あるフォトジャーナリストのブログ

ハイチや他国での経験、日々の雑感を書きたくなりました。不定期、いつまで続くかも分かりません。

ハイチ:スヴェナンス村(3)-ヴードゥー儀式バンダ

2012年01月20日 | 日記

木陰で昼寝するタトゥとマレン

 

午後(2011年12月20日)、プチ・ゴワーブゴナイブ(南西方向約180キロの町)で行なわれたヴードゥー儀式に招かれたモナの姉妹マレンとタトゥ、従兄弟のトゥーシンが帰って来た。車で約6~7時間の長旅である。儀式の主催者はハイチ系米国人の、俗に言うディアスポラ。先祖のためにヴードゥー儀式を行なった。招かれた一行は司祭、太鼓奏者たち、そしてマレンやタトゥなど通称セビテと呼ばれる信者たちの総勢30名。

 スヴェナンス村の近所でも、一般の人たちが儀式を主催するのは、めずらしいことではない。先祖を供養するために儀式が行なわれる。10年前に近所で、マイアミから帰国したディアスポラが主催した儀式を見たことがある。まだ30代の男性で、初めて主催した儀式だったようだが、彼の誇らしげな顔を覚えている。そのような儀式があると、スヴェナンスから村人たちがセビテとして招かれる。セビテとは、直訳すると仕える者、つまり精霊に仕える者の意味だが、スヴェナンスの入信者のことである。通常、ヴードゥーは寺や村ごとに独立したソシエテと呼ばれる組織を形成している。入信式を経て、組織の一員となる。ポルトープランスではウンシ(巫女)だが、スヴェナンスでは信者はセビテと呼ばれる。また、他の組織に見られる皇帝や女王などの位はなく、儀式を司る司祭級の者や村長のフェノであっても、皆一様にセビテと呼ばれる。

儀式は、もちろん無料ではない。通常、儀式は3日~4日。司祭、太鼓奏者、セビテを雇い、そして生贄用の牛や山羊や鶏と精霊への酒や料理などの供物、さらに関係者と訪問者に酒や食事などを振舞う。だから、かなりの予算が必要だ。この辺りで儀式を請け負うのがスヴェナンスの司祭級の信者レジースである。村の祭りでは、村長のフェノと共に信者を先導し、儀式の進行役を務める男だ。儀式の要請があれば、太鼓奏者(スヴェナンスの太鼓は4人で1セットだから、最低でも6~7人が必要)、そして村人に声をかけて、必要な人員を集める。彼らにとってはアルバイトのようなものだ。

「盛大な儀式だったわ!牛を2匹も生贄にして、それに山羊や鶏もたくさん!」

タトゥがプチ・ゴワーブでの儀式の様子を話していた。主催者はニューヨークに住む医者らしい。通常、スヴェナンス、又はゴナイブのヴードゥーはコンゴの儀式から始まり、ダホメの儀式で終わる。3日間、歌い、踊り、そして憑依される。かなりの労働だ。出発前にレジースは、謝礼は一人2,000(約50米ドル)グールドと皆に約束したが。「1、000グールドしかくれなかった!」とこぼしていた。                                       

さすがに疲れたのだろう。タトゥとマレンは挨拶もそこそこに、木陰にむしろを敷いて寝てしまった。トゥーシンは、数日分の着替えを入れたバックを頭に載せて、直ぐに出かけていった。村から1時間ほど歩いた家で行なわれる儀式にセビテとして招かれたそうだ。タフな女性だ。

「今夜、アゴマのゲデ儀式があるから、行かない?」                     

夕方、タトゥが私を儀式に誘った。アゴマは近所に住むボコ(ヴードゥーの司祭、占いと魔術を専門とする)だ。この辺りでは、毎年12月になると一年の締めくくりとして、バンダと呼ばれるゲデ(死霊、生と死を司る)の儀式を行なう。ゲデとはバロン・サムジやブリジットなどを含む死霊の総称だ。ポルトープランスではオンガンと呼ばれる司祭や、ここではボコたちがしばしば、占いや魔術で力を借りるのがゲデだ。だから、一年の感謝を込めてこの時期に盛大な儀式を行なう。そんなところかもしれない。アゴマの儀式は10日間も続く。

夜9時、真っ暗な農道を歩いて、アゴマの寺に行った。今夜は儀式が一番盛り上がる初日だった。

 儀式の様子は写真と動画で。続く…

バンダ儀式が行なわれたアゴマの寺の中庭。聖木には棺、側のテーブルには供物が並べられていた

 

儀式を待つ近所の女性たち。

 

アゴマにゲデが憑依した。力を示すかのように火の粉を全身に被るゲデ

 

ゲデは性欲の精霊だ。人々の前で猥褻な行為を繰り返し、挑発する。

 

動画

VT: twitvideo.jp/076n8

太鼓のリズムに合わせて踊る女性。太鼓同士と女性の絡みは必見!


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2 コメント

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ディアスポラ (松浦あゆみ)
2012-01-20 23:26:31
移民したハイチ人が母国で儀式を行うというのは初めて知りました。彼らの母国への思いの強さは並大抵ではないですからね。こういう形で母国と精神的なつながりができるのはいいことなんだろうな、と思います。
地震直後のハイチに行ったときのフライトの隣がブルックリン在住の歯医者をしているハイチ人でした。はっと気づいたら窓から母国を見下ろす彼の顔に一筋涙が流れていたのをなぜか思い出しました。
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Unknown (サトウ)
2012-01-22 10:27:00
あゆみさん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。入信する人たちも多いですよ。なかには、米国生まれのハイチ人も。外国で暮らしていると、それまであまり気にしていなかった故国への思いとか、伝統を強く意識するのかもしれませんね
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