昨夜、もう四十年になるのかと連れ合いと話していた。
1978年6月12日、夕方5時頃のことであった。宮城県沖地震発生。
連れ合いは、近所の小学校で、校庭が地割れしたのを見たという。
すごい揺れで、その場から動けなかったそうだ。
当時の私は岩手にいて、被害が無かったため記憶が薄いが、地震報道は覚えている。
ことに、仙台でブロック塀の倒壊によって、何人も死者が出たという報道は強く心に残った。
建物の倒壊が多かった宮城県沖地震。これを機に、建物や外構の強度を高めることとなった。
後に私は、東海地方に住んだことがあり、その頃に阪神淡路大震災もあって、地震への意識がかなり高まった。
応急手当の講習や、起震車乗車を含む防災訓練も何度か参加した。
さらに後、東北に帰って仙台に住み、岩手・宮城内陸地震や東日本大震災を経験する。
家具や物の置き方、持ち物、心構えなど、事前の準備が有効だった。
不気味な本震と度重なる余震にも、落下物はほとんど無く、収納箱ごと棚からずれた本と茶碗2つだけ。
平時に意識していることが、いざという時に役立つのだと実感。
町内会も、震災前から、地震への意識を高める活動をしていて、これに参加したことも有益だった。
私がいた町内会では、消防隊を招いて、消火活動と併せて応急手当の講習も行うよう、行事を設定してくれたし、さらに、東北大教授による地震に対する講習会も開催してくれた。
震災後も講習会を開催し、震災時に起きた混乱や課題を消防の方から聞くことができた。
一人一人が事前に学んでおくことで、いざという時に、どうにか落ち着いて行動できる。
あまたの人々に、備えを忘れないでほしい。
↓ 講習会資料と、震災前に自作の応急手当手引き