忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

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2022年07月09日 | 忘憂之物







最近、なぜか仕事が忙しい。いや、繁盛しているわけではなく、なにかと小さなトラブルもあるし、人手不足も否めないし、無意味なダウンミーティングや会議も少なくないし。リモートだからといって、とくに話もないなら一斉メールで「こんにちは。今月もがんばりましょう」とか送ればいい。

昨日は銀行に行った帰りの道すがら、小さなスーパーに立ち寄った。「生産者を応援します」みたいな張り紙があって、路地モノの野菜などが並べられている。そこに「きくらげ」を見つけた。袋に入っているのをふたつ、衝動的に買った。ついでにキュウリとナス、それからトマト。レタス。

他の部署や事業所に部下を送る。「応援」だ。私が直接、行くこともある。片足に「早期リタイア」と書いてある51歳に頼っている時点で危うい会社だが、20代30代はもっと死ぬ気でやれと言いたい。私などの若いころは死ぬ気で死んだほど仕事をして死んだものだ。まったく、せっかくの人生、文句ばかり言わず、いや、もっと、ちゃんと文句も言って気張れと言いたい。

我が家は基本的に私が食事をつくる。好きだからだ。妻には弁当も作って持たせる。稀に仕事などで作れない日があると妻から文句を言われる。あと、量が多かったり、揚げ物中心の「茶色」だと文句を言われるから、ちゃんと謝って次から気をつける。昨夜は「きくらげ」とキュウリで酢の物をした。妻は「きくらげ」が好きだ。私は喰わない。

私は昼過ぎ頃に適当に出社するが早起きだ。そして妻の弁当を作り、自分も朝飯を喰う。それから自室かベランダでコーヒーを飲み、煙草を吸いながら本を読む。今の季節はベランダはもうアレだから、キンキンに冷えた自室にいることが多い。今もいる。少しずつだが論文を書いたり、仕事関連の資料をつくったり、あと小説を書いたりしている。いまはこのブログを書いている。

久しぶりの喪失感だ。集中力が全くない。テレビは全く見ていない。

ネットでは「ケネディ暗殺」を言う者もいたが、私はジョンレノンを思い出した。凶弾に倒れたニュースを聞いたファンは、その強烈な喪失感に崩れ落ちた。それからよろよろとダコタハウス前に集まって泣いた。40年以上経ったいまでも集まってギターを弾いて歌っている。

なにをしてよいのかわからないとき、どうすればよいかわからぬとき、例えば、私には仕事があった。本当に助かる。

他部署や他事業所の責任者の家族にコロナが出た、と聞けば私が代わりに入る。普段からコミュニケーションをして、休めていない管理職などがいれば調整して休ませる。連休も取らせる。どうしても難しいなら私が直接に行く。部下も走らせる。私は仕事ができないのがたまにキズだが、私が仕込んだ私の部下の多くは仕事ができる。切れ者ばかりだ。私はなにもできないが、部下は何でもできるようにしてある。私が管理監督する事業所などは、私がいないほうが円滑だ。だから私はいつでも自由だ。

だから、久しぶりに休みでも取ることにする。妻とどこかに出かける。


喪失感と言うが、実は「感」ではない。事実として日本国の喪失。国際社会の喪失だ。こんなでかい穴を埋めることは不可能だ。ただ、みんな「すべきこと」があるはずだ。それを探すのか、思い出すのか、つくるのかはともかく、とりあえずメシを喰って寝て、仕事に励んで、大切な人を護ろう。

感謝して大事にしよう。学んで調べて考えよう。

それならわかるはずだ。

日本は美しい国だ。
日本は誇り高い国である、と。


そしていま、心にある言葉は「ご冥福を祈ります」ではなく、安倍総理、本当にありがとうございます、だった。私も死ぬまで真っ当に生きていきます、という決意だった。


今日、私は仕事に行く。明日も仕事をする。日々、死ぬまで務めを果たす。誰に何を言われようが、損しようが叩かれようが、真っ当に生きていく。この歴史に残る大宰相に恥じぬよう。





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