カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

堀辰雄『風立ちぬ』再読

2014-10-01 20:53:54 | 文学





それは小学校6年のころだったか、中学校に入学してからだか

定かではない。

父が亡くなってから、母はかなり苦労した挙句に、

あるミッション系の私立学院に

職を見つけ、そこの学長秘書として働いていたが、

あるとき、学長先生からのご推薦の本よ、と言って

わたしの誕生日だかに贈ってくれたのが、堀辰雄の『風立ちぬ』であった。

当時のわたしはませていて、ジッドの『狭き門』とか

マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』など、

フランス文学にぞっこんであったから、

日本文学の『風立ちぬ』はしぶしぶ読んだのであるが、

やはり、ヒロインが病弱であって、次第に死に近づいていって、

そのヒロインに寄り添う主人公が男としてあまりに

弱々しくて、そんな状況に感情移入できないまま、

単に、四季を通じての風景描写が美しい、という印象しか

もたなかったのである。

今回、ひょんなきっかけから、この小説を、実に50年ほどぶりに

読み返すことになって、やはり50年の時節がわたしにもたらした

成長は想像を絶するものがある、という感慨を得た。

この小説の時代背景は第二次世界大戦前の1930年代半ばである。

小説は『序曲』、『春』、『風立ちぬ』、『冬』、そして

『死のかげの谷』という章からなっている。

『序曲』では、軽井沢か八ヶ岳か、高級避暑地のホテルで

偶然知り合った主人公の「私」と「節子」という若い女性が

相思相愛の仲になり、恋のときめきを感じてすごす場面が描かれている。


白樺の木のかげに腰をおろし、二人は果物を齧る、まるで

モネの絵のように。そして節子は画家であって、油絵を描いている。


そんな、まるでフランス映画の一コマを見るような光景が

繰り広げられるのであるが、節子の父が迎えにやってきて、

二人は別れ別れに東京に戻っていくのである。


そして『春』の章

『序曲』からはおよそ二年ほどの時間が経ったようである。

「私」と節子はすでに婚約している。

節子の「父」、そして「私」とのあいだの会話で、節子の健康が

おもわしくなく、八ヶ岳のサナトリウムで養生がいいだろう、という

ことを、読者は知らされる。

節子は当時は不治の病であった、結核をわずらっているのである。

どうやら「私」は小説家であり、節子の家も裕福な家柄であるようで、

節子が八ヶ岳のサナトリウムで治療を受けるあいだ、

「私」は節子につきそうことになるのだ。


『風立ちぬ』の章

いよいよ「私」と節子は二人で八ヶ岳のサナトリウムへ行き、

そこで二人の生活が始まる。

主人公はむかしから、どこかさみしい山小屋で、可憐な娘と

二人きりの生活をしたい、と夢見ていた青年であったので、

八ヶ岳の山の中のサナトリウムで、節子と暮らすことが

夢の実現に近づいたような気がするのであった。

小説は、つねに主人公である「私」の視点から語られる。

サナトリウムでの生活が、彼の昔からの念願の夢であり、

幸福をもたらすような錯覚に陥りながらも、

それが二人にとって究極の幸福であるのか、主人公には確信がない。

幸せなんだ、と主人公は思い込もうとするのであるが、

八ヶ岳の自然の描写には、どこか冷たい影がつきまとう。

例えば、夕方、茜色に輝いていた山の色が

急速に鼠色になっていく情景描写など、

読者にも主人公の心の不安が、

ありありと感じ取ることができるのである。

患者にとって酷である暑い夏がようやく過ぎていく。

「九月になると、少し荒れ模様の雨が何度となく降ったり止んだり

していたが、そのうちにそれは殆ど小止みなしに降り続きだした。

それは木の葉を黄ばませるより先に、それを腐らせるかと見えた」

こうした描写が、主人公の心の変化の機微を映し

感受性高い読者に、刻々と死のかげが近づいていることを

容赦なく知らせるのである。

人里離れた山小屋で、少し病気がちで、背が高く、やせぎすのうら若い娘と

二人きりで、愛の生活を営みたい、という主人公の夢が

サナトリウムでの生活で疑似体験できているかのように思えたのも

ほんのわずかな期間であって、節子の容態がしだいに悪化していくにつれ

「私」は次第に不安や恐怖を抱きはじめる。

それは自分の生は節子の死とは関係なく続いていく、という不安なのである。


思えば、4月の雪の降る暗い夜、サナトリウムに到着した晩、

病人の節子が見たという夢は実に不吉なものであって、

それを主人公は突然思い出す。それは、病人がすでに

死骸になって棺の中に横たわり、棺の中から冬がれた野や

黒い樅の木などをありありと見たり、その上をさびしく吹いて過ぎる風の音を

