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Mikuのブログ

脳死判定 18歳未満2例目 「脳死は人の死ではない」

2011-09-05 10:30:16 | 脳死・臓器移植・医療

 

脳死判定 18歳未満2例目 「脳死は人の死ではない」 ザ・リバティWeb
 

3日、関東甲信越地方の病院に頭をけがして入院していた15歳以上18歳未満の少年が、法的に脳死と判定された。18歳未満の脳死判定は、昨年7月の臓器移植法の改正以降、今年4月の10代前半の男児に続いて2例目。 
 
少年は生前、臓器提供について書面で意思表示はしていなかったが、両親を含む家族6人の総意で提供を承諾。
心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓(すいぞう)、小腸が提供される。  
 
 

臓器提供を待つ人やその家族にとっては朗報だろう

 

しかし、弊誌が長年訴えてきたように、霊的な真実は「脳死は人の死ではない」。

 

本当の死の瞬間とは

心臓が停止してから約24時間後に魂と肉体をつなぐ霊子線(れいしせん)が切れたときである。だから、臓器移植をする際、脳死と判定された人の魂はまだ肉体に宿ったままであり、その状態で臓器を取り出せば、本人は生きている人と同じような痛みや苦しみを感じることになる。 
 
この問題は、死後数時間のうちに行う病理解剖などでも発生するが、一つ救いもある。それは、脳死者や担当する側の医師が、正しい霊的人生観を受け容れているか否かだ。 
 
大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁は今年6月、湯布院正心館(大分県由布市)で行った説法「病気を治す心構え」の質疑応答で、男性医師からの臓器移植や病理解剖についての質問に次のように答えている。 
 
「医者だけど、お坊さんを兼ねるしかない。引導を渡しながら解剖されたらいい」「『死んで魂になったら、あなたは痛みを感じることはないはず。痛く感じるのは、まだ肉体と心が一体化しすぎているだけ』と、思いにおいて麻酔をかけて、『あなたは肉体から離れて、天国に還らなければならない。肉体に執着を持ってはいけない』と伝えることです」 
 
霊的人生観を心から受け容れることができれば、異なる結果が生まれるが、唯物論・無神論が広がる現状の日本で臓器提供が横行すれば、臓器を移植した本人は苦しみ続け、移植を受けた人にも憑依現象が起こるなど、ある種の地獄を生み出すことになるだろう。(格) 
 
【関連記事】 
脳死問題について語る大川総裁の動画映像を含む記事「脳死の人は、まだ死んでいない」 
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=42
15歳未満の子供に、初の脳死判定 
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=1746

 

ザ・リバティWeb http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=2784


以前、このブログでも取り上げさせてもらいましたが、また未成年による脳死判定、臓器移植が執り行われてしまいました。

臓器移植を待っておられるお子様も日本にも多いと伺っております。臓器移植さえ出来れば、そのようなお子様が元気に人生をまっとうできる。というお考えも痛いほどわかります・・・・しかし、それも現在の日本人の認識のままでは、いかに回復されたお子様が幸せそうに見えようとも、地獄を生み出す結果にしかなりません。私たちが学校やテレビ、親から教わっていない真実、というものがあります。どうか、その“常識”に耳を傾けてくださる方々が増えますように。(miku)


 

 


「脳死」後も生存の子供続出!

2011-07-21 13:01:36 | 脳死・臓器移植・医療

“読売新聞の医療機関へのアンケート調査で、20人中12人が「脳死」と判定されてから30日以上生存していたことが明らかになった。

その中には2年以上生きていたケースもあったという・・・・・。”

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=2431

同Webでは

「この「長期脳死」については“医学的に未解明”であるため、家族にどれだけ説明するかの、明確な基準がない”

“医学的に未解明”ということは、人間の死がいつか、医者は定義できないということである。それならそもそも臓器移植は医者の著しい越権行為である。」 としている。


こちら

「ザ・リバティWeb]とは関係ありませんが

ブログ「風のたより」より

           

http://letterfromthewind3.cocolog-nifty.com/letter_from_the_wind_3/2009/09/2008-7798.html

 

 

 


脳死は人の死ではない3

2011-07-02 20:43:50 | 脳死・臓器移植・医療

これまで申し上げましたように、改正臓器移植法は「脳死を人の死」と位置付け、脳死者の身体を「死体」と表現しています。

しかし、脳死者であっても心臓が動き、呼吸をしています。一昨年、イギリス人女性が脳死診断の2日後に女児を出産しました。

脳死者が出産するケースは少なくありません。それでも、脳死を「死」と断定できるでしょうか?

