忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

昔の人はいいこと言うのか

2021年09月09日 | 忘憂之物


昔の人はいいこと言う。とくに「名言」などではなく、そこらのおっさんやらばあちゃんが言うレベルのものでじゅうぶんだ。わざわざ吉田松陰から「今日の読書こそ真の学問である」と言われんでも、そこらの左巻きの教師でも「本読めよ、本」くらいは言ってくれる。気を付けなければならないのは、そのアカい教師からは本を借りたりしてはならない、ということくらいだ。ナニ読まされるかわかったもんじゃない。

孔子様に「之を知るものは、之を好きなものに如かず」など大仰に言われんでも「好きこそもののなんとか」くらいは実体験でもわかるわけだが、最近、ついに知命を迎えて想うのは「若いうちの苦労は買ってでもしろ」などか。身に染みるときがある。まったく足らない。

他にもいろいろ、なるほど、と、いまになってようやく腹にすとんと落ちる「言葉」もある。例えば「子供は風の子」。これは江戸時代から言われているとされるが、たぶん、もっと前からだろう。





外は身を切る寒さ。人が機嫌よく炬燵に入り、ひとり大人しく「学ラン八年組」なんかを読んでいると、なにが忙しいのか不明だが、朝からばたばた動いている母親が言う。子供は外で遊べ。

仕方がないから近所の悪ガキを連れてドブ川に行ったり、知らないマンションの屋上に行ったり、商店街の裏手に回り込んでバックヤードに忍び込んだりする。空き地があれば「秘密基地」をつくり、神社の裏山を登って雑木の中を探検したり、簡単に侵入できる安アパートの空き室で物色したりと、それなりにやることはたくさんあった。

暗くなって腹が減るころには全身埃まみれ。手なんか洗うわけもないし、どこを触ったのか、爪の中まで真っ黒。ズボンの裾はドブ川の臭いが漂い、どこでもはじまるプロレスごっこでジャンバーも土だらけ。また指を切っていたり、脛を擦りむいていたりしたのだろうが、とっくに血が固まって忘れていたら、洗面器のお湯をかぶって思い出すことになる。

昭和50年代の東大阪の下町、どこにでもいる安モンの餓鬼のしょうもない一日だが、これが実のところぜんぶがぜんぶ無駄ではない。ちゃんとそのあと何日かしたら熱が出たり、吐いたり、どこかが腫れて膿んだりする。さらに幼少期、赤子のころもそうだ。好き放題にそこら中を舐めたり、覚えてないが、たぶん、なんでも口入れて遊んだりしたと思う。また、母親の友人か何か知らんが、知らないおばさんから顔を舐められたり、素手でメシを喰わされたりもしたはずだ。そしてちゃんと腹を壊したり、熱を出したりする。

すると駅前の、あの「ヤングマン」というゲーム喫茶の近く、踏切を渡った商店街の中にある「ツシマ医院」に連れていかれる。そこで注射されたり、喉になんかされたりと拷問を受けた後、お世辞にも美味しいと思えない粉やらカプセル、メモリのついたプラスチック容器に入った液体などをお土産にもらう。気持ちが悪くて吐いたのに、また、吐くほど不味い液体を強要されて数日、また、踏切を渡ると、アメリカンドッグみたいな親指の医者に拷問されて、もう来週は来なくていい、と解放される。帰り、母親に鶏もも肉の照り焼きを買ってもらってかぶりついていると、もう、なんともないからまた、次の日にはドブ川に入る。

保育園とか幼稚園に行くと、だれかひとりくらいは青洟をぶら下げている。小学校でもそうだ。鼻の下に垂れた鼻水が固まって乾き白い筋になっている。ジャンバーの袖はもう、蒋介石の国民党軍が来てからの台湾の並木通りみたいになっていた。木の幹がてかてか光るから「ニス」と思ったら鼻水でした、というアレだ。

