カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

国木田独歩『武蔵野』

2014-05-29 22:26:28 | 文学



ここ三年ほど、毎年、春に日本里帰りがかなっている。

実家が武蔵境駅から北に2㎞ほどのところにある

千川上水に近いので、

桜並木も多いし、

また桜の終わった後、ケヤキなどの並木の新緑が

みるみるうちに色を濃くしていく風情を見ると、

やはり日本にいるんだ、という実感が強く湧く。

実家のまわりはすっかり建てこんだ住宅地になってしまったが、

それでも住んでいる人たちはプランターに

色とりどりの花を咲かせて手入れが行き届いている。

庭には灌木類が植えてある。

千川上水、玉川上水わきには落葉樹が植えられている。






東京郊外の春はまさに落葉樹の芽吹く新緑の美しさに

ある、とつくづく思うのである。







国木田独歩、という作家がこのあたりをよく歩いていたことは

最近になって、ようやく知ったのであるが、

あまりに武蔵野では知られた作家であったので、

若いときにはその作品を積極的に読もう、という気にはならなかったし、

『武蔵野』くらいは読んだことがあったと思うが、

記憶にはまったく残っていない。


今、『武蔵野』を読み返してみて、というか、

むしろ初めて読む感覚に近いのであるが

地理的な親近感とはまた別に不思議な魅力があって、

何度も読み返してしまったほどである。


明治のころ、すでに武蔵野は野原の面影はなく、

雑木林の広がる台地であった、その武蔵野の美、を

『詩趣』と呼び、秋の初めからの武蔵野を、独歩は描く。


武蔵野の林の木はおもに楢の類いで、冬には落葉し、

春には新緑萌え出ずる、と独歩は書いている。そして

「日本人はこれまで楢の類いの落葉林の美をあまり知らなかったようである」

と記している。


この落葉林の美を独歩が認識したのは、

ツルゲーネフの『あいびき』という短編の翻訳を読んだから、

と、独歩は『武蔵野』の中で告白する。

なぜ、ツルゲーネフ?

『あいびき』に表現された落葉林はロシアの樺の木であるから、

楢の類いの雑木林とはかなり趣がちがうのだろうに、と

不思議に思うが、若き独歩が好んで読んだのが

イギリスのワーズワースやロシアのツルゲーネフであった、

というから、自然への憧憬は独歩自身の中にすでに

あった、と言ってよいのかもしれない。





武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。

どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、

聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる

数千条の道を当てもなく歩くことによって始めて獲られる。

春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、

霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの道をぶらぶら歩いて

思いつきしだいに右し左すれば随処に吾らを満足さするものがある。

これがじつにまた、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。

武蔵野をのぞいて日本にこのような処がどこにあるか。

北海道の原野にはむろんのこと、奈須野にもない、

そのほかどこにあるか。林と野とがかくもよく入り乱れて、

生活と自然とがこのように密接している処がどこにあるか。

    
         (青空文庫『武蔵野』より引用、改行は筆者が勝手にいたしました。)







ところで『武蔵野』は九つの章に分かれているが、

その第六章に、わが実家近くの「桜橋」という地名がでてくる。



「ある友」と、東京の三崎町という停車場から境まで乗り、

境の駅から北へ行ったところの桜橋の掛茶屋の婆さんと

他愛のない会話をかわし、婆さんの剥いてくれたまくわ瓜をたべ、

茶屋の脇の溝の水で顔を洗ったりしてから、

小金井までの散歩の模様、夏のある日の光景の

描写は実に美しく、何度読んでもため息がでるほどだ。

小説では一緒に散歩した朋友は、のちに判官になって

地方に行っていることになっているが、

じつは意外なことを発見したのである。


それはこのときの散歩は独歩の熱烈な恋愛の相手、

佐々城信子、と一緒であった、というのだ。

それは独歩が残した『欺かざる日記』に告白されている、という。




当時、男女が手をとりあって散歩をすることなど思いもよらぬこと、

けれども独歩は信子を飯田橋に誘って国分寺で降り、

さらに車に乗っての小金井の橋畔あたりからは、

いよいよ武蔵野に遊んで憚らない。

この日が8月11日で、独歩は

「記憶して忘るる能はざる一日」とまで書いた。


(松岡正剛の千夜千冊 655夜『武蔵野』国木田独歩より抜粋)





こうなると、ツルゲーネフの『あいびき』も

たちまちその意味の深さをもって迫ってくる。




明治28年8月11日、信子と独歩は

小金井を逍遥し、

玉川上水の土手を歩き、

溝の水で顔をあらったり、

茶屋の婆さんに冷やかされながら

まくわ瓜を食らったりしていたのだ!