「脳死を人の死」と位置づけるのは、いわば「唯脳論」という“医学的マルキシズム"です。

「死体から臓器を取り出すのだから、何ら問題がない」というのは、命を剥奪して臓器を取り出す罪悪感を消す言い訳にしか見えません。

繰り返しになりますが、幸福実現党は宗教政党としての立場から「脳死は人の死ではない」という立場をとっています。

臓器移植法改正で、15歳未満の子供からの臓器提供ができるようになりましたが、少なくとも今回のように、 自分で明確な意思判断、意思表示ができない15歳未満の少年のケースは、決して認められるべきではありません。

     

脳死推進論者は「もう先は長くない、一人の脳死者の臓器提供によって、多くの人の命を救うことができる」と言っています。

しかし、目的が「善」ならば、何をしても許されるのでしょうか?命の重さを比較考量し、本当は生きている人から臓器を抉り出し、本当の「死」に追いやることが果たして許されるのでしょうか?

「死」や「魂」といった事象については宗教が関わるべき分野であり、唯物論的な合理主義によって「人の死」を法律で決め、臓器移植が次々と行われている現状に胸が痛みます。

臓器移植のニーズに対しては、政府は、日本が世界最先端の技術を有している「再生医療」の実用化に向けて積極的に投資すべきであり、脳死者を臓器移植の供給源と見なす考え方は変えていくべきです。


それが、脳死状態になられている方々の命と尊厳を守ることになると思います。

こぶな 将人
HP:
http://blog.canpan.info/kobuna/

 

 

 

 

 

 

 


脳死は人の死ではない2

2011-07-02 20:43:29 | 脳死・臓器移植・医療

   

 

これまでの臓器移植法では「臓器提供に限り人の死」と位置づけられていましたが、改正臓器移植法は「脳死は一般に人の死」と位置付け、脳死者の身体を「死体」と表現しています。

そして、15歳未満の子供からの臓器提供ができるようになり、本人が生前に臓器提供を拒否表明していなければ、家族の同意で臓器提供が可能になりました。その結果、臓器移植の可能性が格段に広がりました。

しかし、脳死状態であっても、心臓は動いています。脳死状態で「意識が無い」ということは科学的には証明されておりません。

脳死患者が家族の呼びかけなどに反応して涙を流したり、血圧が上がるなどの反応を示すことがあり、脳死状態であっても意識があるとする見解も少なくありません。

特に、子供の脳死の場合、身長が伸び続け、歯が生え替わり、顔つきが変わる例も報告されています

それなのに「脳死」を「人の死」と定義して良いのでしょうか?

私たちは霊的世界の真実から見て、「心停止後およそ24時間後」が本当の人間の死であると考えています。

こうした中で「脳死」を「死」と位置づけ、臓器を摘出することは「尊い生命」が合法的に奪われてしまうことを意味します。

特に、子供や乳幼児は、生前に臓器提供を拒否する意思表示を明確にしておくケースは少ないと思われます。

限られた時間内で、家族が臓器移植の是非を迫られ、子供の「死」を決めても良いのでしょうか?

当時この法案に対しては、自民・民主両党とも見識を持たず、明確な判断ができませんでした。


その結果「議員一人一人の判断にゆだねる」という異常な形で審議が進められ、2009年7月13日、参院本会議で賛成138、反対82で可決、成立しました。

幸福実現党の立党直後の時期でもありましたが、麻生政権末期で、解散直前のドタバタの中で、十分な議論がなされないまま、すんなり改正法案が成立してしまいました。

改正臓器移植法は「人の死」とは何かを決める法律です。
政局の中で法が改正され、大々的な適用が始まった現状に懸念を感じざるを得ません。(つづく)

こぶな 将人
HP:
http://blog.canpan.info/kobuna/

 

 

 

 

 


脳死は人の死ではない

2011-07-02 20:37:50 | 脳死・臓器移植・医療

さる4月12日、非常に心の痛むニュースが報道されました。15歳未満の子供に初めて「法的な脳死判定」があったのです。 

15歳未満からの臓器提供を可能にした昨年7月の「改正臓器移植法」施行後、初の適用例となりました。 

本人は生前、意思は示していませんでしたが、家族はこの少年の臓器提供に承諾の意思を表明し、直ちに臓器移植手術が行われました。 

手術そのものは成功と報道され、少年の心臓、肺、肝臓など多くの臓器が摘出され、患者に提供されました。 

脳死については、以前より現在に至るまで社会的にも論争になっており、国論として結論が出ていない問題であります。 

脳死に陥った場合、臓器提供は「義務」ではなく、残された家族が選ぶことができる「選択肢」のひとつです。家族は、自らの子供の「死]を選んで、他の子供のために臓器を提供することを承諾するか、「死」を決める重い選択を迫られます。 

いずれの選択をしても、家族にとっては重い選択で、その後も自責の念にさいなまれる方も少なくありません。 

マスコミ報道では、重い病気にかかっているお子さんが日本で臓器移植を受けられないために、やむなく海外に行くという特集を行い、日本の脳死関連の法律が不備のために、多くの日本人の命が失われているというキャンペーンも見られます。 

しかし、私たち幸福実現党は、宗教政党として、臓器提供者の立場から「脳死は人の死ではない」という立場を取っております。(つづく) 

こぶな 将人 
HP:http://blog.canpan.info/kobuna/