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Mikuのブログ

『エローヒムとは何か(序論)』3

2011-05-07 02:12:51 | 幸福の科学・宗教・科学・医学・SP

幸福の科学 北海道正心館

(本稿は、2011年4月27日北海道正心館七の日講話の内容をまとめたものです。)


ヤーウェの「誤訳」は、
どこから始まったのか     



 次に、旧約聖書には、ヤーウェという神が出てきますが、ユダヤ教徒でそれを「ヤーウェ」と発音する人はいません。「みだりに名前を口にしてはいけない」という戒律があって、通常は、別の名前を代名詞として使っています。
その代理の表現を「アドナイ」と発音します。
その「アドナイ」が、ギリシャ語に訳されたときに、(「代理表現」なので厳かに見えたのか)、「主」という意味のギリシャ語に訳されてしまいました。
従って、英語に訳された時は、"Lord"となり、日本語の聖書では「主」となっています。
「聖書に登場する「主」の語源が、すべて「ヤーウェ」である」
とは言いませんが、少なからぬ部分は、「ヤーウェ」を語源としています。
もちろん、根本にある原因は、「至高神エローヒムとその他の神霊の区別がつかなかったモーセの悟りの未熟さ」 ( 『黄金の法』第5章)にあるのですが、それが、聖書の上では、そのような翻訳のスタイルとなって、現われてしまったのです。)
 御法話『ヤーウェ、エホバ、アラーの正体を突き止める』によれば、ヤーウェはその後、19世紀の英国保守党の首相ディズレイリーとして生まれ変わりました。イギリスで唯一、ユダヤ人出身で首相になった人で、アフリカの植民地化を強力に推進しました。全知全能の神でも何でもありません。
また、エローヒムによれば、「ヤーウェ自身は、エチオピアかどこかの、エジプトに攻め込まれた地方の、辺境の地の小さな神がその出自であり、現代に例えれば、リビアのカダフィ大佐程度の存在だ」
とのことです。
それが実態なのですが、「主」という言葉が冠せられたために、かなりの混乱が、その後の歴史で生じました。

(「主」とは本来、「創り主」という意味であり、「エル・カンターレ」にこそ、冠せられるべきものです。)

しかし、翻訳上の経緯からいうと、そういう混乱が起きています。「主」の名の下に、ここ三千年ほど、かなり西洋人を惑わせてきたので、「幸福の科学が、ユダヤ・キリスト教の中の「砂金」(エローヒム)と「石」(ヤーウェ)を選り分けなければならない」所以(ゆえん)となっています。

聖書の中で、「主」(Lord)という言葉に出会ったときに、「それがどちらの神のことを言っているのか、内容によって見分けよう」という眼を持つと、「洗脳」がパラパラと、剥がれ落ちるのを感じます
あるいは、バチカンの麗々たる宮殿も、「音をたてて崩れる」とは言いませんが、 「張り子の虎」に見えてくる感覚に打たれます。

(西方教会(カソリック、プロテスタント等)は、一般に、「エホバ(ヤーウェ)を全知全能の神にしたがる」気が、ややありますのでね、これくらいは言っておいた方が良いと思います(笑)。)



びっくり仰天のヤーウェ発言        



 具体的に、ヤーウェ起源のいわゆる「主」の発言を見てみましょう。
ユダヤ民族の始祖はアブラハムですが、「創世記」第12章でアブラハムの前に登場する、いわゆる「主」を、ヤーウェに置き換えて読んでみます。
「ヤーウェは、アブラハムに言った。あなたの周りであなたを祝福する者たちのことは、私も祝福してあげるが、あなたを呪う者がいたら、私もその者を呪ってやる」と。
この発言を白紙の目でご覧になったら、いかがですか。
「四正道」「許す愛」を学んだ人からみたら、「おかしい」と思うはずですね。「これがイエスの言われる"天なる父"の言葉なのだろうか?」と。
「あなたを迫害する者のためにこそ祈れ」と、「あなたを呪う者をこそ許せ」と、
神ならばおっしゃるはずではないか、と思われると思います。
「許す愛」を説いて、これを修正するためにイエスが降臨された意味がよくわかります。
「これが本当に神様の言葉なのだろうか?」と思っても、
「でも、Lordの名の下に書かれていることだから、神様が呪ってもいいなら、自分達も、呪ってもかまわないのだ」
ということになって、紛争が絶えないわけです。
 
 

 次に、 「出エジプト記」の第5章を見てみましょう。
モーセが山でエローヒムに会った後、モーセと兄のアロンはパロ(エジプトの王)に会いに行って、次のように言います。
「ヤーウェはこう言っています。"私の民(イスラエルの民)を自由にして、元に戻しなさい"と」
するとパロは、こう答えます。
「ヤーウェとは誰だ?聞いたことがないね」と。
つまり、超大国エジプトの王から見ると、
「辺境のパレスチナの地の、山の神の名など、知らないよ」
というわけです。

このように、 「主」を「ヤーウェ」(辺境の地の山の神)に置き換えると、文章の意味が一変してきます。

その後、第5章以下第12章まで、パロにヤーウェの言うことを聞かせるために、ヤーウェの名の下に行われたことは、

「ナイル川の水を血の色に変えたり」、
「蛙(カエル)を大量発生させて、地を覆ったり」、
「地上の塵(ちり)を大量のブヨに変えて、人間を襲わせたり」、
「アブの大群を家々の中に侵入させたり」、
「人々の皮膚に、膿(うみ)の出る腫れ物をつくったり」、
「農作物の上に雹(ひょう)を降らせたり」、
「イナゴの大群に全土を襲わせたり」、
「エジプト人の全ての初子(ういご)の命を奪ったり」
ということです。

大体このあたりで、人は、旧約聖書が嫌いになってしまうのですね(笑)。
(実際、私の知っている人で、こういうのが原因で、最後まで「洗礼」を受けなかった人がいます。)

「これを誰が命じ、実行させたのか」というのは、実際、日本語或いは英語の聖書だけ読むと、全て「主」が命じたことになっているので、それで混乱してしまうわけです。

しかし、ヘブライ語の原典までさかのぼって紐解いてみると、「アドナイ」と書いてあって、これはヤーウェの「代名詞」のことなのですね。

これがわかると、「なぁ〜んだ」と疑問が氷解して、安心します。
これを長らく、「"神"がやったことなのだ」と信じてきた(少なくとも、信じ込もうとしてきた)わけですから、西洋三千年の歴史も、なかなか大変です。
(「その4」に続く)

 

 

 



 


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