

今日は、若年性認知症の当事者・丹野智文さんの講演を聴いてきました。
どうしても、生の声を、息遣いを、間近で感じたかったのです。
丹野さんのことを知ったのは、数年前の大学の認知症ケアの授業でした。
著書を読み、レポートを書くという課題がきっかけで、それ以来、心に残り続けていた方です。
ステージに立つ丹野さんは「認知症の人」ではなく「丹野智文さんという一人の人間」だと。
39歳で若年性認知症と診断されてから12年。
「できること」と「できないこと」を自分で把握し「できないことだけサポートしてもらう」と話される姿に、静かな強さとしなやかさを感じました。
仙台から長崎までひとりで来られ、
「まだまだ希望があります」と語る丹野さんの言葉は、私の胸に深く届きました。
でも、こうした講演が必要とされていること自体、まだ私たちの社会が“共生”には遠いのかもしれません。
丹野さんは言います。
「認知症になった途端、日常や尊厳が奪われる」
「一番近い家族が、優しさのつもりでその人らしさを取り上げてしまう」と。
私たちは、「よかれと思って」先回りしがちです。
けれど、その行動が、当事者の苦しみを深めてしまうこともある。
周囲の目線ではなく、当事者の立場で考えること——
その「意識の変化」が何より大切だと感じました。
認知症になっても、高齢者になっても、障害があっても、
人は誰でも「自分らしく生きる権利」がある。
その当たり前が、もっと当たり前に尊重される社会であってほしい。
「できなくなったこと」ではなく「まだできること」に目を向けること。
誰かの代わりに決めるのではなく、本人の声に耳を傾けること。
目の前の人を「状態」ではなく、「一人の人」として見ること。
そんなちいさな意識の変化が、
誰かの尊厳や笑顔を守る力になるのだと思います。
優しさのかたちは、人それぞれ。
でも、「その人らしさを奪わないこと」——
それは、私たちみんなにできる優しさかもしれません。
さあ,私も私にできることを考えながら、再提出となったソーシャルワークのレポートに取り組みます(笑)
社福を目指して、、私自身の歩幅で
こんな貴重な時間を作ってくださった主催者の長崎県認知症グループホーム大会の皆様に感謝
長崎が愛に溢れる街になるといいな