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今年7月、ヤフオクで落札した満蒙開拓青少年義勇軍の絵葉書のなかに使用済みの一枚があった。
消印は「昭和17年3月16日」。宛先は「国民学校内高等科2年男の皆様へ」。茨城県の内原訓練所から訓練中の隊員が群馬県の母校の級友たちに送ったものだ。
真っ赤な「検閲 中隊長 砂長」の印が押してあった。 「昭和17年3月に内原に入所 昭和17年4月に渡満、孫呉訓練所に入所」した砂長中隊の一人だと思われる。
手書きの内容はだいたい理解できたが、何度読んでも分からない箇所があるので、しばらく放置していた。だが、先週から思い立って、再読。やっと全文が解読できた(笑)
手紙を書いた少年はおそらく14歳。当時の少年たちが何を考え、どんな気持ちで義勇軍に入隊したのかよく分かる。
拝啓 長いご無沙汰いたしました
級の皆さん元気ですか
君達の卒業お祝申上げます
僕も元気で義勇軍の兵士としてやっております
君達も早く卒業して國家の為に立派な産業戦士として又は糧量増産につくして下さい
僕等は元気で不都ごうが感じません
君達の幸福を祈ります 敬具
(原文のまま)
義勇軍の隊員は満州で3年間の訓練を受けた後、開拓団に移行した。昭和20年、敗戦が近づくにつれて、義勇軍の隊員は関東軍に応召された。その頃は16歳になっていた手紙の彼、応召され、その後シベリアに抑留された可能性は高い。「王
道楽土を建設し、五族協和を実現」というスローガンの下で、義勇軍に参加し,満州に送られた青少年は昭和13年から昭和20年までに約8万6千人。そのうち約2万人が命を落とした。彼は無事に日本帰れたのだろうか。
Photo by Fuminori Sato with iPhone
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