福岡事件再審運動キャンペーン「私はわらじがぬがれない」

開始から55周年を迎える「福岡事件」再審請求運動
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7月31日 東京勉強会

2011-08-05 21:56:01 | 日記
  

 一人、また一人と彼らは新宿へと集結していった。
ある者は結婚式の2次会後に徹夜で参加し、
またある者は報告原稿をつくるため夜を徹して馳せ参じた。
そうして、神奈川、群馬、埼玉、福岡といった
各地域から続々と強者どもが集結していった。
そう、一冊の本(浜田寿美男「自白の心理学」)を読むために。
時は2011年、7月31日の話である。

 私たちは話し合った。
「いや~、結婚式に宮崎あおい似のかわいい子がいたんですよ~。
で、連絡先聞こうとしたら『結婚してます』だって……。」

私たちは確認し合った。
「大丈夫大丈夫、愛の力は偉大ですから。『押せ押せ』ですよ。」

私たちは……ちゃんと勉強もしましたよ。
「この本に載ってる心理学のテスト(52頁~54頁)、
俺はああいうテストに引っかからないタイプだね!」

う~ん、心理学の本だし、やっぱりそういうとこで盛り上がりますよね。
「あと、レジュメにある世界の日本人ジョーク集の話しね(※1)。
ああいうとこでも俺はKY(※2)で振る舞うね。」

このメンバーは「KY」ばかりか?
ちなみに本書では人間が「空気を読む」のは自然であると書かれている。

「『犯人になる』という心理は、一見、常軌を逸しているようにみえる。
しかし……常軌を逸しているのは被疑者ではなく、
彼のおかれた状況なのである。常軌を逸した状況のなかで、
被疑者はごく正常な心理として『犯人になる』ことを選ぶ。」(137頁)

う~む、なんだかこの言葉もインパクトが薄いなあ。
だが、「自分は大丈夫!」という人間ほど簡単に落ちるのは
心理学的というか世間的な知恵のレベルである。
というか「自白に落ちるかどうか」は「KYであるかどうか」に関係ない
というのが本書の言わんとするところなのだが……。

しかし、問題は「個人のレベルで当てはまるかどうか」ではない。
「取調べ(室)が異常」であること。
そして「ブラックボックス=非可視」であること、これである。

日本でも取調室の可視化がようやく具体的に動いている。
それ自体は喜ばしいことであるが、それで安堵してるわけにもいかない。
その「異常なる取調べ(室)」を生んだ「社会の問題」は解決されていないのだから。
浜田寿美男も言っているではないか。

「捜査を行う警察・検察が一定の容疑をしぼったとき、
そこには周囲の人々をその容疑に引き寄せる渦が取り巻きはじめる。
そうしてその容疑が固められて被疑者が逮捕され、
取調室の場に引き出されたときには、
その渦はもはや一人の力では抵抗できないほどの力になって被疑者をおそう。
うその自白はこの磁場の嵐に翻弄された結果にほかならない。」(197-198頁)

上記のような「渦」をつくる「経路」を根本的に変えない限り、
たとえ「可視化」が実現してもまた形を変えて人々を「自白」へと巻き込んでいくに違いない。

何故なら、取調室が可視的だったら「福岡事件」は起きなかったのか?
というと「そうではないだろう」と私には思われるからだ。
そう思わせるものが「福岡事件」にはあり、
それが「福岡事件は複雑な事件」であると言われる所以でもあるだろう。

福岡事件を解決するためにはもっともっと考えなければいけない。


※1『世界の日本人ジョーク集』
Q.「もしもスープにハエが入っていたらどうするか?」
A.日本人は「周囲を見回し、自分にだけハエが入っていることを確認してから、
周りに気付かれないようボーイを呼ぶ」
http://www13.plala.or.jp/hanzaki1212/keijiban2/440.htm

※2 KY=空気読めない・読めてない
http://ja.wikipedia.org/wiki/KY%E8%AA%9E


鈴木

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