いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

5月24日教会学校聖言葉

2015年05月25日 | 教会学校聖言葉
「わたしの霊をすべての人に注ごう。」
使徒行伝2.17

 この聖言葉の前章に、イエス様の弟子たちに聖霊が注がれた記事が記されています。霊が注がれると、弟子たちは異国語を自由自在に話せるようになったのです。


 私たちは、ともすると表面的に弟子たちが得たような目に見える力を神様に求めてしまいます。確かに不足が満たされることは大きな恵みには違いありません。ですが、それがイエス様が私たちに霊を注いでくださった目的ではありません。

 イエス様が霊を私たちに注いでくださったのは、私たちが喜んで神様の御旨を行うようになるためです。聖霊の求めに応じて踏み出す時、不思議なようにそれに必要な力も時間も何もかも必要な分だけ備えられます。何よりも、イエス様の愛を確信しどのような逆境にも立ち向かえる力が与えられるのです。

 かつて人はエデンの園で神様の霊に満たされた幸福な生活を送っていました。イエス様が十字架に命をささげて下さったのは、あなたの罪を赦し、神様の霊を注いでこのエデンの園の生活に引き戻すためです。それは置かれた状況がどうあれ喜びさんびしておれる生活です。この力を携えてどんな荒波にも立ち向かおうではありませんか。(正野)