いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

3月1日教会学校聖言葉

2015年03月02日 | 教会学校聖言葉
「主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。」

エペソ人への手紙5.10


 日本は少し前まで「道徳」と呼ばれるものが人々の心で共有できていました。しかし現在思想は多様化し個人が自分で思想を決定し、自由にそれを実現することができるようになったのです。

 では自由になった人々はよほど豊かな心をもっているかといえばそうではありません。むしろ衝動を抑えることができなくなり、人を思いやる余裕さえなくなっているのが現代人の姿です。
なぜなら、人間は自分自身でどのように生きるべきか知りえない、仮に知っていても実現しえないのです。

 では実際にどのように生きればよいのか?それがこの聖言葉が語っていることです。他人でも自分を喜ばせるでもなく、主イエスキリストが導かれる通り、イエス様の喜ばれることを求めていく、これが人として生きるべき姿なのです。

 ずいぶん自己犠牲的な生き方のように思われるかもしれません。しかし、イエス様を喜ばせる生き方は、自らの個性を最大限に生かし輝かせる生き方です。なぜなら、イエス様はあなたのことをすべて御存じで、あなたを生かすために十字架にかかられたからです。この新しい生き方は実際にやってみた人にしかわかりません。是非、この生き方の素晴らしさを体感してみてください。(正野)

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