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げなだべげな

長崎から福島へそしてさいたまへ→そして長崎へ

裏庭の夕暮れ

2024-05-29 20:21:00 | 日記



今日の裏庭カフェの夕食はおひとり様ではなく姉と一緒



ありあわせの夕ご飯となりました

今日は母の病院受診に付き添いました

今日の母は超冴えてましたー

大好きなアイスクリームを食べてご機嫌でした

まだまだ残存機能はたくさんあることに感謝



蕎麦さまさま

2024-05-26 19:11:00 | 日記
昨日、打った蕎麦

叔父が自分の知り合いのお寿司屋さんに渡したとのこと

そしたら、な、な、なんと「感動した」とお寿司を握ってきてくれました



えっー、そんなぁ、び、び、びっくり

料理のプロの方に、そんな言葉を頂くなんて、、とても嬉しい限り

その大将、蕎麦が大好きなんですって

喜んで頂いて、、しかも「感動」だなんて、、、

私の方こそ、ありがたく頂きまーす

蕎麦でつながるご縁、蕎麦さまさま












オレンジ・ランプ

2024-05-25 14:47:00 | 日記



映画「オレンジ・ランプ」を見てきました

この映画の主人公となった人のレポートは学校の授業でも書いたことがありました

その時のレポート↓↓

「ただ認知症と診断がついただけど、本人にとっては何も変わらないのに、自分では何一つ決められない生活が始まるのです」


私にはこの一文がとても心に刺さった。

それで、拒否すれば、認知症が進んだと思われ、ますます認知症の方の心を理解することから離れていく現実。


認知症の方の「尊厳」が家族にでさえ守られていない社会なんだと改めて痛感した。家族の戸惑い、不安、そして先回りという優しさ。

本人によかれと思っていることが、ご本人の生活を狭め苦しめていること、その自覚の無さ。


偏見をなくし、もっともっと認知症というものを社会全体が知るべきだと思った。


2025年には5人に1人が認知症となると言われている。表面的な寄り添いではなく、認知症の方もそうでない方も自然に暮らせる空間が必要。


そのために、私には何ができるのか、、自分の日常生活を考えさせられた。


認知症の方と接する生活の中で、私は無意識のうちに自分よがりに決めつけて接していないか、、きちんとその方を真ん中に置いたパーソン センターケアを行なっているか改めて振り返った。


当事者になるかもしれない、もしくは認知症の人を支えるかもしれない


これから、みんなが関わることでしょう


たくさんの方々に見て頂きたい作品です


誰もが持っている思いやりという小さな灯火


社会がオレンジ色になりますように


裏庭蕎麦

2024-05-25 12:03:00 | 日記
今日は仕事は休み  

叔父から頼まれていた蕎麦を20人分打ちました 



これまでは福島から蕎麦粉を送ってもらっていたんですが、送料が高くなったので、自分で見つけた熊本の製粉所から石臼で挽いた蕎麦粉を送ってもらっています

やっぱり石臼がいいんです

今日のは熊本産

加水が45でいい感じにまとまりました

試食で食べてみました



空間も蕎麦もGOODです

自分で言うのもなんだけど、めっちゃ美味しかったぁー

ただ早く食べないと暑くて蕎麦が渇きます(笑)

いつかは、お店というか、みんなが集って蕎麦を食べる空間を作りたいなぁ








何でもいい

2024-05-24 23:59:00 | 日記
今日は茂里町でコミュニケーションスキル研修

講師の先生の経験談「何でもいい」という言葉についてこんな話がありました

奥さん「今日の夕ご飯、何がいい?」

夫「何でもいい」

奥さん「はあっ?、何でもいいってちゃんと考えてよ」と怒る

僕は「何でもいいよ」と料理の選択肢を広くしてあげてるんです。だけど、奥さんは何を作ろうかと料理の選択肢を狭めたいから、何をたべたいか僕に聞いていることに気づきました。

「何でもいい」という言葉は、会話をブロックしてしまう言葉

会話はそこで終わってしまうんですよ、、と

この話、ある、ある、ある!!(笑笑)

おすすめは、反復して相手に返すと会話が成り立つ

例えば、、、

奥さん「今日の夕ご飯、何がいい?」

夫「何がいいかなー?」

奥さん「和洋中だったら?」

夫「和洋中ねー」

奥さん「中華はどう?」

夫「中華いいねー」

奥さん「酢豚とエビチリだったら?」

夫「エビチリかなー」

反復すると奥さんから狭める言葉を放ってくるので、それに乗って会話として成立してうまくいくそうです

そう、言葉のキャッチボール、とっても大事!!