かつて、亘理の鳥の海近くで、阿武隈川沿いにあった店だ。
(↓2008年9月18日撮影:震災前の作間屋支店さん)
あの日、大地震の後に海の水が川を遡り、大きな堤防をも越えて、この店の界隈も壊していった。
作間屋支店さんは残っていたが、店のあった1階は浸水し、中の商品棚も機材も駄目になった。
(↓2011年11月9日撮影)
家族は着の身着のままで逃げおおせたそうだが、生業の基盤だった店を失ったことは、本当に辛かったろう。
各被災地を巡っている中、亘理の鳥の海に行くのに、何度もこの店の前を通った。
そのたびに、店の奥のほうに電球の灯りが見え、中で片づけをしているらしい様子を目にしていた。
ご主人が、何か使えるものはないかと思いながら片づけをしていたそうだ。
店を再開したいという思いは、震災後間もなくからあったようだが、毎日片付けに行く度に、むなしい気持ちになったという。
それでも、負けなかった。
ほとんどが駄目になっていた機材の中に、2つほど修理すれば使えるものがあったという。
知人が声を掛けてくれ、商品を入れる冷蔵棚を譲り受けた。
そして9月、作間屋支店は再び開店したのである。
(↓2012年12月11日撮影)
仙台から阿武隈橋を渡る大きな通りが国道6号線だ。
阿武隈橋からこの通りを南へ進むと、やがて産直販売の「おおくまふれあいセンター」が見えてくる。
この「おおくまふれあいセンター」の向かいに、新たな作間屋支店があった。
地元の食材を活かした「えんころ餅」は、機材がそろわないためにまだ作られないが、出来ることから一つずつ心を込めて作り出される菓子は、いずれも美味い。
棚に並ぶのは、手土産に適した焼き菓子だった。
実は、「仙台いちご」の銘柄で知られる、宮城県のイチゴ栽培の始まりは、亘理町だという。
宮城県南の亘理町、山元町は温暖な気候でイチゴの栽培が盛んであり、震災前は両町合わせたイチゴが東北一の生産量であった。
亘理と山元はリンゴの栽培も盛んで、収穫される果物を生かした加工品の開発にも力を入れている。
(参考:農林水産省「仙台いちごの復活」/宮城県「いちごの生産振興」)
再び歩み始めた「作間屋支店」さんは、地元の食材で郷土を表した品を出したいと、まずは亘理の産物であるイチゴとリンゴを使った、「いちごの悠里」「りんごの悠里」という菓子を作っている。