もちろん、普通はそれをみて「ヒトメタニューモウィルス感染症」だとは思わない。子供が黄色い鼻水を垂らしているのをみて、ウィルスの死骸か、白血球はご苦労さん、とかもない。赤子が熱を出して鼻が垂れていても「RSウィルスか」とも考えない。いや、もしかすると今の季節ならアデナウィルス、いやいや、やはり、この喉の症状はヘルパンギーナの疑いが、ま、とりあえず検査してからだな、とか言うなら、それはもう医者を目指すべきだが、しかしながら、当時の多くの「昔の人」は知っていることもあった。

それは子供というのは風邪をひくし、熱も出ればゲロも吐くし、ぐったりもすれば、ばったりと寝込むこともある、ということだ。そんなときは医者に行き薬をもらい、ちゃんと用量用法を守って与え、着替えをさせて暖かくし、おかゆを喰わせてお茶を飲ませてリンゴをむくと、そのほとんどがしばらく経てば治っている、とも知っていた。

無論、酷ければ入院、重症化することもあるとも知っている。最悪、死ぬかもしれない。だから親は心配だし、夜中でもなんでも、子供が熱を出して苦しんでおれば、背負ってでも医者に行く。そしてまた、そのほとんどは日本の高度な医療提供により完治することも信用している。だから親は医者に頭を下げてお礼も言う。普段、威張り散らしている酒飲みオヤジも、医者から叱られたら言い返せない。あんた死ぬぞ、と脅されたらちゃんと怖い。

それでも治ったら子供は風の子、さっさと学校にも行かされる。だから多くの子供はちゃんと1年に何回か、病気になって治って、また病気になって。あるとき気づいたら成長もして、あんまり病気にもならなくなる。つまり「獲得免疫」が増える。

人間は生まれたときから自然免疫を持つが、平均して0歳~5歳くらいまでに300以上の病原体にやられる。生後10ヶ月くらいまではある程度、母親からもらった免疫グロブリンで守られるが、徐々に少なくなっていき、いずれは感染症にもなる。しかしながら、転んでもただでは起き上がらず、その際には獲得免疫が増強される。だんだんと強靭になる。

うまくできてると感心もするが、もちろん、相手が悪い場合もある。例えば今からおよそ100年前になる1918年から猛威を振るった、いわゆる「スペイン風邪」だ。日本も2400万人が感染して38万人以上が死亡した。対策は今と同じく、うがい、手洗い、マスク、三密を止めましょう、だったが、昔の知識人も今と変わらぬことを言っていて、与謝野晶子も「米騒動のときは5人以上で集まって歩くな、と言った政府はなぜ、いま、人の集まるところを休業としないのか」と怒って「感冒の床から」で書いた。

まあ、当時はワクチンどころか、ウィルスという概念自体がないから仕方がない。それに「子供は風の子」も臨時休業になって然るべき理由があった。というのも死亡率が最も高い世代は0歳~2歳の乳幼児で多くの赤子や子供が死んだからだ。65歳以下の死亡者は実に全体の99%になった。無論、当時の日本は今と比して人口も半分以下、平均寿命も43歳程度、65歳以上は国内全人口の数%になるが、それでも年齢層の低い死亡者が過半以上だったとわかる。

悲惨なことだったが、ウィルス感染症というものからすれば「セオリー通り」だった。つまるところ、こういった世界規模の感染爆発とは、どこの国でも地域でも獲得免疫の少ない0歳~2歳児が最も犠牲になるものだった。しかし、だ。

ユニヴァーシティー・コレッジ・ロンドンなどの大学の研究所が2020年3月から2021年2月までの間、国内で武漢ウィルスの陽性者を調べてみると子供(18歳未満)の数は251人だった。これは5万人にひとりの割合になる。死亡者は25名。こちらは200万人にひとりになったそうだ。日本はどうかというと2021年5月5日時点での死者が9479人。そのうち10歳未満、10歳~19歳の死亡者はゼロだった。セオリーが通じない。

最近、報道レベルの情報を拾うだけでも自然発生の可能性が怪しくなってきた。いろいろと「自然の摂理から外れている」といわれる。仮に人間が作ったならそれも納得だが、一連の出来事から感じ取れる邪悪さや不気味さはこれだけではない。

これもまあ、昔の人かもしれないが、ビジネスマンが大好きなピーター・ドラッガーの「いいこと言う」だ。

「間違った問題への正しい答えほど始末に負えないものはない」




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