広島市民だけでなく、日本中の多くの人々に感動を与えた
広島におけるオバマ大統領のスピーチから一週間がたった。
もちろん『謝罪がなかったことは遺憾』とか
『理想ばかりで具体性に欠ける』という批判もでている。
しかし、多くの人々の感動を呼んだ、というレトリックの力だけでなく、
言葉の意味と、その奥にひそむオバマ大統領の意図を
冷静に考える必要があるだろう。
折から、大統領補佐官であり、有能なスピーチライターである
ベン・ローズ、という人物が、オバマ氏の手書きの原稿の
写真を出して、「大統領は何度もスピーチを推敲して手直しした」
と堂々と発表している。
スピーチ・ライターが書いた5分程度のスピーチを、17分にも及ぶ
内容に変えたのは、オバマ氏自身である。
スピーチの原文の書き起こしを何度も読んでみる。
いくつかひっかかる点がある。
まず広島の原爆投下で亡くなった犠牲者の数を、オバマ氏は
10万人、と言っている。この数字はどこから出てきたのだろうか。
また、その被爆者は軍人ではなく、自分たちと同じ普通の市民、
とりわけ子供たちであった、と悲痛なおももちで語ったこと。
スピーチの最後を、our own moral awakening
「我々自身の道義的覚醒」という言葉でしめくくっている。
このour ownという言葉の意義。
6月2日付ハフィングトン・ポストに紹介されたブログの記事に
明確な答えを見出したので、ご紹介したい。
「トルーマン演説の呪縛を打ち破り原爆神話を葬る一歩
見逃されているオバマ広島演説の重要性」というタイトルで
発表された、井上泰浩氏(広島私立大学国際学部教授、
ハワイ大学マノア校客員研究員)の記事から概要を抜粋する。
広島原爆投下の犠牲者数は、米国において公式には
71,379人となっているが、広島市の公式見解では
原爆投下の1945年末までに14万人が亡くなったとしている。
米国や世界のメディア、歴史・政治学者の学術論文でも
7万人という数字が大手をふっている。
しかしオバマ大統領は「10万人を超える死者」と明言した。
これによって、「7万人の犠牲者」という間違いは正された。
またさらに重要なことは、原爆が何を破壊し誰の命を奪ったか、である。
原爆投下を承認したトルーマン大統領は1945年8月9日の米国民への演説で
「史上初の原子爆弾が軍事基地である広島に落とされた。その理由は
市民を殺すことを避けるため、可能な限り、である」と言った。
それにより、広島の原爆投下は百万人の米兵だけではなく、
それ以上の日本国民の命も救った」という神話(いや、欺瞞)が続くことになる。
しかしオバマさんはアメリカ大統領としては初めて、そして米政府としても
おそらく初めて、原爆は市民の生活を破壊し、「女性や子供」が犠牲者になった
と話した。「軍事基地」という言及はない・・・・・。
以上、井上氏の記事の概要であるが、どうぞ本文を読んでみてください。
http://www.huffingtonpost.jp/yasuhiro-inoue/truman_obama_b_10249742.html?utm_hp_ref=japan
また、本日6月3日、桜井よしこさんと青山繁晴さんの対談がネットで
中継されたのを見たけれど、青山氏は、こう言っている。
「オバマ大統領のプラハ演説、これによりノーベル平和賞受賞したが、
その中で、"our moral responsibility to act"(我々には
行動をおこす道義的責任がある)と語ったその moral とは
キリスト教社会においては非常に強い概念であり、
今回の広島でのスピーチでは、一番最後に
"our own moral awakening"(我々自身の道義的目覚め) と言っている。
この "our own" というところが重要なのであって、
道義的目覚めをするべきなのは、実は自分たち自身、つまり
米国のことであり、この言及はオバマ大統領の謝罪の言葉に等しい。」
まさにその通りである、とわたしも思う。
オバマ大統領のスピーチをはじめに聞いたときは、米国が
原爆を投下したのに、死が勝手に空から降ってきたような
言い方をしているな、と思ったものだが、じっくり演説をきいてみると
戦争は古代より人間が犯してきた罪であり、人間の性であり、
どんなに平和を希求しても人類は
こうした罪を犯すことから逃れられないのかもしれない、
だが、米国のような核保有国は恐怖の論理から逃れ、
核を利用せずに世界を構築していく勇気をもたなければならない、
と自己反省的に明確に言っているのである。
オバマ大統領に続いて安倍首相がスピーチをしたが、
これも高い評価を得ている。
オバマ大統領のスピーチをきいて、それに呼応する形でこう述べた。
「71年前、広島、そして長崎では、たった一発の原子爆弾によって、
何の罪もない、たくさんの姿勢の人々が、そして子どもたちが無残に
犠牲となった。一人ひとりにそれぞれの人生があり、夢があり、
愛する家庭があった」
安倍首相を嫌う人たちは多いし、バカ呼ばわりをする人もいる。
でもわたしは安倍首相はなかなかの辣腕である、と思っている。
もちろん政策においては首をかしげるものもあるが、
こういう外交の場においての首相の活躍はますます
目覚ましくなっている。
この広島のスピーチでは、冒頭に、「昨年戦後70年の節目にあたり、
私は米国を訪問し、米国の上下両院の合同会議において、日本の
首相としてスピーチを行った」、と言い、「あれから1年、今度は
オバマ大統領が米国のリーダーとして初めてこの被爆地、広島を
訪れてくれた」、と感謝している。
米国大統領が広島訪問する代償として、安倍首相が真珠湾を
訪問すべき、という声がきかれるが、このスピーチをよくきけば、
まず安倍首相が日米両国すべての人々に感謝と尊敬の念を
現した、そのお返しとして今回オバマ大統領が広島訪問してくれた、
と言っているのである。つまり真珠湾訪問をお返しとして
する必要はない、という意味であろう。
「謝罪」など何の意味もないだろう。これからどうするか、が重要である。
一番必要なのは日米両国の『融和』そして『和解』である。
それでこそ対等な関係を構築していけるはずである。
もしオバマ大統領が広島スピーチにおいて、『遺憾に思う』などと
言ったら、それは虚しい欺瞞に聞こえたことであろう。
バラック・オバマは個人としての真摯な気持ちを、現職の大統領としての
重大な責任と、アメリカ合衆国国民としての責務と誇りと、そしてなにより
アメリカ国民への訴えとして、練りに練って、自分の言葉で
このスピーチを行ったのである。
だからこそ、彼の言葉は多くの人々の心にひたひたと
染み入っていったのである。
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