今日は静岡から,気合いの入ったリポートをいただきましたのでご紹介します.
1・2枚目が浜松での様子,3・4枚目が静岡での様子です.
お久しぶりです。あるいははじめましてでしょうか。
関東学院大学OBの田幡です。
2013年5月25日(土)、私の地元「浜松市」に初めて古川さんがいらっしゃいました。
春キャンペーンの講演会と「浜松 袴田巌さんを救う会」の方々への挨拶を兼ねての訪問でした。
さて、本題の講演会ですが…
参加者は「浜松 袴田巌さんを救う会」の方々だけでした。
残念ながら、浜松での福岡事件の認知度はまだまだです。
静岡や東京といった都会とは違った「温度差」が地方にはあります。
その「温度差」をいかに和らげ、広げていくことができるか。やはりそれが課題になります。
「ただ知ってもらう」ということがいかに難しいのかを改めて認識することになりました。
ちなみにこの浜松では、開拓精神、新しいことに挑戦する心意気を「やらまいか精神」といいます。
分野は違えど、未開の地を一から開拓した先人たちの気持ちが少しわかったような気がします。
だいぶ偉そうに書いていますが、
講演会にて私もこの事件について間違えて覚えている部分があることに気がつきました。
毎回のことですが、この事件がいかに複雑に入り組んだものかを実感します。
なんとも人間関係というものは難しいものです。
今回、久方ぶりに古川さんにお会いし、福岡事件に向かい合った一日。
学生時代とは状況が全く変わってしまい、それと同時にできることとできないことも
ガラリと変わってしまいました。
これまでは、地域の学生を巻き込みながら活動を拡大していきましたが、
浜松を含む静岡県西部地域には法学部のある大学がなく、協力的とも言えないようです。
その上、袴田さんのような知名度もないので、今のやり方では活動の展開そのものが難しそうです。
人によってはネガティブに感じるかもしれませんが、そのような地域は浜松に限ったことではないはずです。
名案、妙案、何でもよいのです。
難しいこと、そうでもないことをじっくり整理して、やり方を考えてみる必要があるのかもしれません。
一人より二人、二人より三人が、それぞれ考えた方がよいと思ったのです。
それでは、以上で締めくくりたいと思います。
乱文ながら、ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
1・2枚目が浜松での様子,3・4枚目が静岡での様子です.
お久しぶりです。あるいははじめましてでしょうか。
関東学院大学OBの田幡です。
2013年5月25日(土)、私の地元「浜松市」に初めて古川さんがいらっしゃいました。
春キャンペーンの講演会と「浜松 袴田巌さんを救う会」の方々への挨拶を兼ねての訪問でした。
さて、本題の講演会ですが…
参加者は「浜松 袴田巌さんを救う会」の方々だけでした。
残念ながら、浜松での福岡事件の認知度はまだまだです。
静岡や東京といった都会とは違った「温度差」が地方にはあります。
その「温度差」をいかに和らげ、広げていくことができるか。やはりそれが課題になります。
「ただ知ってもらう」ということがいかに難しいのかを改めて認識することになりました。
ちなみにこの浜松では、開拓精神、新しいことに挑戦する心意気を「やらまいか精神」といいます。
分野は違えど、未開の地を一から開拓した先人たちの気持ちが少しわかったような気がします。
だいぶ偉そうに書いていますが、
講演会にて私もこの事件について間違えて覚えている部分があることに気がつきました。
毎回のことですが、この事件がいかに複雑に入り組んだものかを実感します。
なんとも人間関係というものは難しいものです。
今回、久方ぶりに古川さんにお会いし、福岡事件に向かい合った一日。
学生時代とは状況が全く変わってしまい、それと同時にできることとできないことも
ガラリと変わってしまいました。
これまでは、地域の学生を巻き込みながら活動を拡大していきましたが、
浜松を含む静岡県西部地域には法学部のある大学がなく、協力的とも言えないようです。
その上、袴田さんのような知名度もないので、今のやり方では活動の展開そのものが難しそうです。
人によってはネガティブに感じるかもしれませんが、そのような地域は浜松に限ったことではないはずです。
名案、妙案、何でもよいのです。
難しいこと、そうでもないことをじっくり整理して、やり方を考えてみる必要があるのかもしれません。
一人より二人、二人より三人が、それぞれ考えた方がよいと思ったのです。
それでは、以上で締めくくりたいと思います。
乱文ながら、ここまで読んでいただきましてありがとうございました。