耳に聴いていたりしていた、というものなのだった。

細かい点をいちいちあげていたらきりがないのであるが、

要するにこの主人公は、最初は八ヶ岳のサナトリウムでの

節子との生活が、むかしからの夢であった、

うら若い少し病弱の娘との二人きりの山荘生活、それを

実現させるものであって、

それが幸せなんだ、と信じようとしていたのであるが、

節子の容態の悪化によって、やはりそれは夢の夢であって、

現実には死が二人を分かつであろうことが少しずつわかってくるのである。

そして愛していると思っている節子の死のあと、

自分は死なずに生き続けるだろう、という予感なのである。

そんな主人公は、しばらくぶりにペンをとって、

節子との生活をつづりたい、と思うのであるが、

小説の結末が書けないでいる。

節子はそんな主人公を優しく見守るばかりではなく、

こんな病気の自分に寄り添ってくれる主人公への思いやりと

愛情を深めていくように「私」には思えるのであった。

こうして小説は、主人公側の心理のみを

淡々とつづっていくのだが、そのずらずらと長いこと。

節子の容態が次第に悪くなっていくけれども、

「私」はなかなかそれを許容できない。

それでも、自分が思い描いていた幸福とは

束の間のもので、自分の気まぐれに近いものに

すぎないのではないか、という疑問が

次第に心に湧き上がってくるのを抑えることができない。

「私の夢想は、私たちの上に起ったさまざまな事物の上を、

或る時は迅速に過ぎ、或る時はじっと一ところに停滞し、

いつまでもいつまでもためらっているように見えた。・・・

そしてその物語はいつのまにかそれ自身の力でもって

生きはじめ、私に構わず勝手に展開し出しながら、

ともすれば一ところに停滞しがちな私を其処に取り残したまま、

その物語自身があたかもそういう結果を欲しでもするかのように、

病める女主人公の物悲しい死を作為しだしていた。

・・・(中略)・・・

男は自分達の愛を一層純粋なものにしようと試みて、

病身の娘を誘うようにして山のサナトリウムにはいって行くが、

死が彼らを脅かすようになると、男はこうして彼らが得ようとしている幸福は、

果たしてそれが完全に得られたにしても彼等自身を満足させ得るものか

どうかを、次第に疑うようになる。・・・」


『冬』の章

この章からは日記風に、日付入りでつづられている。

主人公の書く小説は遅々として進まない。

二年前の自分達の姿が懐かしく思い出される。

節子の容態は日増しに悪化していった。

「私は数年前、しばしば、こういう冬の淋しい山岳地方で、

可愛らしい娘と二人きりで、世間から全く隔たって、

お互いがせつなく思うほどに愛し合いながら暮らすことを

好んで夢見ていたころのことを思い出す。

私は自分の小さい時から失わずにいる甘美な人生へのかぎりない夢を、

そういう人のこわがるような過酷なくらいの自然の中に、

それをそっくりそのまま少しもそこなわずに

生かして見たかったのだ。そしてそのためにはどうしてもこういう本当の冬、

淋しい山岳地方のそれでなければいけなかったのだ・・・・・」


「私」はそうした自分の「つまらない夢」のために

節子をこんなところまで連れてきてしまったのか、とまで思うようになっている。

「幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない」という

言葉を、「私」は思い出す。

「このまま私はすぐ追いつめて行って、果たしてそれに私たちの幸福の物語に

ふさわしいような結末をみいだせるであろうか?」

こうして語り手である「私」は、今まで思い描いていた

「夢」と「幸福」がしだいに遠のいていくのを感じるのである。

それがガラガラと一気に崩れ落ちてしまうのは、

12月のある夕方、遠くの山にあたる冬の弱い日差しがかもす

影を見て、節子が「あら、お父様」とかすかに叫ぶときであった。

「あそこにお父様の横顔にそっくりな影が、

いま時分になると、いつも出来るのよ・・・」

と言ってその影が消えていくのを見つめている節子に、

「私」は、「お前、帰りたいのだろう?」と問いかける。

「ええ、なんだか帰りたくなっちゃたわ」と

かすれた声でいう節子の胸の内を

語り手はしっかりとさとってしまうのである。

つまり、いままで、自分だけの夢を見、

二人の幸せを追い求めてきた自分は

随分と独りよがりだったのではないか。

節子はそんな自分をそれでも愛してくれていた。

しかし、死が近づいた今、節子にとっての

安らぎは、やはり父親のもとであったのだ、

そう気付いた主人公は、急に力が抜けてしまって、

がっくりと膝をついて、ベッドの縁に顔をうずめてしまう。


『死のかげの谷』の章

節子の死の模様は描かれていない。

