カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

成瀬巳喜男監督『晩菊』1954年

2013-09-05 20:21:32 | 映画







原作は林芙美子の小説、『晩菊』『水仙』『白鷺』を

一つにまとめて映画化したもの、ということで、

昔芸者仲間だった四人の中年女性の零落した姿を描きながら、

感傷におちいることなく、ユーモラスで、また

ペーソスあふれる作品である。

脚本は、田中澄江、井出俊郎。





枯れ残る晩菊にも似て

四人のおんなが辿りゆく

哀感の人生旅路




映画のポスターにはこのような言葉が入っていたようである。



四人の女たちを演じるのは、杉村春子、沢村貞子、

細川ちか子、望月優子。


杉村春子演じる「きん」は芸者をやめてから結婚もせず、

子供もいないが、土地ころがしと高利貸しをして

かなり裕福な生活をしている。

耳の聞こえない若い静子、という女性をお手伝いさんとして

雇って、二人で暮らしている。


おきんの昔の芸者仲間の「のぶ」(沢村貞子)は、

夫と飲み屋を営んでいるが、きんから借金をしていて

生活は楽ではない。でもまだ子供を作ることを夢見ている。


「たまえ」(細川ちか子)は旅館の掃除婦として働いているが

やはりきんから多額の借金をしている。たまえの一人息子は

20代半ばだが、職探し中で、人の妾の若いつばめになって、

外泊し、母を心配させる。



たまえと同居している「とみ」も掃除婦として働いているが、

パチンコや競馬でもうけて、わずかなこずかいを稼いでいる

したたかものである。

とみには年頃の娘がいて、食堂で働いている。


たまえととみは二人できんの悪口を言いながら、お互いに

なぐさめあって生きている。そして子供がいてよかったと思う、

とつくづく話し合うのである。



きんがのぶやたまえのところに借金のとりたてに行き、

彼女たちのあいだにかわされる会話がじつにおもしろい。


子供のいないきんは、たまえやとみ対して

母になれなかった負い目と嫉妬がある。


他の三人は、才覚のあるきんがうまく金儲けしていることが

気に入らない。


ちくちくと嫉妬ややっかみの言葉が女たちのあいだで交わされる。



一方、たまえの息子は北海道に就職先が見つかった、と母親に告げる。

女とは縁を切って一人で行く、と自分に相談せずに決めてしまったことを

たまえは寂しく思うが、しかたがない。


同居しているとみの娘も、結婚することを母親に相談せずに決めてしまい、

簡単な荷物をまとめて出ていってしまう。




きんは芸者時代、ねんごろになった関、という男が無理心中をはかり、

あやうく一命を取り留めたが、関だけが殺人未遂の罪に問われ、

刑務所に入っていた。ところが関は出所して、きんのところに

金の無心にやってくる。


あんたにやる金などびた一文ありゃしない、とそっけなく関を

つっかえすきんであるが、好きだった田部という男から、

近日中に会いにいきたい、という手紙が届いて、胸をときめかす。


田部が訪れ、きんは「女には女のしたくがあるの」と嬉しそうに

念入りに化粧をして、田部の待つ茶の間に姿をあらわす。


しかしその田部がしだいに酔うにつれ、愚痴っぽくなる。

生活がきびしいことを愚痴り、田舎者の妻をもらって、

今では所帯じみてしまって、一緒にいても

おもしろくない、と愚痴る。しかしそういう田部も生活に疲れた様子で

昔の輝きはない。

なぜこの男はわたしに会いに来たのだろう、と疑心暗鬼のきんは

昔の恋人にあってウキウキしていた気持ちがしだいに萎えていく。

結局田部は金策に困って、金を無心しにきんを訪れたのだった。



酔った田部が厠へ行っているあいだに、きんは田部の昔の写真を

火鉢に入れて火をつけ、焼いてしまう。


貪欲に金儲けにいそしむおきんにも、過去には愛した田部との

思い出があった。しかしその田部の現実をまのあたりに見て、

おきんの懐かしい夢は粉々に砕けてしまったのである。




しかし田部は酔いつぶれて、一晩きんのところに泊まることになってしまった。

田部を二階に寝かせ、一階にはきんとお手伝いの静子がふとんを並べて寝る。


朝になって、田部は金ももらえず、静かに去って行った。





たまえの息子が北海道へ出発する日、上野駅にたまえととみが送りに行く。

自分になにかあっても、帰ってこなくていいよ、でも手紙だけは頻繁に

ちょうだいね、とあきらめたように言うたまえに、息子は、母さんに

なにかあったらすぐにもどってくるよ、手紙もたくさん出すよ、と

慰めの言葉を返す。


最後は上野駅の陸橋の上から、線路をたまえととみが眺めていると、

スーツ姿の若い女性がお尻をふりふり歩いていく。


あれはモンローウオークだろ、ととみが言い、

あたしにだってできるさ、と真似してみせて、ふたりは大笑いする。


きんのところに出入りしている不動産やの板谷はきんに

いい物件がある、と誘い、二人で観に行くのだが、

駅の出口の改札で、きんが切符をさがして

バッグや帯に手を入れて探す様子がユーモラスでおもしろい。

こういう場面は小津の映画にもよくでてくるが、

杉村春子の演技が実にうまい。



この映画には原節子や高峰秀子のようなカリスマ性のある

女優は出てこないが、杉村春子をはじめ、四人の女優が

それぞれに個性を輝かせて、それが衝突せず上手に調和して

女の気もちを表現している。


杉村演じるきんの昔の愛人、上原謙も、所帯じみた疲れた感じが

よく出ている。美男子だからよけいに哀愁が漂う。




きんが昔の愛人、田部と酒を酌み交わしている場面と

たまえととみが女二人で酒を酌み交わしながら、昔のこと、

生活の辛さや、自分勝手な子供の愚痴を言いあう場面がからむように

差し入れられている。

これは三篇の短編小説を一つにまとめる、抜群の効果である。

この辺の技量が成瀬監督の腕のみせどころなのであろう。


 

一方、たまえの息子ととみの娘は新しい若い世代を代表するかのように

親のことを思いながらも、自分の幸せを求めて親に相談せず

一人で人生の重要な選択をして親から離れていく。



そんな子供をひきとめることのできない親の、やりばのない切ない

気もちも、みているほうにはよく伝わってくるのである。


とくにたまえを演じる細川ちか子のけだるい雰囲気と

不運や不幸を愚痴りながらもしたたかに笑い飛ばすとみを演じる

望月優子のコンビが実にいい味を出している。



成瀬巳喜男は林芙美子に傾倒して作品を読み漁ったようだから、

林芙美子の世界をこの映画に再現して見せたのだろう。

わたしは林芙美子の作品はほとんど読んでいないが、

この『晩菊』を見て、まるで小説を読んでいるような

錯覚に陥った。映画を見ている、というより、どこか

文学の世界なのである。





小津安二郎の紀子三部作のように、主人公がいきなり泣いたり、

登場人物が不可解な微妙な表情を浮かべたり、ということがない。


それぞれの女の心境にひたひたと寄り添い、

素直にそれを演じさせて、見る方も説明なしに話についていける優しさを

成瀬巳喜男監督の映画はもっている、と思った。
























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