三日坊主脱出!

シモネタあり、おやじギャクあり、自虐あり、たまに真面目な話あり

まだまだ知らない戦争のこと

2005年09月26日 14時31分36秒 | その他
私の母の父は、母がまだ幼い頃戦争に行って亡くなりました。
母は、母の父と動物園に行った記憶だけはかろうじてあるんだそうです。
私の父の父は、父が父の母のお腹にいた時に戦争に行って亡くなりました。
父が産まれた時の写真は見たという手紙は来たんだそうです。
「とてもかわいい子だ、男の子らしくしっかり育ててほしい」と手紙に書いてあったんだそうです。
初めての我が子を一度でいいから抱き締めたかっただろうなと思います。
そんなこともあって、戦争に関しては小さい頃から結構本などを見たりしていました。
祖母からも話を聞いていたりしたので、戦争に関しては結構色々知ったような気になっていました。

昨日、たまたま見てたテレビで、戦時中テニヤン島にいた二瓶さんという方の話を特集していました。
海岸の脇の絶壁のようなところを指して、あそこで母が亡くなった、あそこが母の最後だったと言うので、
私はてっきり、あぁ、きっと自決してしまったんだなぁと思っていました。
沖縄のように、米兵が上陸した地方では、生きて辱めを受ける(捕虜になる)より自決する方を選ぶ人が多かったんだそうです。
戦時中の教育、思想がそうさせたんだそうです。
ところが、二瓶さんの場合は違いました。
まずは、上陸してきた米兵から逃げる途中で、怪我をした妹さんを、二瓶さんの父親が自らの手で殺したんだそうです。
それは妹さんからの希望でもあったんだそうです。
家族の足手まといになりたくない、殺してほしい。
今の世の中で、そんなことを言える人ってどのくらいいるでしょうか?
足にしがみついても、お願いだから見捨てないで・・・って人の方が圧倒的に多いでしょうね。
戦時教育で備わった勇気や強さが、もっと他のことに生かせる世の中だったらと思います。

しかしながら、病気や怪我をした者、子供などを、足手まといだから、捕まったら可愛そうだから、
苦しい逃亡を続けるより死んだ方が楽だからという理由で、自らの手で殺害する話も当時は珍しくはないようです。
愛する者を愛するゆえに殺害する・・・
今の時代には想像もつかないことですね。

そして、二瓶さんは、母親から殺してくれと頼まれたんだそうです。
とうてい出来ないと一度は断ったそうですが、母親から説得されてとうとう母親に銃を向けたんだそうです。
手を合わせる母親に向かって、胸に1発、そして最後に眉間に撃ったんだそうです。
それを見ていた9歳の妹が、今度は私の番だねと母親と同じ格好で待つんだそうです。
その前に水が飲みたいと言い出し、死に行く妹のために必死で水を探し、水を飲ませ、
そして銃で撃ったんだそうです。

誰も誰のことも責めることは出来ません。
息子に一生の苦しみを負わせてしまった母親も、そのときは、それが一番の息子のためと思ったに違いありません。
誰かを思うことが、自分が死ぬことだなんてあまりにも惨いことです。

愛する人を素直に愛することが出来、愛する人のために何でも出来る時代、
私達は、その幸せをもう一度再確認しなくてはいけないと思いました。

戦争体験者は段々と時代と共に減ってきていますが、
絶対に忘れてはいけないことだと思います。

あるテレビ番組でインタビューされた中国人の人が言ってました。
「戦時中のお互いの恨みは忘れて、悲劇は忘れずにいましょう」
すごくいい言葉だと思いました。