あるフォトジャーナリストのブログ

ハイチや他国での経験、日々の雑感を書きたくなりました。不定期、いつまで続くかも分かりません。

ハイチ:スヴェナンス村(2)-創設の歴史

2012年01月18日 | 日記

蝋燭と聖水を持って信者を先導するスヴェナンス村のリーダー、フェノ

 

占いを終え、村人たちと会話しているフェノを見かけた私は、これ幸いと挨拶に行った。普段、村の外に住んでいる彼に会うのは、もっぱら祭りの期間だけである。だが、この期間は儀式と訪問者への挨拶で忙しく、ゆっくりと話す時間がない。

私はこの機会に、スヴェナンス村の創設の歴史について尋ねたいと思った。

村人や信者に尋ねても、確かな歴史を知っているものはいない。自著「ダンシングヴードゥー ハイチを彩る精霊たち」のなかで私は村の歴史について、「今から10年ほど前になくなった古老、ジョセフ叔父から聞いた話では、ハイチ独立後まもなく、村を創設しダホメのヴードゥーを紹介したのはパパ・ブワという司祭だった」と紹介したが、これといった確証がなくいつも疑問に思っていた。当時、話してくれたのはジョセフ叔父だけだった。

フェノは快く、彼が知る村の創設の歴史について教えてくれた。幸い、トントン叔父の話は間違ったものではなかった。フェノはそれに補足した。

「村が創設されたのは1805年と伝え聞いています。パパ・ブワは村の創設者ではありません。彼の孫にあたるフレトンです。彼が最初のリーダーでした。村が創設される以前には、ここではマルーン(逃亡奴隷)たちがヴードゥー儀式を行なっていたようです。ですが、それはダホメのヴードゥーではありませんでした。この村をダホメの地とし、ダホメのヴードゥーを伝えたのがパパ・ブワです」

長年、鬱積したものが晴れたような気がした。村長であり、スヴェナンスのヴードゥー組織のリーダーが語るのだから、確かに違いない。たとえ、それが伝説であっても…。

最後に「村の創設は1805年と聞きましたが、2005年は200周年です。何か特別なことするのですか」とフェノに尋ねた。

「私たちは村の伝統を護ってきました。200周年であろうが特別な意味はありません。これまで通り、いつもの儀式をするだけです。それが村の伝統です」

200周年であろうと特別な年ではない。19世紀から1年、そして1年と、ダホメの伝統を護り続けてきたスヴェナンス村。村長として、そして信者としての誇りと、伝統の重みを感じた。

続く…

 


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1 コメント

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若宮ゆかりの大根焚と粕汁 (環境大学新聞)
2012-01-18 17:12:16
昭和十六年正月頃からラジオ放送を通て日本全土に古式道理の朗々たる葛野守様の歌詠で、記紀などから後記、源氏・平氏.家物語、四書五経、勅撰和歌集に百人一首、が一挙放送されたのを御存知ですか。
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