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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

生まれ変わる被災地~山元町常磐線沿い:2017年3月の記録~

2017-11-04 16:44:57 | 東北被災地の歩み:亘理・山元

仙台駅から岩沼駅を抜けると、車窓からの眺めが変わる。

線路が高架化され、高い位置から景色が見えるため、視界が広がった。

 

うっすらと、堤防工事中の海辺が見える。

かつての海岸は、びっしりと緑の松林が縁どっていたのに。

 

↓2007年3月1日

常磐線車窓から海岸方面の眺め(山下~坂元の間)

 

あの日の記録映像を目にしたことがある。


初め、沿岸部の緑の向こうに煙が見えた。

やがて、びっしり並ぶ木々が動いたかと思うと、濁流が姿を現した。濁流は、木々をなぎ倒して押し寄せる。

 

津波の第一波だった。

 

建物が動く。濁流に家々が流されていく。

猛スピードで何台もの車が走り去る・・・

 

今思えば、木々がなぎ倒されている間が、逃げる時を稼ぐ状況だった。

 

濁流はさらに集落へと、じわじわと迫る。

田園地帯は大河のようになり、やがて干潟のようになった。

 

その後、第二波が来る。

今度は、沿岸の木々も住宅も無くなって、高く上がった白波が押し寄せるのが見えた・・・

 

 

現在、常磐線は西側に移設。

山下駅も新しくなった。

 

新しい山下駅前には、スーパーマーケットと薬局ができ、新たな集落作りが進められている。

↓20017年3月1日山下駅ホームから駅前

 

駅の東隣には、建設中の大型建物が見える。

おそらくこれが、建築中の地域交流センターか。

 

↓2017年3月1日山下駅東

 


思い出す 小萩堂の気骨 文化の日

2017-11-03 14:22:23 | 食べ歩記

まさに、「平和を噛みしめる」である。


杜の都の宮町の端っこで、上杉近くにある、こぢんまりとした店。

地球瓶やガラス棚が並び、その中には煎餅がいっぱいだ。


「小萩堂」である。


震災前から知る店で、震災後に大丈夫かと寄ってみた。

店は以前のままでほっとした。


連れ合いは、ここの「いか煎餅」が気に入っていた。

私にとっては「いか煎餅」というと、岩手の宮古が思い浮かぶが、確かに、小萩堂の「いか煎餅」も美味いのだ。


だが、小萩堂の煎餅と言えば、焼き印も売りである。


仙台城に味噌樽や、七夕に萩といった、歴史や風物の絵柄が素敵だ。

風流な焼き印のせんべいが並ぶ中、一風変わった文字を刻むものがあった。


「九条せんべい」である。

 


仙台も、空襲で焼け野原になった。

堂々たる大手門も、軒を並べた店も住まいも、そして逃げ惑う人々をも火焔は襲い、痛ましい有様が広がった。


これを目の当たりにし、乗り越えた人々は、移り変わる時代の波にも、決して再びこの惨禍を繰り返さぬようにと願うのだ。


そして、戦禍を潜り抜けた店主の気骨が、せんべいに刻まれた。

世界へ、平和憲法を広めようと。



今日は文化の日。

自由と平和を愛し、文化をすすめる日である。(内閣府記載 「国民の祝日に関する法律」)


杜の都の九条せんべいを思い出して、関東の地でも東北に続く青空を仰いだ。



名産生かす菓子に思いを込めて:作間屋支店2012年12月の記録

2017-11-02 18:45:07 | 東北被災地の歩み:亘理・山元

かつて、亘理の鳥の海近くで、阿武隈川沿いにあった店だ。

    (↓2008年9月18日撮影:震災前の作間屋支店さん)

あの日、大地震の後に海の水が川を遡り、大きな堤防をも越えて、この店の界隈も壊していった。
作間屋支店さんは残っていたが、店のあった1階は浸水し、中の商品棚も機材も駄目になった。

(↓2011年11月9日撮影)


家族は着の身着のままで逃げおおせたそうだが、生業の基盤だった店を失ったことは、本当に辛かったろう。

各被災地を巡っている中、亘理の鳥の海に行くのに、何度もこの店の前を通った。
そのたびに、店の奥のほうに電球の灯りが見え、中で片づけをしているらしい様子を目にしていた。

ご主人が、何か使えるものはないかと思いながら片づけをしていたそうだ。


店を再開したいという思いは、震災後間もなくからあったようだが、毎日片付けに行く度に、むなしい気持ちになったという。


それでも、負けなかった。

ほとんどが駄目になっていた機材の中に、2つほど修理すれば使えるものがあったという。

知人が声を掛けてくれ、商品を入れる冷蔵棚を譲り受けた。
そして9月、作間屋支店は再び開店したのである。

(↓2012年12月11日撮影)



仙台から阿武隈橋を渡る大きな通りが国道6号線だ。

阿武隈橋からこの通りを南へ進むと、やがて産直販売の「おおくまふれあいセンター」が見えてくる。

この「おおくまふれあいセンター」の向かいに、新たな作間屋支店があった。 

地元の食材を活かした「えんころ餅」は、機材がそろわないためにまだ作られないが、出来ることから一つずつ心を込めて作り出される菓子は、いずれも美味い。

棚に並ぶのは、手土産に適した焼き菓子だった。

実は、「仙台いちご」の銘柄で知られる、宮城県のイチゴ栽培の始まりは、亘理町だという。

宮城県南の亘理町、山元町は温暖な気候でイチゴの栽培が盛んであり、震災前は両町合わせたイチゴが東北一の生産量であった。

亘理と山元はリンゴの栽培も盛んで、収穫される果物を生かした加工品の開発にも力を入れている。


参考:農林水産省「仙台いちごの復活」/宮城県「いちごの生産振興」)

 



再び歩み始めた「作間屋支店」さんは、地元の食材で郷土を表した品を出したいと、まずは亘理の産物であるイチゴとリンゴを使った、「いちごの悠里」「りんごの悠里」という菓子を作っている。