一年後、語り手の『私』は、三年半前に節子と訪れた

K村の山小屋を借りて一冬を過ごそうとやってくる。

雪に埋まっている山小屋であるが、

炊事を頼んだ村の娘とその弟がつきそっている。

小屋のまわりには小動物や鳥たちの足跡がいっぱい残されている。

村の娘の弟から、その足跡が兎だったり栗鼠だったり

キジだったり、と教えてもらう。

こんな山小屋で節子と一緒に暮らすことを

どんなに夢見ていたことか、と「私」は寂しくおもうのである。

避暑地であるから、夏のあいだだけやってくる外国人たちは

この谷を「幸福の谷」と呼んでいるらしい。

しかし「私」にとっては、「死のかげの谷」にしかみえない。


「死のかげの谷」

旧約聖書の詩篇の一節である。

「私」は暖炉の火にあたりながら、ぼんやりと思い出す。

節子の父に電報をうち、彼の到着を今か今か、と

気をもんで待っていたあの夜、

雪の降っていた夜、節子が危篤だった夜のこと。

突然「あなたの髪に雪がついているの」と

かすかにささやいた節子の最後の言葉を・・・。

村にはカトリック教会もあって、「私」はドイツ人神父と知り合いになる。

風の強い日には冬らしく明るい空がのぞく。

「こんな美しい空は、こういう風のある寒い日でなければ

みられませんですね」と神父が言う。

節子と暮らした八ヶ岳のサナトリウムから見られる

自然風景は、陰惨で、不吉な予感に満ちていたのに、

この雪におおわれた谷の年末の光景は

どこか明るさを感じさせる描写である。

語り手が注文してあったリルケの『レクイエム』がようやく届く。


この『レクイエム』が、この小説の重要なかなめであることは

まちがいない。

節子を失った深い悲しみと喪失感と孤独、

この雪の中で、ときどき感じる節子の気配、

しかしそれはきわめてかすかで、おぼろである。

12月24日、村の娘の家に呼ばれて淋しいクリスマスを

送ったあと、暗い谷陰を一人山荘に戻っていく「私」は

何処からともなく、小さな光がかすかにぽつんと落ちているのに気づく。

谷の上の方に見える灯りは自分の山小屋の灯りであった。

そのわずかな灯りが、おもったよりも明るく

周りを照らしていることに気付いた主人公は

自分の人生の周りの明るさは、自分が思っているよりもっと

沢山あって、おれの意識なんぞ意識しないで、こうやって

何気なくおれを活かしておいてくれているのかも知れないのだ、

と、気づく。そして人生の幸福なんて、今までずっと気にしてきたけれど、

今の自分のほうがよっぽど幸せなのかもしれない、と感じるのである。

まさに、恩寵、という言葉ぴったりの最後である。


「風立ちぬ、いざ生きめやも」


この小説には三回、この言葉が繰り返される。

語り手と節子が恋に落ちた時、

そして、病弱の節子にともなってサナトリウムでの生活を始めたとき、

そして最後、小屋のまわりに風が吹いているとき、言葉にならずに。

谷の向う側はあんなにも風がざわめいているというのに、

ここだけは本当に静かだ、こと、と「私」は静かに思う。

風に揺れる木の枝の音をきいても、もう

それが節子の足音かもしれない、とは思わない。

「どうかすると、そんな風の余りらしいものが、

私の足もとでも二つ三つの落ち葉を他の落ち葉の上に

さらさらと弱い音を立てながら移している・・・・」


この文章をもって、『風立ちぬ』は終わる。

リルケのレクイエム、冒頭の部分と

最後の部分を、堀辰雄は小説の中で引用している。


私は死者達を持つてゐる、そして彼等を立ち去るが儘にさせてあるが、
彼等が噂とは似つかず、非常に確信的で、
死んでゐる事にもすぐ慣れ、 頗 (すこぶ )る快活であるらしいのに
驚いている位だ。只お前――お前だけは帰つて
来た。お前は私を掠(かす)め、まはりをさ迷ひ、何物かに
衝 (つ) き当る、そしてそれがお前のために音を立てて、
お前を裏切るのだ。おお、私が手間をかけて学んで得た物を
私から取除けて呉れるな。正しいのは私で、お前が間違つてゐるのだ、
もしかお前が誰かの事物に郷愁を催してゐるのだったら。
我々はその事物を目の前にしてゐても、
それは此処に在るのではない。我々がそれを知覚すると同時に
その事物を我々の存在から反映させてゐるきりなのだ。


帰つて入らつしやるな。さうしてもしお前に我慢できたら、
死者達の間に死んでお いで 。死者にもたんと仕事はある。
けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
屡々遠くのものが私に助力をしてくれるやうに――私の裡(うち)で。





この記事は私の別のブログに載せたものをコピペいたしました。

http://blogs.yahoo.co.jp/maximthecat/34013744.html




最新の画像もっと見る

コメントを投稿