この信子とは信子の両親の大反対を押し切って

結婚まで漕ぎ付くのだが、あまりの貧困生活に疲れ果てた

信子は失踪し、のちに協議離婚してしまう。


しかしこのときの散歩は、独歩の恋の激情が

その頂点をみるような、真夏の武蔵野のひとときだったのである。


この桜橋は、わが実家から武蔵境駅へ行く

武蔵野街道が玉川上水と交差するところにあり、

独歩の碑が建てられている。


さて、『武蔵野』はこうして秋から冬の光景から

春を一気に超えて真夏へ、と飛んでいくのである。

そして第八章でも、「かの友と携えて近郊を散歩したこと」を

思い出すように懐かしむように描いている。


思えば、プロローグとも思える第一章のあと、

第二章の初めに、「自分は二十九年の秋の初めから

春の初めまで、渋谷村の小さな茅屋に住んでいた」と

独歩は書いている。

明治二十九年は1896年、信子との婚姻関係が

破綻した年である。


自殺まで考えるほど絶望した独歩は

離婚後、渋谷村に移ったのであるから、

そういう経緯を知ると、独歩が『武蔵野』を

書いた時の胸中の思いを想像することができる。


この熱しやすい性格の若き独歩が

武蔵野に見出したのは、単に自然と人の生活の

入り混じる詩趣だけではないのである。

幸せだったひと時の思い出、そしてそのあとの

身を切られるような悲痛な試練の時、

その一場面、一場面を思い出しながら、

この文章をつづったのである。


最終章の第九章ではこのように書いている。




かならずしも道玄坂といわず、また白金といわず、つまり

東京市街の一端、あるいは甲州街道となり、あるいは青梅道となり、

あるいは中原道となり、あるいは世田谷海道となりて、

郊外の林地田圃に突入するところの、市街ともつかず宿駅ともつかず、

一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景をていしおる場処を

描写することが、すこぶる自分の詩興を喚び起こすも妙ではないか。

なぜかような場処が我らの感を惹くだらうか。自分は一言にして

答えることができる。すなわちこのような町はずれの光景は何となく

人をして社会というものの縮図でも見るような思いをなさしむるからであろう。

言葉を換えていえば、田舎の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような

物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹するような物語が

二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。さらに

その特点をいえば、大都会の生活の名残りと田舎の生活の余波とが

ここで落ちあって、緩やかにうずを巻いているようにも思われる。

                   (青空文庫 『武蔵野』から引用)




そして小説の最後には、郊外の人々の生活の模様が描かれる。

夕闇がせまり、日が暮れ、夏の短い夜が

明け、9時10時ともなるとセミが鳴き、暑い一日に

なっていくさまは、まさに目に見えるようだ。


『それでも十二時のどんがかすかに聞こえて、

どことなく都の空のかなたで汽笛の響がする。』


この最後の一文の残す余韻の強さ…。


『武蔵野』は自然を描写したものではないのだ。

明治の感性豊かな一人の青年が、

一つの存在として生の心が感じたことを、

夏の終わりの秋から冬、

そして真夏の思い出、と、まるで四季の移り変わりのように

自然になぞらえてつづったものなのである、

もちろん、春をのぞいて、であるが…。










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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして… (esse)
2014-10-01 06:08:04
初めまして。
ひょんなことから
成瀬巳喜男さんに興味を持って
ここにたどり着きました(^^)

素敵な内容のブログですが
最近、更新ないみたいで
残念ですが
これから
ゆっくり拝見させていただきます(^^)

欲を言えば
更新続けて欲しいです!!

このコメントも
もしかしたら
読んでいただけないのかな…涙
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Unknown (カディスの緑の風)
2014-10-02 02:19:14
esseさま

コメント、ありがとうございました。gooブログから通知が来ましたので、拝読いたしました。

成瀬巳喜男さんの映画、いろいろと感じ入るところがありますよね。

こちらのブログでは映画や小説などの記事を書いているのですが、夏には来客があったりして、日々のことにかまけてしまい、きちんとした記事を書く時間がなかなかとれずにおりました。

でもこれからもまた更新する予定ではおりますので、どうぞお待ちくださいませ。

本当にありがとうございました。

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