いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

2月15日教会学校聖言葉

2015年02月16日 | 教会学校聖言葉
「絶えず祈りなさい。」

テサロニケ人への第一の手紙5.17

この聖言葉も簡単そうで実行が難しい聖言葉です。

それは、多くの日本人のように何か願い事がなければ祈らない、祈らずとも良いと考えているからです。もちろん、神様に求めるところを願うことは幸いであり、神様の求められていることでもあります。しかしクリスチャンの祈りとは願うことばかりではありません。

祈りのもう一つの目的は、聞くことです。

 神様の愛なる御思いを聞き、その愛に満たされ、愛に応えて生きるように心を整えることが祈りのもう一つの大きな目的です。そうすることで、魂に力が与えられ内側から泉がわき出るがごとく喜びに満たされることができます。祈りとは、神様からの力いわば魂の食事を頂くことと言ってもいいでしょう。

 3度の食事を絶やさずとったからといって賞賛される大人はまずいません。それは、自分に必要な栄養を摂取することは当たり前であり、何より自分の命を保つためだからです。
 
同じように、魂の命を保つために神様の力が必要だと知っていれば、無理やり心がけずともみずからそれを得ようとするに違いありません。

 ただ祈りを表面だけ心がけるのではなく、祈り本来の意味を見失うことがないように心がけましょう。(正野)

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