蝋燭と聖水を持って信者を先導するスヴェナンス村のリーダー、フェノ
占いを終え、村人たちと会話しているフェノを見かけた私は、これ幸いと挨拶に行った。普段、村の外に住んでいる彼に会うのは、もっぱら祭りの期間だけである。だが、この期間は儀式と訪問者への挨拶で忙しく、ゆっくりと話す時間がない。
私はこの機会に、スヴェナンス村の創設の歴史について尋ねたいと思った。
村人や信者に尋ねても、確かな歴史を知っているものはいない。自著「ダンシングヴードゥー ハイチを彩る精霊たち」のなかで私は村の歴史について、「今から10年ほど前になくなった古老、ジョセフ叔父から聞いた話では、ハイチ独立後まもなく、村を創設しダホメのヴードゥーを紹介したのはパパ・ブワという司祭だった」と紹介したが、これといった確証がなくいつも疑問に思っていた。当時、話してくれたのはジョセフ叔父だけだった。
フェノは快く、彼が知る村の創設の歴史について教えてくれた。幸い、トントン叔父の話は間違ったものではなかった。フェノはそれに補足した。
「村が創設されたのは1805年と伝え聞いています。パパ・ブワは村の創設者ではありません。彼の孫にあたるフレトンです。彼が最初のリーダーでした。村が創設される以前には、ここではマルーン(逃亡奴隷)たちがヴードゥー儀式を行なっていたようです。ですが、それはダホメのヴードゥーではありませんでした。この村をダホメの地とし、ダホメのヴードゥーを伝えたのがパパ・ブワです」
長年、鬱積したものが晴れたような気がした。村長であり、スヴェナンスのヴードゥー組織のリーダーが語るのだから、確かに違いない。たとえ、それが伝説であっても…。
最後に「村の創設は1805年と聞きましたが、2005年は200周年です。何か特別なことするのですか」とフェノに尋ねた。
「私たちは村の伝統を護ってきました。200周年であろうが特別な意味はありません。これまで通り、いつもの儀式をするだけです。それが村の伝統です」
200周年であろうと特別な年ではない。19世紀から1年、そして1年と、ダホメの伝統を護り続けてきたスヴェナンス村。村長として、そして信者としての誇りと、伝統の重みを感じた。
続く…