いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

10月23日教会学校聖言

2016年10月30日 | 教会学校聖言葉

「思いがけない時に人の子が来るからである。」
マタイによる福音書24.44

 イエス様はこの聖言葉の後、10人のおとめが花婿を待つたとえを語られています。
思慮深い5人は備えがあったため灯りの油を絶やすことなく花婿を迎えることができ、思慮浅い5人は油を買いに行く間に花婿が到着し外に閉め出されたというものです。

 このたとえはイエス様の再臨について語っています。
このたとえで語られた灯りとは、イエス様の罪のあがないと再臨を信じる信仰です。
イエス様の十字架を信じ自分の罪はすでにあがなわれたと確信するなら、いつイエス様がさばき主としてこられても恐れることはありません。

 いつでも好きな時に信じられると思っているのであれば、それは間違いです。
イエス様の細き御声があるときに信じなければ、いざというときに信じようと思ってもなかなか信じることができません。
この世の嵐で信仰の灯りを消すことが無いよう、聖書の聖言葉という油を絶やさずに注ぎ続けましょう。(正野)


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