光あれ」とおっしゃった。すると、「光が現れた。」
「地に植物を芽生えさせよ」と、エローヒムが仰ると、「そのようになった。」
「次にエローヒムは、二つの大きな光るものを創られた。大きいほうの光るもの(太陽)には昼をつかさどらせ、小さいほうの光るもの(月)には、夜をつかさどらせた。また星々を創られた」とあります。
これらの文章の主語がエローヒム、つまり、エル・カンターレであると解すると、「大宇宙の創造主」としての真実味を帯びてきます。
更にエローヒムは、動物を創造された後に、「いよいよ、人間を創造しよう。我々の姿に似せて」 とおっしゃいます。
(ここで「我々」と言っているのは、「エローヒム」が複数形であることに対応しています。エローヒムが「神」であると同時に「神々」(指導霊団)であることが、この一点からも明らかで、「一神教」からは説明のつかない事態なのですが、ユダヤ・キリスト教の神学は、この点について、思考停止に陥っています。
こういう事例は、聖書の到る所に、山のように出てきます。)
そして、 「エローヒムのかたちに人間を創造し、男と女を創造した」と。
(以上は、創世記第一章であるが、ちなみに、同第二章の中で、「男(アダム)の"あばら骨"から女(イブ)を創った」と主張している「神」は、エローヒムではない。結論から言うと、後述するように、それが、ヤーウェである。)
そして、「エローヒムは、彼ら人間を祝福し、「生めよ、増えよ、地を満たせ」とおっしゃった」とあります。
この表現、 『太陽の法』の「人類創造」のくだりのタッチとよく似ていませんか。ヘブライ語までさかのぼって見ると、実はそうなっているのがよくわかります。
エローヒムがモーセに
語りかけた部分
その次の「出エジプト記」も重要です。ヘブライ語までさかのぼると、「出エジプト記」のどの部分が、「エローヒムがモーセに語りかけた部分」か、わかります。
ここで引用するのは、モーセがミデアンの地で、父祖の神と出会う瞬間です。
出エジプト記の第3章を見ると、 「エローヒムは、柴の中からモーセを呼び止めて、エローヒムは、「モーセよ、モーセよ」と仰った。モーセは、「はい、ここにおります」と答えた」 とあります。
「その時に、エローヒムは仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたは靴を脱ぎなさい。あなたの立っている地は、聖なる地である」
「私(エローヒム)は、あなた方の父祖の神、アブラハムの神であるエローヒムであり、イサクの神であるエローヒムであり、ヤコブの神であるエローヒムである」と、語源までさかのぼれば、正確にはそう訳されるべき箇所が出てきます。
それに対してモーセは、「エローヒムを仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した」
とあります。エローヒムは続けて、 「私があなたを、イスラエルの民のところに遣わす」
と言います。するとモーセは、 「彼らに「あなた方の父祖の神が、私をあなた方の下に遣わした」と言えば、彼らは、「その神の名は何ですか」と尋ねるでしょう。私は、何と答えたらいいのでしょうか」 と聞き返します。
ここからが有名なくだりです。
「God said to Moses. "I am Who I am".」
このGodは、エローヒムと置き換えてください。「私は"在りて在るもの"である」と。「このようにイスラエルの民に答えなさい」とモーセに言ったのです。
この部分は、英語版の種類"I am That I am" だ、"I will be what I will be" だったりします。
これの意味を、ハワイでのご説法『Be Positive』の中で、
「I am the origin of love.(私は愛の根源である)」と仰っています。言葉を換えれば、「世に存在しているものは、全て私から生まれたのである」とおっしゃっていました。
"I am Who I am"の解釈は、いろいろ出ていますが、私の知る中でも、この
『Be Positive』の解釈が、一番わかりやすい説明でした。
いずれにせよ、ここが、今の西洋文明の一つの出発点なのです。
(「その3」に続く)