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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

今年の写真帳 20頁目

2018-12-25 15:33:20 | ゆるゆる歩き:旧跡

水無月十九日 紀尾井町から桜田濠 千鳥ヶ淵 九段下


紀尾井町の名は紀伊、尾張、井伊家の屋敷があったのが由来。

井伊家屋敷跡は、現在ホテルニューオータニ。


北側の坂道が紀尾井坂。


東へと紀尾井坂を下ると、辻に出る。そこで右(南)側に進むと、すぐ清水谷。


清水谷公園があって中を通ると、奥に大きな石碑がある。

「大久保公哀悼碑」だった。

近くで大久保が暗殺されたのを哀悼し、建立された。(紀尾井坂の変)

 

公園前の道を南へ進むと、弁慶橋に出る。

そのあたり一帯は、紀伊家の屋敷だった。

橋のたもとに石碑がある。


渡って左(東)へ行くとすぐ、赤坂見附跡。


しばらく道なりに進むと、三宅坂の辻に出る。


渡れば皇居の濠沿いの道。

濠に沿って左(北)の方へしばらく進む。

千鳥ヶ淵交差点で右(東)に行くと、美しいレンガの建物が見える。


工芸館として使われたこの建物は、もとは近衛師団司令部庁舎だった。

明治43年建築。昭和48年から保存と活用のための工事が行われた。

 

参考:国立近代美術館 来館案内 建物の紹介

 


北の丸公園を通って九段下駅に入り、帰途につく。


今年の写真帳 15頁目

2018-12-24 14:13:32 | ゆるゆる歩き:旧跡

卯月四日 

御成道の宿場、岩槻へ行く。

江戸から来た将軍は、岩槻城に宿泊したという。

 

白鶴城は、岩槻城の別名。


今はすっかり変わってしまったが、かつては水に囲まれた城だった。


町には城の名残が点在し、本丸跡は、なんと、ガソリンスタンドの中。

 

岩槻駅の近くに、遷喬館という藩校跡がある。

儒学者の児玉南柯による私塾であったが、後に藩校となった。

 

駅前通り付近は、人形の町をうたい文句に、人形店が点在していた。

 

街道や川が通り、要衝だった城下町の岩槻。

その土地柄のせいか、どことなく奥州市辺りの城下町と雰囲気が似ている気がした。

なんだか落ち着く場所だった。

 


今年の写真帳 8頁目

2018-12-22 12:55:53 | ゆるゆる歩き:旧跡

睦月三十日

御成道の宿場、川口へ。

御成道は、日光へ将軍一行が参拝するため(日光社参)に通る道。

車道の間にある小島のような緑地に、案内板があった。

この奥の道が、赤羽から荒川を渡って通る御成道。

この道の途中に川口宿本陣があったという。


近くに、川口文化財センターがあったので寄り道。

窓口のある2階に上る階段には、災害の啓発になる表示があった。

過去の洪水の水位を示してある。

津波のあった東北から来た身としては、見過ごせない。



川口は鋳物の街である。


江戸の頃には手工業だったが、明治期には軍需品製造を手掛け、大きく発展した。

昭和の終戦後、川口鋳物生産は、日用品に切り替わる。


高度経済成長の終息、オイルショックから不況となり衰退した。

しかし今、再び川口鋳物の技術は見直され、新しい鋳物調理器具が作りだされている。

 

参考:川口市教育委員会「川口の産業」/川口商工会議所「かわぐちいいもの」/川口鋳物協同組合「鋳物の歴史」


古代から昭和の暮らしまでを、ざっと学んで後にする。

 


街道に戻って北へ進み、旧田中家住宅へ向かう。

 

明治の豪商だが、代々田中徳兵衛を襲名し、今も続く。

初代は農家だったが、二代目から麦味噌醸造と材木商を営んだ。

四代目の頃、豪商となった田中家は、立派な洋館を建築。

イギリス積みのレンガ壁が立派。

中の調度品も美しい。


奥は日本建築で、そこから中庭が見える。

見事なもので、池を回遊する庭園となっている。


残雪の中で、紅梅がほころんでいた。

落ち着く良いところであった。


今年の写真帳 7頁目

2018-12-21 18:38:00 | ゆるゆる歩き:旧跡

睦月二十四日

伊達政宗公の滞在した江戸の地へ。

 

江戸で堀の造設や、将軍の話し相手などを務めた政宗公。

徳川幕府の始まりと共に、諸大名の妻子が江戸に住まうこととなった。


政宗公は、当時、外桜田に屋敷地を与えられ、上屋敷とした。

それは、今の日比谷公園内であった。


日比谷通りを後ろに心字池を見れば、池の手前から公園の中の方が屋敷。

そこは今、第一花壇となっているが、その辺り一帯が屋敷だったとみられる。



第一花壇は、広い芝生敷きの土地に点々と植栽があり、周囲が遊歩道。

幾何学模様になっているそうで、上空写真ではよくわかる。


ペリカン噴水があり、その背景に見える広い土地が第一花壇。

ペリカン噴水を含め、この辺りが屋敷の跡地。


この上屋敷には、家康公、秀忠公、家光公と、三代にわたって将軍が訪問している。

食通の政宗公は、自ら料理の盛り付けや配膳をして、将軍をもてなしたという。


政宗公は、この地で最期を迎えた。享年70歳(数え年、満68歳)であった。


参考:仙台市 東京に残る政宗公ゆかりの地「仙台藩外桜田上屋敷跡」「伊達政宗終焉の地」/千代田区日比谷公園 /

   宮城県 食材王国みやぎ「みやぎ伊達家と食文化」/仙台市博物館「伊達政宗」


日比谷公園は、いろんな記念碑や石像があって面白い。




明治36年に開園の、日比谷公園内にあるレストラン「松本楼」は、同じく明治36年に開店。


 

季節メニューに、東北の「三陸産カキフライ」があった。

被災地の東北は、いまだに大変な状態。

寄り添ってくれているようで嬉しかった。